今回は1988年10月に、伊豆箱根鉄道大雄山線の旧型車を見に行ったついでに立ち寄った箱根登山鉄道の話題です。
箱根登山鉄道といえば、昨年の台風19号で甚大な被害に遭い、9ヵ月もの運休と被災復旧の御尽力により、昨日ようやく運行再開を果たしたばかりです。まずは一安心ですが、昨今の異常気象が再び被害をもたらさないよう祈るばかりです。
さて本題ですが、1988年当時の箱根登山鉄道は、1000系ベルニナ号が2編成投入された以降は特に変化がなく、まだまだモハ1形、2形、3形が主力として健在でした。
1.モハ110+モハ2形 (入生田:1988年10月)
ところで、この時は時間も中途半端だったので沿線撮影は諦めて入生田車庫の主に会いに行きました。
この頃はまだ登山電車が小田原まで直通していました。さすがに2連はラッシュ並みの混雑で観光地の電車としてはどうかと思いましたが、その後3連化されました。しかし、いつの間にか小田原~箱根湯本間は小田急の乗り入れ列車に輸送を委ねて、箱根登山鉄道の列車はこの区間の旅客輸送から撤退してしまいました。 なお、小田原~箱根湯本間は現在も箱根登山鉄道の路線で、車庫が入生田にあるため、入生田~箱根湯本間は3線軌道になっています。
2.モハ114検車入場中 (入生田:1988年10月)
この日はモハ114が検査入場中でした。箱根登山鉄道の電車はベルニナ号以外は皆同じスタイルの古めかしい車両でしたが、モハ101~107(105は欠番)はモハ1形(注1)、モハ108~112はモハ2形(注2)、モハ113~115はモハ3形(注3)に区分され、1988年時点では、モハ113,114がすでに廃車され、モハ2形のモハ108~110はカルダン化されていました。
(注1)モハ1形の車歴
・箱根登山モハ101~104,106,107←チキ1~4,6,7←チキテ1~4,6,7:1919年日本車輌製
(注2)モハ2形の車歴
・箱根登山モハ108,110←チキ8,10←チキテ8,10:1927年日本車輌製
・箱根登山モハ109←モハニ109←チキテ9:1927年日本車輌製
・箱根登山モハ111~112←チキ111~112:1935年川崎車輌製
(注3)モハ3形の車歴
・箱根登山モハ113~115←チキ113~115:1935年川崎車輌製
モハ1形は開業時に導入された車両で、増備車のモハ2形モハ110までは日本車輌製で1,2等荷物室合造の木造車でした。モハ2形モハ111からモハ3形モハ115までは川崎車輌製の鋼製車となりましたが、1950年代に日本車輌製の車両も川崎車輌製と同様なスタイルの車体に鋼体化されました。
3.ム1 (入生田:1988年10月)
さて、お目当てはこの貨車の様なボロ電車です。ちゃんとポールが付いています。
この車両はム1(注4)という正体不明の無蓋電動貨車です。大正時代からいるそうですが、以前は2両存在していたそうです。残ったム1は荷台に木材を満載していましたが、用途が不明です。連結器が朝顔型なので列車の入換にも使用できず、毎日車庫で何をしているのか?しかし、登山電車の血統なので一人前に電磁吸着ブレーキ付きでした。
4.ム1 (入生田:1988年10月)
この時はこの車両を見るために入生田まで来ましたが、一度見ればもう十分と思っていたら、1992年に廃車になってしまいました。
(注4)ム1の車歴
・箱根登山ム1:1916年日本車輌製
5.クモハ1002+クモハ1001 (入生田:1988年10月)
帰りは、入生田のホームで待っていたら、1000系ベルニナ号(注5)が来ました。当時はベルニナ号も2連で、往年の小田急ロマンスカー塗装でしたが、屋根上の箱は抵抗器で非冷房でした。
1000系は2編成導入されましたが、1989年からは設計変更された冷房車の2000系が導入されました。
(注5)1000系の車歴
・箱根登山クモハ1001+クモハ1002:1981年川崎重工製
・箱根登山クモハ1003+クモハ1004:1984年川崎重工製
ロマンスカーもやって来ました。フィルムが余ったのか、なぜか撮影していました。まだLSE車が新車扱いされていた頃ですが、懐かしい旧塗装です。気が付けば、この電車も引退してしまいました。
7.モハ110+モハ2形 (入生田:1988年10月)
この日は入生田車庫をさらっと見て 、このモハ110に乗って帰りました。
その後、箱根登山鉄道には、1992年に訪問しています。その時は沿線撮影を行いましたが、さすがに登山電車だけあって、まともに撮影できる場所がほとんどなく、過酷な路線条件であることを認識しました。そんな路線なので、災害が発生すると復旧が大変です。再び災害に遭わないよう祈るばかりです。