ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第508話 番外編:NDC考察(その9)

北海道ではさんざんな結果となったNDCでしたが、本州以西の地域では結構受け入れられたようです。その成果が見えたのがJR各社のNDC導入です。しかしながら、かつて国鉄時代の制式に対するこだわりもJRにはなくなってしまったようで、民営化されて考え方が刷新されたのでしょうか?とも思われましたが、民営化されたJR各社には、ローカル線向け車両を新規開発する投資など、するつもりがなかったと言うのが本音のようで、手っ取り早く既製品に手を出した感じです。

一番最初にNDC?を導入したのはJR四国のキハ32形でした。しかしこれは、JR四国の意に反し?国鉄末期の三島対策のおまけで投入された、いつまでモツか分からない中古品再生の新車モドキでしたが、いまだに健在です。続くJR北海道のキハ130形は、言わずもがなの結果でした。そして、3例目となったのはJR東海キハ11形です。

 

1.JR東海キハ11形カタログ抜粋

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 キハ11形は秋田内陸縦貫鉄道NT-8800形を少し短く17.5mとし、側窓を1段下降としたタイプですが、電化区間にも乗り入れるため高加速性能が必要となり、エンジンは輸入品のカミンズ製330PSであるC-DMF14HZAが採用されました。

この頃から一般気動車にも高出力のエンジンが搭載されるようになり、エンジンメーカーも海外や国内では建設機械メーカーの小松製作所鉄道車両用エンジンに参入して、エンジンメーカーの熾烈な戦いが始まります。素人的にエンジンを見ると、新潟は船のエンジン、小松はブルドーザーのエンジン、カミンズはよくわかりませんが、使い捨てエンジンと言ったところでしょうか。

 

2.JR東海キハ11形カタログ抜粋

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 キハ11形はJR東海保有するキハ20系、35系などの置き換え用に1988年から導入されました。最初の0番台10両は新潟鐵工製で、続く100番台23両は新潟鐵工とJR東海によるノックダウンとなり、200番台は、1993年に第三セクターで開業した東海交通事業向けに4両が製造されました。そして、これで打ち止めと思っていたら、1999年にマイナーチェンジしたSUS製の300番台が6両新潟鐵工で製造され、総勢43両となりました。しかし、その後、JR東海日本車輌を傘下として、自社の車両を全て日本車輌で製造するようになり、以降の新車からNDCの導入はストップし、現在は新潟鐵工を継承した新潟トランシスも立ち入れない状況です。

ところで、現在キハ11形は初期車がJR東海での役目を終えて、ミャンマーに譲渡されましたが、その後の話題では、ひたちなか海浜鉄道にも譲渡されて、新車のごとく活躍しています。

 

そして、JR東海に続きJR西日本もローカル線にNDCを導入しました。こちらは、九州向けのNDCでよく見かけた、スタンダードの16m級貫通タイプが採用されましたが、投入範囲が広く、1992年~1996年の間に89両も製造され、2次車からSUS製となりました。

 

3.JR西日本キハ120形

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 キハ120形はJR西日本の多くの非電化路線に投入されたため、その路線に応じて座席配置やカラーリングが採用されました。ちなみに、このカラーリングは木次線用です。

 

4.JR西日本キハ120形(関西本線向け)カタログの抜粋

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キハ120形の1次車(200番台)は、鋼製車体で8両製造され、福井の越美北線と米子に配置されました。この8両は松浦鉄道などの九州の第三セクターに導入された16m級貫通タイプのNDCそっくりでしたが、エンジンがコマツ製250PSのDMF11HZタイプを搭載し、 車輪径がJR規格のΦ860となったため、台車はNP120をアレンジしたWDT53になりました。

 

5.JR西日本キハ120形(関西本線向け)カタログの抜粋

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そして、2次車(0番台)はSUS構体となり、側窓が1枚固定化、ロングシート化され、1993年に22両が製造されました。また、2次車から、車体幅が100㎜拡張されて 2800㎜となり、エンジンもコマツ製の330PSに出力アップされ、米子、関西本線亀山、新山口に配置されました。

 

6.JR西日本キハ120形(美祢線向け)カタログの抜粋

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2次車は評判が良かったのか?続く3次車(300番台)は、セミクロスシートに戻った他は2次車と同仕様で、1994年~1996年の間に59両が製造されました。 やはり第三セクターの落穂拾いとは違い、JRは当たりが出るとメーカーには嬉しいまとまった受注となります。

 

7.JR西日本キハ120形(高山本線向け)カタログの抜粋

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 この3次車は、関西本線用の増備車と、山陰本線浜田、広島、岡山、富山にも配置されてJR西日本のローカル線の顔となりました。そして、第三セクターの初期のNDCが引退して行くなかで、現在もまだまだ元気です。しかし、この車両が走れなくなったら、その時は路線も廃止?との裏話もチラホラ!!そうならない様に、安価な次世代NDCが望まれます。

 

8.JR西日本キハ120形(高山本線向け)カタログの抜粋

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  また、JR九州も1993年にキハ125形として25両導入しました。ところが、キハ125形は、九州の第三セクター路線で主流となった16m級のNDCではなく、18m級貫通タイプのNDCを採用しました。

JR各社でNDCを導入しなかったのは、JR東日本だけでしたが、JR東日本では1990年から古い気動車の置き換え用にキハ100,110系の量産化が始まり、この系列の気動車JR東日本が開発した高出力で軽量な軽快気動車でした。1999年までに富士重工と新潟鐵工で279両も製造され、NDCの入り込める余地がなかったと言うことです。

 ところで、時代は人件費の高騰で、いずこも省力化=メンテナンスフリーが歓迎される世の中になっていました。メンテナンスフリーはメーカーにとっては、部品販売などに打撃を与えることになります。そこでノーメンテ、使い捨てとした代償に、ライフサイクルを短縮することで、ユーザーもメーカーもwin-winとなる考え方がはやりました。この考え方は、まさしくカミンズのエンジンで、輸入品にもかかわらず勢力を拡大しました。何度も繰り返し整備して長持ちさせる考えはもう古い!!この考え方には、当時の国内製造メーカーの大半に衝撃が走ったものと思われます。
当時はこれに限らず、世の中の動向はみな同じ方向でした。代表的なものにJR東日本の209系電車もそうでした。「使い捨ては、もったいない」と言う、日本人の「わびさび」的な感情を逆なでしたような車両でした。
しかし、「ライフサイクルの短縮」は必ずしもそうではありませんでした。意外と「ものもち」が良すぎて、10年経ったものの「捨てるのがもったいない」と言う大半の結果です。これにはメーカーもブーイング!! 結局、京浜東北線の209系電車などは、世間体、お約束通り退きましたが、どっこい、いまだに都心から離れた場所で隠れて?走っているようです。