今回は最果てシリーズの最後となりました。
最後は釧路付近で見かけた、あの頃の車両をまとめてみました。
「ひょうきん族」とは、当時フジテレビで放映されていた伝説のお笑い番組のタイトルにもありましたが、こんな最果ての地にいたこの2両は、まさに「ひょうきん族」でした。線路脇で何を語っているのか、思わず写真を撮ってしまいました。これも一応車両です。保線用のモーターカーですが、こんなのが酷寒の地で役にたっていたのか?
2.キハ2732+キハ27? (別保:1987年8月)
北海道最終日は、本州に向けて終日移動となるので、朝のうちに釧路近辺で車両を撮影しました。根室本線ではキハ27形の2連が普通の運用に充当されていました。もしこれがキハ28だったら、恐らく撮っていません。
3.キハ40120 (釧路:1987年8月)
もうどーでも良いキハ40形100番台ですが、一応まともな形式写真を撮っていました。これも100番台でなかったら、恐らく撮っていません。
4.キハ40219+キハ40?+キハ54518 (釧路:1987年8月)
キハ40形100番台は、道東ではまだ新車扱いでしたが、この編成の一番奥に、もっと新しいのがいました。
5.キハ54518 (釧路:1987年8月)
これが当時の最新車だったキハ54形500番台です。この車両は国鉄がJR北海道に贈った最後の手切れ贈呈品です。ようやく北海道にも直噴式機関を搭載した一般車が配置されました。しかもSUS車です。でも完全新製車ではないのが玉に瑕!!トルコンと台車は中古品流用で、三セク向けNDC志向の残念な新車でしたが、現在もまだ頑張っています。
6.キハ27104、キハ183-500台 (釧路:1987年8月)
そして、釧路と言えば、特急「おおぞら号」です。実は、この写真の「おおぞら号」でこの後、札幌に向かいました。
その後、1989年4月に標津線が廃止されました。もう北海道に行く目的もほとんどなくなってしまい、あれから北海道を訪れたのは13年後の2000年の夏でした。その時は鉄道の撮影が目的ではなく、プライベートな旅行でしたが、釧路から根室、別海、知床、網走とレンタカーで巡る途上で、奥行臼、上武佐を経由しました。すでに標津線は自然に帰っており、そこに鉄道があったことなど想像もできない変貌ぶりでした。