ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1353話 1994年錦川:NDC16m標準車の頃(その2)

雨の錦町は中国山地とは言え、2月は肌寒く、駅前に降り立った際に、どうしてここに来てしまったのか、ためらう程でした。しかし、雨は小降りとなり、せっかくここまで来たので、少しだけ沿線撮影をしました。

 

1.NT2106 (錦町:1994年2月)

雨は小降りですが、霧が酷くて視界がはっきりしません。しかも、もともとNDCの撮影など予定になく気合も入りません。

 

2.NT2004 (錦町:1994年2月)

そう言えば、この頃JR西も非電化のローカル線向けに、このNDCタイプのキハ120形を各地に投入しており、ちょうど芸備線可部線の非電化区間にもキハ120形が走り始めていました。あれから30年が経ち、すでに錦川鉄道の車両は18m級NDCに変わり、JR西のキハ120形はどうなるのか分かりませんが、ローカル線をとりまく社会や環境が激変しており、いずれにしても非常に厳しい状況です。

 

3.NT2002 (柳瀬~錦町:1994年2月)

さて、錦町は山間の小さな街でした。ここに何があるのか分かりませんが、鉄道を敷いた理由も・・・。調べてみると、前身である国鉄岩日線は1960年に川西~河山間が開業し、続いて1963年に錦町まで開業した比較的新しい路線でした。もともとの構想では、錦町からまだまだ先の山口線日原まで延伸される計画だったそうで、それが岩日と言う名の由来でした。開業当初は河山で採掘される鉱石輸送を行っていましたが、それも1971年に鉱山の閉山で貨物輸送がなくなってしまい、気が付けば廃止対象路線。しかしながら、山口県が主体となり岩日線の存続運動が続き、錦川鉄道は1987年7月にJR西から第三セクター路線として転換されました。

 

4.NT2106 (河山~柳瀬:1994年2月)

錦川鉄道は、その名の通り錦川流域に沿う鉄道です。大変風光明媚な路線ですが、それだけでは成り立ちません。

 

5.NT2106 (錦町:1994年2月)

さらっと錦町を歩いて、帰りはこの「せいりゅう号」で戻ります。錦川鉄道にはこの頃6両のNDC(注1)が在籍していました。NT2000形は開業時に5両投入されましたが、「せいりゅう号」は1989年に1両だけ増備されたNT2100形です。NT2100形はご多聞に漏れず、イベント対応車でした。よって、トイレ付となり、腰帯の塗装に銀縁の装飾が追加されました。

 

6.NT2106 (岩国:1994年2月)

(注1)NT2000形、NT2100形の車歴

①NT2000形

・錦川NT2001~2005:1987年新潟鐵工所

 ※NT2001,2004,2005は2008年廃車

 ※NT2002,2003は2007年廃車

②NT2100形

・錦川NT2106:1989年新潟鐵工所

※NT2106は2009年廃車

 

7.JR岩徳線キハ236+キハ47形+キハ23形 (岩国:1994年2月)

最後は、JR岩徳線気動車です。困った塗装の気動車ですが、3両編成の両端はキハ23形です。この頃の岩徳線はキハ40系とキハ23形が主力の様でした。これらの車両は、かつて岩日線にも投入されていたハズです。さすがにキハ23形はすでに廃車となりましたが、キハ40系はいまだに走っています。そして、NT2000,2100形亡き錦川鉄道にもキハ40形が・・・。

さて、この日は天気が悪く、風光明媚な錦川鉄道の沿線をまともに見ることもできずに終わってしまいました。よって、改めて天気の良い日に再訪問しました。その時の様子は別途お伝えします。