ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第401話 番外編:趣味は別腹!あの頃を顧みる (その2)

走行装置の目途がついたので、次は車体の模型化です。

車体の留意点は、どこまで忠実にそれらしく表現するかです。当時はスケールモデルにこだわっていたので、ディテールを甘くするわけにはいきません。 イメージを何枚も描きました。

そして、それまでの車体は加工が容易なプラ板製でしたが、この模型は細かな細工や強度を考慮して、初のオール真鍮製となりました。


1.太平洋炭鉱8t機 No.3号の車体分離

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車体を作り込むには、必然的に上下分離となりました。 上回りの車体はt0.3真鍮板を切り出して箱組みし、下回りの台車枠は、t1.0真鍮帯板接合としました。これらの作業は全てケガキ、切り抜き、半田の組立の繰り返しで、非常に時間がかかりました。中途半端な空き時間では作業にならず、まとまった時間を得るために作業は夜中になりました。しかし、ここで問題が・・・。糸鋸で真鍮を切る音、ポンチを叩く音、その他諸々の騒音が家中に響き、時には強烈なシンナー臭も、夜中だったので父親から何度怒鳴られたことか。当時私はまだお気楽な独身だったので、家族のことなど何も考えておらず、怒鳴られながらも坦々と製作を進めました。模型作りは時として家庭不和の原因にもなりかねません。結婚してから模型作りをやめてしまったのはこれが理由なのかも・・・。


2.太平洋炭鉱8t機 No.3号の台車枠フロントエンド

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台車枠最大の難関はカプラーでした。これも半田細工ですが、この様な小物の半田付けは、一瞬が勝負です。もたもたしていると、全体に熱がまわってしまい、あっという間にバラバラになってしまいます。融点の異なる半田を使用することも考えましたが、ものが小さいので熱がまわってしまえば同じ事です。その苦い経験から対策として、予め部材を半田に頼らずにしっくりと仮組みしておき、半田付けはバックアップ程度としました。それでも油断しているとバラバラに・・・。


3.太平洋炭鉱8t機 No.3号の台車枠バックエンド

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 バックエンドは自動連結装置でカプラーが隠れていますが、手抜きはしていません。ちなみに自動連結装置は可動式になっています。

当時はこんなパーツを1点1点作図して切り出し、何度も作り直しては、出来の良いものを組合わせるしかありませんでした。 改めてこのカプラー製作に掛けた労力、気力の無駄使いはいったい何だったのか、きっと何かに取り憑かれていたのでしょう。当時はこれを乗り切るパワーもありましたが、今は無理です。

4.太平洋炭鉱8t機 No.5号の台車枠サイドフレーム構成図

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台車枠には、貫通する細かな切り欠き穴がいくつかあいていますが、これを糸鋸で抜き取るのは至難の業です。瞬時にして鋸刃を何本も折り、早々に糸鋸は断念し、思案したあげくが上図のように半田による帯板の接合でした。これも骨の折れる作業でしたが、出来上がりは意外にもシャープで見栄えが良く、大成功でした。

5.太平洋炭鉱8t機No.3号の分解状態

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このように製作は、動力装置、台車枠、車体に分けて進めました。3両の電機をほぼ並行生産していましたが、こんな調子で完成まで5年も掛かりました。相当なパワーと時間を費やしたことになりますが、確実に言えることは、世のため人のためには、なにも役に立っていません。まさに自己満足の世界です。趣味とはこんなものなのでしょうか?

 

6.太平洋炭鉱8t機No.10号の外観

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 これらの模型も完成から25年が経ちました。さすがに真鍮製なのでプラ板の様な劣化はありませんが、塗装の剥離が深刻です。いずれ再塗装をしなければなりませんが、同じ様なナンバー標記を探さねばなりません。

 

 7.太平洋炭鉱8t機No.5号の外観

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今回の番外編では、若かりし頃を回顧しましたが、本当に老いぼれてしまう前に、もう一度くらい模型作りに没頭したいという思いがあります。しかし、思いは募るばかりでなかなか行動が伴いません。何がネックなのか?様々な思いが迷走しています。