ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第561話 1987年JR北海道:もう一度最果て(その3)

午後になると、霧は無くなりましたが、今度は曇ってきました。線路脇の草むらでアブと戦いながら撮影を続けましたが、同じ様な車両しか来ないのでいい加減飽きて来ました。

 

1.キハ22319+キハ22116 (上武佐~川北:1987年8月)

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今度は、先程キハ27形の回送を連結して4連だった列車が、根室標津から折り返して来ましたが、なぜかキハ27形の姿が見えません。

 

2.キハ22319+キハ22116 (上武佐~川北:1987年8月)

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ところでこの日は、まだ泊まる場所を決めていませんでした。昨晩は根室標津の民宿で相部屋になるほど混んでいたので、早めに宿探しが必要ですが、そう言えば上武佐駅の目の前に確か旅館が1軒あったような・・・

 

3.上武佐駅 (上武佐:1987年8月)

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・・・で、撮影の合間に上武佐駅に戻りました。

この駅前に旅館などある訳ないようですが、この駅前の左側に荘厳な木造建築がそびえていました。

 

4.謎の旅館 (上武佐:1987年8月)

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それが、この怪しい旅館でした。ちゃんと「旅館」の看板までありますが、泊まるのをためらってしまいそうな建物です。

勇気を出して尋ねると・・・廃業でした。ガッカリなのかホットしたのか?

ところで、この廃業旅館ですが、ただものではありませんでした。実はこの建物は、いにしえの北海道殖民軌道武佐線の駅逓でした。まだ標津線が開通する前の大正時代に開拓者のめに敷かれた殖民軌道の拠点だったと言うことです。そんな話を聞くと、泊めてもらいたかったですが、廃業ではどうしょうもありません。

 

5.キハ22114 (川北~上武佐:1987年8月)

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 宿はあきらめて、撮影を続けました。キハ22114はこの日の朝に乗った車両です。もう釧路から戻ってきました。マナーの悪そうな乗客が窓から身を乗り出して、思いっきり撮影を邪魔されました。もしかして、この乗客は茨城あたりから来た「箱乗り常習者」かも知れません。この頃の車両は、まだ側窓が全開出来ましたが、それでも「落っこちるバカ」はいませんでした。

 

6.キハ22114 (上武佐~川北:1987年8月)

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 さて、キハ22114を撮ったら、真剣に宿探しです。ここにいても埒が明かないので、中標津方面に移動です。中標津は大都会?です。きっと宿もなんとかなるでしょう。

 

7.武佐岳温泉のパンフ

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 そして、中標津の公衆電話の電話帳で目に入ったのが、民宿の武佐岳温泉でした。なんと上武佐駅から徒歩1分!! もしかしてあの廃業旅館ではないかと疑いましたが、どうも新しそうです。ためしに電話を掛けたらちゃんとやってました。上武佐なら、明日も朝から撮影に便利です。よってこの日は武佐岳温泉に泊まることになり、上武佐にトンボ帰りです。

 

8.武佐岳温泉のパンフ

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少々脱線しますが、この武佐岳温泉は当時出来たばかりのホヤホヤでした。あの廃業旅館の目の前といっても良い程、本当に目の前にありましたが、全く気が付きませんでした。この日の宿泊客はたったの2名でした。宿の御主人のはからいで、夕食後に開陽台に車で連れて行ってもらい中標津の夜景と満点の星空を鑑賞しました。これで一泊2食付き3800円也。しかも温泉付きの格安です。しかし、この武佐岳温泉は現在なくなってしまいました。