ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第739話 1994年土佐:いにしえのLRT(その3)

さて、土佐電の桟橋車庫を一通り眺めたので、在籍車両の経歴について確認したいと思います。すでにご覧頂いた通り、古い車両は居ません。そして、意外とオリジナル車両が多く、車両の種類も規模の割に少ないです。私の場合、路面電車と言えば広電ありきだったので、土佐電の様な整然とした在籍車両は正直つまらないわけですが、かつてのLRTの成れの果てを発掘してみました。

 

1.215 (桟橋車庫:1994年8月)

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 まずは、200形(注1)です。この車両は土佐電近代化に貢献した車両で、それまでの小型単車を一掃した土佐電軌道線初の鋼製ボギー車です。なんとなく都電6000形に似ています。200形は皆同じ様な車両に見えますが、製造は1950年から1957年と長く、21両が車両メーカーや自社工場で製造されたため、機器や台車をはじめ外観も微妙に相違点が見られました。

 

2.202 (桟橋通五丁目:1994年8月)

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 (注1)200形の車歴

・土佐201,202:1950年日立製作所

・土佐204,205:1950年帝国車輌製

・土佐206~210:1952年日立製作所

・土佐211~214:1954年日立製作所

・土佐215~218:1955年自社製

・土佐219:1956年自社製

・土佐220,221:1957年自社製

※203が欠番になっています。 1950年日立製作所製の車両でしたが、事故廃車されました。

 

3.201 (高知駅前:1994年8月)

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4.204 (桟橋車庫:1994年8月)

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 200形は導入初年に5両製造されましたが、201~203が日立製、204,205が帝車製でした。この5両はほぼ同型の外観で、いずれも車体更新で正面窓の大型化、側窓上部固定窓のHゴム支持化が施されました。なお、帝車製は2両だけで、その後は日立製が続きました。

 

5.211 (桟橋車庫:1994年8月)

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 211からは前照灯が砲弾型の埋め込みタイプとなりました。それ以外は特別目立った変化はありませんが、実はこの車両は土佐電の元祖LRT車両でした。土佐電のLRT化は1954年から市内線電車が安芸線に乗り入れる形態でスタートしましたが、その後200形5両(211,212、219~221)が連結運転対応で、連結器付きの間接非自動制御化されました。この211はしばらくの間、安芸線直通専用として使用されましたが、やがて600形にその座を譲り、再び直接制御化されて市内線専用に戻りました。

 

6.215 (桟橋車庫:1994年8月)

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 215からは自社製造となりました。外観的には側窓の割り付けが変わり、1段下降窓となりましたが、それ以外は特に変化はありません。ただし、台車は初期車が日立製でしたが、215以降は川車製の軸梁式になったり、住金製の軸ばね式になったり一貫性がありません。

 

7.219、735 (桟橋車庫:1994年8月)

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200形の最終増備となった自社製の219~221も、直通用として一時期間接非自動制御化されていました。しかし、直接制御に戻された後は連結器も外されてしまい、かつてのLRT車両の面影はありません。 

ところで忘れてはいけない重要な車両が1両在籍していました。それは1形式1両の異端車だった500形501(注2)です。実は不覚にも501の写真が1枚もありません。

501は土佐電50周年を記念して製造された、いわゆる和製PCCカーです。土佐電初のカルダン車であり、元祖LRT車両でしたが、外観は200形と同じでパッとしません。そして、当時のカルダン車はいずこも同じく定着せず、土佐電でも1965年には直接制御化されてしまいました。このあたりの実情は、広電の551や神戸市電の1150形と同じ様です。501は吊掛車になった後も500形を名乗っていましたが、実際は外観も同様に200形に埋もれてしまいました。

(注2)500形の車歴

・土佐501:1954年日立製作所製(2002年廃車)