ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1425話 1997年十和田観光:南部縦貫のついでに!

1997年のGWは、南部縦貫鉄道休止に伴う「さよなら運転」が行われるため青森に出向きました。本来であれば南部縦貫鉄道の最後?を見届けるはずでしたが、貧乏性の私はついでにお隣の十和田観光電鉄まで足を伸ばしてしまいました。しかしながら、9年ぶりの十和田観光電鉄です。前回訪問の様子は第234話~第236話をご覧ください。

 

1.クハ4406 (十和田市:1997年4月)

この頃の十和田観光電鉄は、特に目立った変化はなく、まだまだ廃止など考えられない頃でしたが、南部縦貫鉄道の七戸から十和田観光電鉄十和田市は、バスで30分程の距離で、バスも頻繁に走っていたので、つい浮気心が出てしまったのが本音です。

 

2.クハ4406+モハ3803 (十和田市:1997年4月)

十和田市行のバスの終点は、十和田観光電鉄十和田市駅の目の前でした。しかし、その当時の十和田市駅は、ショッピング街の開設に合わせてその最寄の場所に移設した新しい駅で、1面1線の味気ない駅でした。

 

3.ED402他 (十和田市:1997年4月)

ところが、終点なのに線路はまだ先まで延びており、そこから数百mほど離れた場所に電車の留置線がありました。写真は留置線の様子ですが、ここはもともと十和田市駅があった場所です。よって、駅舎やホームも残っていました。

 

4.ED402 (十和田市:1997年4月)

この留置線には、電気機関車が1両留置されていました。これは貨物輸送用ではなく、緊急時の救援用に駐在しているもので、ED402が待機していましたが、もう1両のED301は七百の車庫に居る様です。貨物輸送がなくなり、実質失業状況の機関車ですが、救援用にわざわざ待機するとは、他の私鉄では見ない例です。

 

5.クハ3802 (十和田市:1997年4月)

留置線にはクハ3802も居ましたが、これは増結用です。終端駅に増結車や救援車があると何かと便利ですが、これらの車両も列車検査のため、3日に1度は車庫に帰らねばならず、行ったり来たりが結構手間です。

 

6.クハ3802(十和田市:1997年4月)

クハ3802は、前回訪問の1988年にはまだ居ませんでした。1989年に東急電鉄から譲受したもので、今回初めて見る車両でした。1981年に譲受した先輩のクハ3810とは、ほぼ同型車です。

(注3)クハ3802の車歴

・十和田クハ3802←東急クハ3861:1953年東急横浜製作所製

この頃の十和田観光電鉄は、往年の東急目蒲・池上線の車両に統一されつつある様でしたが、東急7000系などのステンレスカーの導入はなく、在籍車両はその後もしばらく変化がありませんでした。