茨城交通湊線の海水浴列車は、朝から午前中いっぱい「行き」のピークが続きました。
天気も良く、どの列車もラッシュ並みの混雑です。
1.キハ111+キハ113+キハ112 (金上~中根:1987年7月)
キハ11形の3連がやって来ました。旧塗装の編成美?です。キハ11形は国鉄時代の写真を1枚も撮影していませんでしたが、茨城交通に払い下げられた車両を撮ることになりました。
2.キハ112+キハ111+キハ113 (平磯~磯崎:1987年7月)
私にとってはどーでも良い車両でしたが、この先この車両達は、更なるCI化の塗装変更でアメリカン系となり、更にイベント志向により旧国鉄色にも。再三の塗り替えで見世物と化しましたが、最後まで残ったキハ112は2005年まで生き延びて除籍されると、鉄道博物館が引き取り殿堂入りします。こんな車両でも時が経てば記念物になるというお手本の様にも思えますが、見てくれだけで好き嫌いを言ってはダメです。実はこの車両は国鉄制式の液体式気動車量産化の先駆けであるキハ10系一族で、一応功績をたたえられたわけです。
3.キハ1002 (那珂湊:1987年7月)
この日、元留萌のヘソ電は那珂湊で待機していました。この車両とケハ601は出番がありませんでした。キハ1002は、日立製作所製の珍しい私鉄向け気動車で、もう1両同形車のキハ1001がいました。キハ1001は雨漏りがするとかで、一足先に廃車され、そのエンジンがキハ1002へ移植されました。キハ1002もCI化により白装束になってしまいましたが、あまり出番ははく、1989年には廃車されました。この車両には1977年に乗車しましたが、結局走行写真は撮らずじまいでした。
4.キハ1002の車内 (那珂湊:1987年7月)
元留萌のヘソ電の車内です、前方の妻面に前照灯のカバーが内側に出っ張っているのがちょっとだけ見えます。座席のモケットがかなりくたびれています。これでは都会から来た海水浴客に恥ずかしくて走らせなかったのか?
5.キハ1103の車内 (那珂湊:1987年7月)
こちらは、元留萌のヘソ電ではない方の湘南顔気動車の車内です。この車両は、この日の午前中走っていました。ところで、当時の茨城交通は、キハ11形とケハ601以外の車両はすべて北海道の炭鉱鉄道からやって来た酷寒地仕様の車両でした。冬は過剰なほど暖房が効いてサービス満点ですが、夏の海水浴列車にはちょっと・・・。このキハ1103も夏は暑そうな車両でした。