ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第502話 番外編:NDC考察(その3)

今回は、新潟鐵工の第三セクター向け気動車の第2弾となった神岡鉄道向けKM-100形、KM-150形と、第3弾となった由利高原向けYR-1000形の話題です。

 

1.新潟鐵工NDCのPRパンフレット抜粋

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 このパースは、新潟鐵工NDCのPRパンフレットに掲載されていたものです。外観デザインは当時製造された神岡鉄道向けのKM-100形、KM-150形のようですが、この気動車はNDCモドキでした。

 

2.神岡鉄道KM-100形、KM-150形カタログ抜粋

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 神岡鉄道は、国鉄神岡線1984年に第三セクター化して開業した路線です。国内2番目の赤字転換路線でしたが、開業に当たり、わずかに2両の気動車が新潟鐵工に発注されました。

 

3.神岡鉄道KM-100形、KM-150形カタログ抜粋

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タイミング的には、三陸鉄道の開業後で、新潟鐵工としてもNDCを模索していた頃ですが、たった2両のために思い切った設計変更は行わずに、手堅く三陸鉄道の仕様をベースにしたのは賢明だったと思われます。しかも、そうとう低廉化を要求されたのか、エンジンを除く主要機器や台車は国鉄キハ20系の中古品の流用でした。なんだか、関東鉄道のキハ310形以来のしみったれた発想が、こんなケースで根付いてしまったとは、メーカーにしてみれば儲けにならない商売です。

 

4.神岡鉄道KM-100形、KM-150形カタログ抜粋

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 しかしながら、話題性のある第三セクターをどう盛り上げるのか。メーカーの腕の見せ所も変わってきました。

どうせお客が乗らない列車なので、車内にカラオケと囲炉裏でも載せてしまえ!との、鶴の一声があったのかどうか?この車両あたりから、大衆向けイベント車両がはやり始めたような気がします。

 

5.神岡鉄道KM-100形、KM-150形カタログ抜粋

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 ところで、神岡鉄道は残念ながら主力であった濃硫酸輸送が2004年に廃止された以降は悲惨な経営状況となり、2006年12月1日に廃止されました。

 神岡鉄道KM-100形、KM-150形の足跡は、その後増殖する第三セクター化路線向けのNDCにイベント車というオプションを定着させたことにあると思います。

 

続いて、由利高原鉄道です。

由利高原鉄道は、国鉄矢島線を1985年に第三セクター化して開業した路線ですが、この頃になると、各地に同様な赤字転換路線が増殖し始め、当時新潟鐵工のコンペチターであった富士重工の新型レールバス(LE-Car)があちこちに登場します。あせる新潟鐵工もいよいよNDCを実用化するため、初のNDC基本仕様となる15m級の軽快気動車由利高原鉄道向けに4両納入しました。

 

6.由利高原鉄道YR-1000形カタログ抜粋

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 このYR-1000形は、ほぼ新潟鐵工NDCのPRパンフレットに記載された諸元の車両ですが、貫通タイプとなり、エンジンも横型機関の6H13ASが採用されました。そして、中古機器を採用しない完全新製となりましたが、台車は律儀にPRパンフレット通りの偏心台車(NP-117)だったので唖然!!。冷房は地域性のためか、けちったのか非冷房です。今回は囲炉裏もカラオケもない、真面目な車両となりましたが、この車両の採用にあたっては、この路線の特性から、特に冬場の積雪に対し、軽快な車両よりも頑丈な旧態然とした鉄道車両が欲しいという考えがあったようです。

 

7.由利高原鉄道YR-1000形カタログ抜粋

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この車両の実用化で、NDCが現実のものになりましたが、まだまだ確定的ではありませんでした。

 

8.増備車YR-1005

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ところで、YR-1000形は1988年にもう1両増備されます。その頃はNDCもバージョンアップしていましたが、この増備車は、前照灯の追加など若干のマイナーチェンジを図った程度で、在来車とほとんど同じ仕様で製造されました。しかし他社のNDCに影響を受けたのか、真面目な由利高原鉄道もカラオケ、ビデオデッキ付きのイベント仕様となりました。