この鉱山軌道の存在を知ったのは、40年前に購入した「知られざるナローたち(丸善出版)」という鉄道誌でした。その雑誌には、尻屋鉱業所の冬の様子が掲載されていましたが、日本にもこんな場所があることを知り、早速地図を買って所在地を調べたりしましたが、なかなか出向く勇気がなく、訪問が現実となったのは31年前の1988年でした。
1.№2空車列車 (鉱業所付近:1988年5月)
写真は、選鉱場のループ線から出てきた空車列車が複線に合流するところです。
2.№3積車列車 (鉱業所付近:1988年5月)
複線区間を走る積車列車です。平行する道路は尻屋崎に通じる一般道です。田名部から乗ったバスもこの道路を通ります。観光名所の尻屋崎はここから2kmほど先にありましたが、行かなかったのでどんなところかわかりません。
3.№6積車列車 (鉱業所付近:1988年5月)
後方は下北半島の恐山方向です。この日は靄で見えませんでしたが、ここから恐山が望めます。
4.№1空車列車 (鉱業所付近:1988年5月)
複線区間の途中には、軌道をまたぐ陸橋がありました。
後方にダンプカーが写っていますが、見比べるとこの機関車の大きさがよくわかります。それから、機関車が白煙を吐いていますが、これはこの機関車が鉱山用の防爆仕様のため、排気ガスを水に通して排気するのでこの様に蒸気混じりの煙が出ます。
5.№6積車列車 (鉱業所付近:1988年5月)
鉱石列車は、グランビ鉱車を18両牽引しました。
6.昼休み中の№6と鉱石列車 (鉱務事務所前:1988年5月)
鉱石列車には休憩時間がありました。これは昼休みの時間帯に写したものですが、複線区間の途中にある鉱務事務所前が休憩時間の列車待機場になっており、ここに4列車が集結します。
7.昼休み中の№1と鉱石列車 (鉱務事務所前:1988年5月)
この写真も昼休み中の様子です。この場所には写真の右に写っている給油設備が設置されていました。
また、鉱務事務所前には車庫がありました。この写真の左奥に写っているのが車庫の建物です。