土佐電の市内線は伝統的に自社発注車の血統を維持していましたが、新製車はお金が掛かるからなのか、同じ四国の廃止された琴平参宮電鉄から1964年に3両を譲受したのにはじまり、1971年には廃止された下関の山陽電軌から7両を譲受しました。1994年当時は、すでに元琴平参宮電鉄の譲受車は在籍しておらず、元山陽電軌の7両が活躍していました。
1.703 (桟橋車庫:1994年8月)
山陽電軌からの譲受車である700形(注1)は3両、800形(注2)は4両の内訳でした。
700形も800形と外観はほぼ同じで、山陽電軌が廃止された1971年にまとめて移籍しました。全車とも山陽電軌時代にワンマン化されており、たいした改修もなく竣工しました。
2.703 (桟橋車庫:1994年8月)
(注1)700形の車歴
・土佐701~703←山陽軌701,702,704:1958年ナニワ工機製
3.703 (桟橋車庫:1994年8月)
700形も800形も単独で見るとスリムに見えますが、実は車体高が高く、土佐電の中では大きい方です。両形式共この時点ではまだ非冷房でしたが、700形は1997年に、800形は1999年までに全車冷房化されました。
4.702 (桟橋車庫:1994年8月)
3両しかいない700形ですが、703以外は広告電車でした。
5.801 (はりまや橋:1994年8月)
800形は4両全車が広告車になっていました。見た目は700形と全く同じ車両です。
(注1)800形の車歴
・土佐801~804←山陽軌801~804:1959年ナニワ工機製
6.1002、804 (桟橋車庫:1994年8月)
庫内には、標準塗装の1002がいました。
この1000形(注3)は、どこかで見たような外観の新車?です。しかし、車体を新製して西鉄北方線連接電車の臓物を流用した軽快電車モドキのニセ新車です。
7.1001 (桟橋通り五丁目:1994年8月)
(注3)1000形の車歴
・土佐1001,1002:1981年アルナ工機製
1000形は600形最終増備から18年ぶりの新車?となりましたが、2両しか製造されませんでした。その後の新車は更に19年飛んで2000年から2000形が3両導入されましたが、これも車体新製で臓物は200形から流用のニセ新車となり、2002年導入の3代目100形LRVまでは、新車の話題というより、イベント目的の輸入車が話題の中心となります。