NDCの標準タイプが出そろうと、次はアレンジバージョンが現れました。それがJR北海道向けに初の酷寒地用NDCとなったキハ130形です。
キハ130形は日高本線に11両が導入されました。アイボリーに緑と水色のラインがいかにも軽快そうで、とても酷寒地の車両と思えません。
1.JR北海道キハ130-5
JR北海道には、国鉄末期に三島対策として、酷寒地用の一般及び急行型のキハ54形が投入されましたが、ローカル線の実態はキハ22形、キハ40形100番台がほとんどで、特にローカル線向けに燃費の良い軽量車が欲しかったわけです。しかし、JRになってからはローカル列車にお金が掛けられないため、とうとうNDCに白羽の矢が立ちました。JRへのNDC投入は、国鉄末期の四国へ投入されたキハ32形というNDCモドキに続き2例目でしたが、今度は本当のNDCでしかも初の酷寒の地です。NDCの製造メーカーである新潟鐵工所と言えば、かつては酷寒地用気動車のディーゼル化やトルコン化を手掛けた、国鉄時代からの酷寒地の強い味方だったので、なんとかなるだろうと思われたのでしょうか。
2.JR北海道キハ130-5の車内
しかし、出来上がった酷寒地用NDCのキハ130形は、見た感じいつものNDCと変わりません。北海道と言えば、デッキ付き、2重窓が当たり前?ですが、キハ130形は、デッキなし、窓は普通の2段サッシでした。やはり「安かろう悪かろう」なのか?まあ、過去の車両を思い起こせば、元国鉄のキハ21や雄別鉄道などにいた気動車などもデッキなしでしたし、時代も変わりキハ130形は直噴式エンジンなので始動もまずは問題なく、暖房さえ効いていれば大丈夫でしょう。と思ったのは私だけか?
ところでキハ130形の車内は、設備こそNDCですが、室内色がなんとも地味な国鉄色でした。せっかくJRになったのに・・・。
3.JR北海道キハ130形カタログの抜粋
カタログを見ると、この車両は軽快気動車ではなく、軽気動車となっています。
キハ130形のベースになったのは会津鉄道向けのNDCでした。車両長は16m級で酷寒地仕様に改良し、台車はNP120タイプの空気ばねですが車輪径がJR仕様のΦ860となり、まずはお試しの5両が1988年に導入されましたが・・・。
4.JR北海道キハ130形カタログの抜粋
しかし、NDCにとって北海道は甘くありませんでした。致命的だったのは華奢な構体でした。2度の踏切事故に遭遇し、1度目は運転室が大破して運転士さんが大怪我を負いました。2度目は車両が丸々大破して廃車。これらは事故でしたが、それ以外にも環境に不適合を生じ老朽化が著しく、わずか14年で重量級の先輩であるキハ40系にバトンタッチして全廃の運命でした。結果的には「安かろう悪かろう」でした。このため、キハ130形はJR北海道の他線区には展開されませんでした。
ところが、このキハ130形と同型車が北海道の赤字転換路線である池北高原鉄道に登場しました。
5.池北高原鉄道CR70,75形カタログの抜粋
池北高原鉄道は、1989年に元国鉄池田線を第三セクター化した路線でした。石北本線の北見と釧路本線の池田を結ぶ路線長140kmの長大ローカル線でした。開業の時期的にJR北海道が導入したキハ130形を導入せざるを得なかったと言うか、選択の余地がなかったため、キハ130形と同型車をCR70,75形として、本家のJR北海道よりも多い12両を導入しました。
6.池北高原鉄道CR70,75形カタログの抜粋
こちらの路線は、海こそありませんが、日本一寒い地域で真冬には氷点下30度にもなる日があり、これまたNDCにとってはこの上ない過酷な路線でした。しかし、こちらのCR70,75形はあまり悪評が聞こえてきませんでした。きっと、「おらが町の鉄道」として大切に使用されたのでしょうか。
池北高原鉄道は、21世紀になると輸送需要の低下と長大路線がお荷物となり、2006年4月20日をもって廃止されました。廃止までの17年間は輸送需要の低迷で余剰となった2両のCR70形が廃車になった他は路線廃止まで健在でした。廃止後は6両が動態保存として残り現存しますが、はるか南国のミャンマーへ3両が譲渡されました。廃止後もまだまだ活躍できる余力を持っていた様ですが、JR北海道のキハ130形とは何が違っていたのか?池北高原鉄道のCR70,75形だけを見る限り、この酷寒地用NDCは「安かろう悪かろう」ではなく、日本一寒い地域でそれなりの任務を果たしたように思えます。