ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第563話 1987年JR北海道:もう一度最果て(その5)

この日も、昼頃には霧が晴れました。

 朝霧の走行撮影をした場所で、もう一度撮影です。私は普段から国鉄(JR)の車両に全く興味がありませんでしたが、標津線にこだわっていたのは、車両よりも沿線風景でした。

 

1.キハ22319 (上武佐~中標津:1987年8月)

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 霧が晴れると、全く違う場所の様です。今度はピントもしっかり合わせてバッチリ撮影できました。やはり天気が良くなければここに来た意味がありません。

 

2.キハ22114 (上武佐~川北:1987年8月)

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 キハ22114がやって来ました。また誰か窓から顔を出していますが、今度は撮影の邪魔はされず大丈夫でした。

 

3.キハ22249+キハ40132 (上武佐~中標津:1987年8月)

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 続いて、2連がやって来ました。キハ22形+キハ40形でしたが、幸いキハ22形が先頭だったのでラッキーでした。

 

4.キハ22114 (上武佐:1987年8月)

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 この日も少し曇ってきました。そろそろ撮影地の変更です。

 

5.キハ22114+キハ40131 (光進:1987年8月)

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 さて、移動と言ってもあてがあるわけではありません。適当に光進と言う無人駅で降りました。ここは駅を出るとジェットコースターの様な下り坂があり、これも標津線ならではの光景です。この写真は後追い撮影ですが、ちょうど勾配を上り切った列車が光進駅に停車したところです。

 

6.キハ22319+キハ22? (光進西春別:1987年8月)

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 光進の辺りは、アップダウンが連続しますが、曲線も多く、なかなか開けた場所がありません。

 

7.キハ40132 (泉川~多和:1987年8月)

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 思ったより、写真にならない場所でした。この日はこのへんで撤収です。明日は本州に向けて戻るので、この日の宿は釧路です。