ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第281話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その4)

明けましておめでとうございます。令和2年ですが、今日の話題も昭和61年です。

さて、雨でスタートした2度目の北海道ですが、標津線でようやく快晴に恵まれました。

標津線は、道東の根釧台地に存在した路線で、中標津を中核に、中標津標茶釧網本線)間47.1km、中標津根室標津間22.3km、中標津厚床根室本線)間47.5kmの3路線合計116.9kmを有する長大ローカル線でした。3方向の路線が全て標津線という奇妙な路線ですが、他に路線名を付けるほどの街がなかったのか?標津はそれほど何もなくデカイ地域でした。

そんな標津線で目を付けたのが、上武佐でした。上武佐はかつて開拓時代に殖民軌道が通っていた交通の要衝で、駅前には当時の名残である駅逓の建物が旅館として残っていましたが、それ以外は何もありませんでした。

 

1.キハ22127+キハ40形100番代 (上武佐:1986年8月)

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 上武佐は故 高倉健が主演した映画、「遥かなる山の呼び声」のロケ地でもありました。

そんなことは全く知らず、どうでも良いことでしたが、この近辺は道東特有の直線かつアップダウンの路線が一望できる場所として、かつては標津線のC11を撮影する人もいた撮影地でした。

 

2.キハ22135 (中標津~上武佐:1986年8月)

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 しかし、蒸気機関車亡きあと、だれが気動車の撮影にこの地を訪れたのか?、恐らく私くらいでしょうか。

 

3.キハ22135 (中標津~上武佐:1986年8月)

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 車両はどうしょうもないキハばかりですが、この風景がなんとも北海道です。

 

4.キハ22形2連 (上武佐~中標津:1986年8月)

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 幸いこの日は、キハ22形の確率が高くラッキーでした。しかしながら、タラコでなければ・・・。

 

5.上武佐駅 (上武佐:1986年8月)

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 木立に囲まれて、なんともノスタルジックな上武佐駅ですが、バイクが興覚めです。

こんな小さな駅ですが有人駅で、ちゃんと入場券を買って構内撮影をしました。

 

6.キハ22形 (中標津~上武佐:1986年8月)

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午前中の列車が行ってしまうと、次は2時間後です。

 列車を待つ間、カセットテープレコーダーのウォークマン松山千春を聞きながら、牧草地に寝転がっていました。

雲がゆっくりと流れて行きます。2時間くらいの「待ち」はなんてことありません。時間が経つのを忘れてしまいそうでした。

 

7.キハ22形2連 (上武佐:1986年8月)

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 8月の北海道は、早くも秋の雰囲気でした。

この時期になると道東は霧の時期を過ぎて、スッキリと安定した天気となりますが、すでに花の時期も過ぎており、少々物足りない感じです。