ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第91話 1978年~1979年広島 ヒロ電ボロ電の頃(その2)

昭和50年代、私は広電の電車をまともに撮影をしたことがありませんでしたが、パラパラと断片的なプリントがあります。これらのプリントは恐らく余ったフィルムを消化するために写したものではないかと思いますが、もう少しまじめに撮影しておくべきでした。

 

1.2500形2506+2505 (観音町~天満町:1979年2月)

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広電の市内線直通車は両運車の2000形に続き広電初の2連接車2500形が登場しました。
2500形は1次車2編成がナニワ工機製ですが、2次車3編成は自社工場製、3次車2編成は大阪車輌工業製です。形態は2000形の片運転台側を切ってつなげた感じですが、前面が若干傾斜して3枚窓の両サイドが2段窓となりました。また、前照灯も1次車は2000形同様の屋根上1灯ですが、2次車は屋根に埋め込みタイプのシールドビーム2灯化されました。

 

2.元大阪市電1601形の改造車2500形2512+2511 (荒手車庫:1978年2月)

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しかし、2500形の3次車(注1)は1,2次車とは全く異なる外観でした。表向きは1966年製の新製車ですが、実態は、元大阪市電1601形からの改造車です。改造は大阪車輌で実施され、大型の路面電車は見事に2連接車に変身しましたが、半鋼製車体はそのまま流用されたのでごまかしは効きません。なぜ3次車の2編成のみ元大阪市電1601形の改造車となったのかよく分かりませんが、その頃大阪市電は路線縮小の真っ最中で、余剰となった1601形、1801形などを広電が市内線用に大量購入していた時期だったので、新車の投資を抑える目的で改造車を導入したものと思われます。

(注1)2500形の車歴

・広電2501+2502,2503+2504:1961年ナニワ工機

・広電2505+2506~2509+2510:1964年自社工場製

・広電2511+2512,2513+2514:1966年大阪車輌工業

※2511+2512,2513+2514は、車体と台車を大阪市1601形から流用。

 (種車の内訳)

  広電2511←大阪市1617、広電2512←大阪市1630

  広電2513←大阪市1636、広電2514←大阪市1640

 

3.2連化された2000形2005+2004 (井口~荒手車庫前:1978年9月)

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 2000形の2連化は1979年に実施されました。2500形の様な2連接車とはならず、連妻寄りの運転室を撤去し、貫通化を行い2両連結車となりました。

 

4.名義上は元京阪電車の広電1050形1052 (新手車庫:1978年9月)

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両運の高床車である1050形(注2)は4両在籍しました。

この車両は元々京阪電鉄の木造車でした。戦後1947年に当時の京阪神急行電鉄から供出されて広電にやってきましたが、1953年にナニワ工機にて全金製の車体を新製し、広電タイプと言われるスタイルになりました。2ドア車ですがドア配置は非対称で路面電車の様です。

(注2)1050形の車歴

・広電1051,1052←京阪神229,230:1924年東洋工機製

・広電1053,1054←京阪神109,111:1924年梅鉢鉄工所製

1051,1052と1053,1054は種車の違いから制御装置が異なりました。後に輸送力増強で2連化される際には、同制御車同士がコンビを組みました。

 

5.広電の秘蔵子1060形1061 (井口~荒手車庫前:1978年9月)

f:id:kk-kiyo:20190127120133j:plain1060形(注3)は1050形の増備車ですが完全新製の自社発注車です。1形式1両で広電初のカルダン車であり、秘蔵子です。吊掛車ばかりの中で一際輝いていた車両で、この車両が来ると得をした様な気がしました。しかしその後の増備はなく、輸送力強化で2連化するにもパートナーがいないため優秀車でしたが、晩年は予備車となり生涯1Mを全うしました。

(注3)1060形の車歴:広電1061:1957年ナニワ工機

 

6.宮島線高床車が集う (荒手車庫:1978年2月)

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 41年前の荒手車庫の光景です。全て高床車で、現在の広電からは想像がつきませんが、これが本当の宮島線でした。

 

7.初代800形802の廃車解体 (荒手車庫:1978年9月)

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 広電市内線の800形と言えば路面電車では珍しいチョッパ車で現役車両ですが、写真の解体中の802は初代800形(注4)です。この車両は戦後初の自社発注車で6両製造され、12m級の広電路面電車タイプを確立しました。しかし、ドア配置が前,後2ドアだったので、神戸市電の大量譲受により1976年には5両が廃車され、802もそのうちの1両でした。

(注4)初代800形の車歴

・広電801~806:1951年ナニワ工機

※803は1両だけドア配置を前,中2ドアに変更し、801Ⅱに改番後ワンマン化されて1983年まで残存。

ところで802の解体中の写真はありますが、当時800形で唯一現役だった801Ⅱの写真がありません。それほど路面電車に興味がなかったのか間抜けな話です。それから、802の背景にちょっとだけ写っている錆だらけの車両ですが、これは西鉄から購入された元福岡市内線2連接車の1100形、1200形です。この車両は翌年には広電初の3連接車3000形に生まれ変わり、その後40年も使用されますが、この時点では朽ち果てそうな状態で保管されていました。