ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第102話 1986年三菱石炭 ストーブ列車を見に行く

1986年3月、暇な学生のうちに冬の北海道を経験しておこうと、北海道ワイド周遊券を購入して渡道しました。例によって夜行急行列車をホテル代わりとして、札幌を拠点に釧路、網走、稚内方面を何度も往復しました。しかし、北海道はローカル私鉄がほとんどなく、趣味的にはつまらないところでしたが、唯一のローカル私鉄だった三菱石炭鉱業鉄道のストーブ列車は冬にしか見ることができないので、これを見るため釧路から乗った急行まりも号を早朝の追分で下車し、夕張行きの気動車に乗り換えました。

 

1.遠幌駅に進入する一番列車の清水沢行き (1986年3月)

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  三菱石炭鉱業鉄道の起点である夕張線の清水沢には午前6時42分に到着。清水沢からバスに乗り三菱石炭鉱業鉄道の遠幌へ到着したのは7時30分頃でした。予定ではこの遠幌近辺で三菱石炭鉱業鉄道の清水沢行き一番列車を撮影し、その列車の折返しである南大夕張行きに乗って南大夕張の車庫へ行く計画でしたが、積雪が多くて走行写真の撮影は無理であることを認識し、寒い無人駅の遠幌で南大夕張行きまで1時間以上待つのも辛かったので、結局一番列車の清水沢行きに乗ることにしました。

上の写真は、一番列車の清水沢行きを遠幌駅のホームから撮影したものですが、列車は雪を掻き分けてやってきました。この雪原での撮影は自殺行為です。一番列車は混合列車ではなく客車のみの実質通学列車でした。

 

2.清水沢に停車中の南大夕張行き列車 (1986年3月)

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遠幌から乗った一番列車は、ボンタンズボンをはいた男子高校生がいっぱい乗っており、1970年代を彷彿していました。ところで、皆さん 三菱石炭鉱業の従業員の御子弟のようで、この通学列車は無料です。私は一般乗客なので乗車賃40円を払いました。当時は北海道の国鉄最低運賃は140円なので 三菱石炭鉱業鉄道の運賃は破格の値段でした。もっとも、この鉄道は運炭鉄道なので旅客収入など考えていません。

 

3.DL-55No.2 (1986年3月)

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 三菱石炭鉱業鉄道は1日に3往復しか旅客列車がありません。この3往復は南大夕張炭鉱の従業員とその家族の福利厚生のために存在しているようなものですが、通学の高校生以外はほとんど利用されていない様でした。よって気動車保有せず、運行される列車はすべてディーゼル機関車牽引の客車列車もしくは運炭貨車との混合列車でした。この鉄道は元々終点の南大夕張から先があり、かつては大夕張炭山までの路線で大夕張鉄道と称していました。大夕張炭鉱は1973年に閉山となり、新たに開鉱した南大夕張炭鉱からの運炭を目的に路線を南大夕張~清水沢間に短縮して社名を三菱石炭鉱業鉄道としました。社名が企業名なので専用鉄道みたいですが歴とした地方鉄道でした。

 

4.DL-55No.1が牽引する運炭列車 (南大夕張:1986年3月)

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 旅客列車は運炭混合を含めて3往復でしたが、その合間に運炭のみの貨物列車が運行されていました。かつて大夕張鉄道時代は9600形などのSLが活躍していましたが、1973年の路線短縮にあわせるように全てDL化されました。このDLはDL-55形(注1)と称し国鉄DD13形タイプの55t機で3両新製され、1987年の廃止まで活躍しました。

(注1)DL-55形の車歴:三菱石炭DL-55No.1~No.3:1973年三菱重工三原製

 

5.除雪車 (南大夕張:1986年3月)

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 少々の雪ならDLで蹴散らせばなんてことありませんが、やはり大雪に備えて立派な除雪車キ100形(注2)を1両保有していました。この除雪車国鉄キ100形に準じた車両ですが、大夕張鉄道の自社発注車です。

(注2)キ100形の車籍:三菱石炭キ1←大夕張キ1:1940年国鉄苗穂工場製

 

6.ナハフ1 (南大夕張:1986年3月)

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 ナハフ1(注3)は、大夕張鉄道が地方鉄道化されるときに三菱鉱業が発注した17m級の木造客車でした。1956年に井出組という何の会社か分かりませんが、そこで鋼体化されました。当初はナハでしたが1967年にナハフ化されました。唯一この路線生粋の客車で、写真に煙突が写っていますが、この車両も冬季は石炭ストーブを搭載していました。観音開きの貫通扉がいかにも北海道の炭鉱鉄道らしさを感じさせます。

(注3)ナハフ1の車歴:三菱石炭ナハフ1←大夕張ナハフ1←大夕張ナハ1:1937年日本車輌

 

7.ナハ5 (南大夕張:1986年3月)

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ナハ5(注4)は、1982年に廃車されて以降はダルマとなっていましたが、雪に埋もれてまともな写真も撮れない状態でした。この車両は元国鉄の17m級木造客車です。大夕張時代の1959年に泰和車輌で鋼体化したもので、ノーシル・ノーヘッダーの外観です。

(注4)ナハ5の車歴:三菱石炭ナハ5←大夕張ナハ5←国鉄ナル17702←国鉄ナハニ15560←国鉄ナハニ8395:1917年汽車会社製