ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第299話 1986年日本セメント上磯:突然の工場見学

1986年3月の北海道旅行の最後に、気になっていた上磯の日本セメント専用線に出向きました。そこは、古くから2軸の古典凸型電機がいたことで有名で、これを見るのが目的でした。

この路線は、現在の道南いさりび鉄道(旧津軽海峡線上磯駅の近くにあるセメント工場から、V字に2路線が鉱山に向けて敷設されていました。石灰石鉱山へ向かう峩朗(がろう)本線という6.3kmの路線と、もう一方は粘土鉱山に向かう万太郎沢線という3.7kmの路線で、どちらもDC600Vの電化路線でした。

1986年当時はすでに峩朗本線は石灰石輸送をベルトコンベア化されており、鉄道の使用は副原料のみになっており、列車本数は峩朗本線は5往復程度、万太郎沢線は8往復程度運行されていました。

しかし、車庫はセメント工場内にあるため勝手に入れず、とりあえず正門の守衛さんに車両の撮影許可をお願いしました。大変親切な守衛さんで、工場内のあちこちに電話をかけてもらい、しばらくすると総務関係の方が来られて、突然の訪問にもかかわらず、応接室に通して頂き、せっかく東京から来たのだからと、まずは会社案内のビデオを見せてもらい、お茶までご馳走になり、なんと車で工場見学となりました。

 

1.10号機、9号機 (上磯工場:1986年3月)

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広大な工場のセメントプラントを1時間ほどかけて見せてもらい、一応工学系の学生だった私にとっては大変興味深い接待を受けた感じでしたが、 なんだか、何をしに来たのかわからなくなってきました。そして、見学の終盤?と思えるタイミングで、意を決して、電気機関車を見せてもらえないかお願いしたところ、今日は走っていないとのことで、写真だけ撮らせてもらうことになりました。

 

2.10号機 (上磯工場:1986年3月)

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 車庫には電機が集結していましたが、一部は鉱山に上がっており、不在とのことで、お目当ての凸電5号機も車庫にいませんでした。聞くと5号機はすでにほとんど使用されていないそうで、1両だけ峩朗本線の鉱山側で入換用に待機しているとのことでした。

鉱山は車庫から結構距離があり、しかも積雪があったのでこの日は5号機を見ることができませんでした。

 

3.9号機 (上磯工場:1986年3月)

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 車庫には主力機の9号、10号が休息していました。この車両は東洋電機の電機品を使用して東洋工機で製造された機関車で、デッキ付きの箱型35t機です。電制付きで耐寒仕様車です。

この専用線はいわゆる地方鉄道ではなく、当時の通産省管轄の専用鉄道でしたが、車両は一般鉄道に遜色ない機関車でした。

 

4.7号機 (上磯工場:1986年3月)

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 7号機は日立製の凸型25t機です。戦時設計の簡素なデザインですが、運転台は両方向にそれぞれ設置されていました。当初は鉱石列車を牽引していましたが、9号、10号の増備により国鉄との貨車受け渡しの入換機となりました。しかし、1985年に国鉄の貨物輸送がトラックに変わり、以降は失業状態でした。

 

5.6号機 (上磯工場:1986年3月)

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 6号機は東洋電機の電機品を使用して日本車輌で製造された戦前製の凸型25t機です。

キャブの出入り口が妻面にあるためボンネットが側に寄った形態です。運転台が両方向にそれぞれあり、回生ブレーキ、空気ブレーキを備えた本格的な電機機関車でした。

 

6.6号機 (上磯工場:1986年3月)

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電気機関車の車歴)

・5号機:1923年汽車会社(東洋電機)製

・6号機:1935年日本車輌(東洋電機)製

・7号機:1948年日立製作所

・8号機:1952年日本車輌(東洋電機)製

・9号機:1959年東洋電機製

・10号機:1961年東洋電機製

この日、車庫にいなかったのは、5号機と8号機でした。

5号機は、電磁吸着ブレーキ付きの珍しい車両で、当初同型車が5両在籍していました。しかし、ボギー式の大型電機が入線して入換用に転じ、徐々に廃車となり、1986年時点では5号機のみとなってしまいました。

8号機も凸型25t機で、性能的には6号機同等でしたが、形態は丸味のある7号機と言った感じの車両でした。

 

7.鋼製人車 (上磯工場:1986年3月)

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 そして、車庫の片隅で雪に埋もれた奇妙な倉庫を発見し、近づいてみると客車でした。

この専用線では、かつて鉱山への通勤輸送も行っていたそうで、そのころの客車が放置されていました。この客車は1963年頃まで使用されていたそうで、他にも木造車や大小様々な客車がいたそうです。積雪が多く、そばまで行けなかったので、車号など確認できませんでしたが、おそらく1957年製の201号という鋼製2軸車のようです。

 

8.1号機の模型

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 この日はお目当ての5号機が不在で残念でしたが、何とか専用線の他の電機を撮影することができました。5号機のリベンジをいつかは晴らそうと思っていましたが、この路線は1989年に廃止となってしまい、リベンジできませんでした。

そんなわけで、5号機と同型の1号機の模型写真をご覧いただきます。この模型は安達製作所の1/80HOゲージです。20年以上前に天賞堂でキットを購入して組んだものです。この機関車はボンネット上のベルがチャームポイントです。

 

廃止後、5号機以外の車両はすべて廃車解体されてしまいました。なお、5号機と同型の2号機は、一足先に廃車され生まれ故郷の東洋電機に返還されて、現在も東洋電機の横浜製作所で保存されています。そして、5号機も上磯町で保存されています。

ところで、この訪問のあとで、工場案内をして頂いた方から、機関車に関する資料の青焼きを送って頂きました。突然の訪問者にここまで親切にしていただき感激以外のなにものでもありません。その時は、お礼に7号機の写真を6ツ切に引き伸ばしてお送りしました。突然の訪問にもかかわらず親切に工場案内頂いたことは今でも鮮明に覚えています。もうずいぶん月日が流れてしまいましたが、改めまして、この場をお借りして御礼致します。