今回は大手の東急電鉄ネタです。
私は入社当時、東京の蒲田に勤務しておりました。京浜東北線で通勤していましたが、蒲田駅の西口には東急蒲田駅があり、当時は東急らしからぬ強烈なボロ電車を毎日の様に横目で見ていました。
私が学生の頃に、「目蒲線物語」というとても変な歌がはやりました。この歌は、東急電鉄なのにどうして目蒲線の電車は銀色(ステンレスカー)ではなくボロいのかという素朴な疑問の歌でした。確かに東横線や新玉線に比べると目蒲線や池上線の電車は雲泥の差でした。私の広島時代の高校の同級生が東京暮らしを始めた際に、東横線と目蒲線は違う会社の路線と思っていたくらいです。
しかし、そのボロ電車たちも平成になると一掃されてしまい、気が付くと、まともな記録写真は一枚もありません。またもや「灯台下暗し」をやってしまいました。そんな後悔の最中に、ハッと気づいたのが、同じく東急のボロ電車だった世田谷線です。
今回は、決してローカル線ではありませんが、都会の秘境的存在だった世田谷線の話題です。
1.上町車庫全景 (上町:1990年11月)
私は大手私鉄車両には興味がなく、もともと路面電車にもあまり興味はありませんでしたが、広電の路面電車に接した以降、多少路面電車にも興味を持つようになりました。しかし、世田谷線とはなかなか縁がなく、この1990年の訪問で初めて実態を知りました。
世田谷線の車両は更新こそされていましたが、結構古く、すべてが玉電の血統でした。よって、世田谷線は専用軌道にもかかわらず、全車が路面電車タイプです。1969年の玉電廃止後は、路線の規模が縮小されて廃車が多数発生し、一部の車両は江ノ電にも身売りされるなど車歴的にも興味深いです。
1990年当時は、3形式の車両が在籍していました。全ての列車は2連で運用されていましたが、どの車両も元は単行運転用の両運車で、玉電時代の1967年~1969年に一部を残して片運2連化されました。
2.デハ154+デハ153 (松原~下高井戸:1990年11月)
デハ150形(注1)は、当時世田谷線では一番新しい車両でした。とは言っても1964年製です。この電車が製造された頃はまだ玉電が健在でした。デハ150形は、側面腰板にコルゲートの入ったSUS鋼板を貼り付けているので、もしやステンレスカーかと思われますが、これは1983年の車体更新時に、従来の耐候性高張力鋼板をSUS鋼板に張り変えたもので、ベースは普通の鋼製車です。
(注1)デハ150形の車歴
・東急デハ151~154:1964年東急車輛製
3.デハ76+デハ75 (松原~下高井戸:1990年11月)
デハ70形(注2)は、世田谷線では一番古い車両で戦前製です。戦前製とは言っても、戦争直前の製造だったため、戦争に被ってしまい完成が戦後になった車両も含まれます。玉電縮小時には、歳の若い80形や200形が廃車されましたが、この70形は全車8両が生き残りました。
4.デハ78+デハ77 (松原~下高井戸:1990年11月)
70形は新製時は正面3枚窓で屋根周りに雨樋が付いたおとなしい車両でしたが、1978年~1982年に実施された車体更新時に正面4枚窓で張り上げ屋根のスタイルとなりました。この際に前照灯がオデコ1灯から腰部2灯化されましたが、なぜかデハ77+デハ78はオデコ1灯で残りました。
5.デハ74+デハ73 (松原~下高井戸:1990年11月)
1990年当時の世田谷線には、まだ新車の導入など全く話を聞きませんでしたが、その後1994年~1997年にデハ150形を除く全車が新製台車に交換されてカルダン化されます。この中途半端な投資には驚きました。非冷房なのにいったいいつまでこのボロ電車を使うのか?ところが、その後投入された新車デハ300形に、この台車が流用となりました。
6.デハ74+デハ73 (宮の坂~山下:1992年10月)
(注2)デハ70形の車歴
・東急デハ71~73:1943年川崎車輌製
・東急デハ74,75:1946年川崎車輌製
・東急デハ76~78:1944年川崎車輌製
7.デハ86+デハ85 (宮の坂~山下:1992年10月)
デハ80形(注3)は、どこかで見たような車両ですが、この車両は江ノ電にもいました。
元々同型車が28両もいましたが、玉電縮小時に余剰廃車となり、10両が世田谷線に残りました。この車両は、完全新製車は6両のみで、他の22両は木造車の鋼体化名義で機器も流用されていました。このため、世田谷線に残った10両は、デハ81~86が新製車両、デハ87~90が鋼体化車両で、このうち、鋼体化車両のデハ87~90が1970年に江ノ電に譲渡されました。
(注3)デハ80形の車歴
・東急デハ81~84:1950年日立製作所製
・東急デハ85,86:1950年東急車輛製
世田谷線は、「玉電の置き土産」ですが、わずか5km程の路線にもかかわらず、専用軌道なので大東急の隠れ蓑として健在です。現在は車両も置き替わり、ボロ電車ではなくなってしまい、もう「玉電」ではなくなってしまった感じです。