ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第583話 1991年遠州:これが見たかった!!

ローカル線と言ってもピンキリです。比較的堅調に運用を継続していた路線も結構ありますが、その様な路線で共通して言えることは車両が面白くないことです。

例えば、羽振りが良かった頃の自社発注車で態勢を固めたケースや、1980年代になると、車両や設備の体質改善を行い、大手私鉄から中古車を導入して車種統一したケースなど、趣味的には足が向きませんでした。

そんな路線の一つが遠州鉄道です。

 

1.ED282+保線用貨車4両 (遠州西ヶ崎:1991年11月)

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 遠州鉄道は昔は奥山線などの軽便路線も保有し、大変興味深い鉄道でしたが、私の年代は奥山線の実態を知りません。私の知る遠州鉄道は自社発注の電車で画一化されてしまった優等生のような路線であり、全く面白くありませんでした。

しかし、唯一の救いは「お宝」がありました。それはED282という電気機関車でした。

 

2.ED282 (遠州西ヶ崎:1991年11月)

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 これがED282(注1)です。これが見たかった!!

 この機関車は、JR飯田線の前身である豊川鉄道が開業時に導入したEE製の舶来機です。凸型で好ましいスタイルの25t機で、国鉄に買収後の1960年に遠州鉄道にやって来ました。

 

3.ED282+保線用貨車4両 (遠州西ヶ崎:1991年11月)

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ところで、このED282も失業中で保線用としてたまに使われる程度です。普段は遠州西ヶ崎の側線に鎮座していました。

後方に連結された4両の2軸無蓋貨車もかなり年季が入っていおり、これらはすでに車籍がない車両です。一見してすべて無蓋車ですが、2両はもと有蓋車でした。その内訳は元々無蓋車が1923年日本車輌製のト401形、元有蓋車が1929年日本車輌製ワフ601形ですが、どれがどれだか区別がつきません。4両の両端の車両は妻板が鉄板製なので、恐らくこの2両が元ワフ601形と思われます。

 

4.ED282 (遠州西ヶ崎:1991年11月)

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 (注1)ED282の車歴

遠州ED282←国鉄ED282←豊川デキ51←豊川デキ50:1925年EE製

この車両には、兄弟機であるED281というのがいました。ED281は国鉄で廃車となった後、近江鉄道に転じ、さらに山形交通三山線に転じましたが、1975年に山形交通が廃止となり、その後地元で保存されました。しかし、その後行方不明となり、恐らくスクラップになったのではないかと思いますが、こちらのED282は現在も車籍を有する現役車両として健在です。

 

5.モハ1003+クハ1503 (西鹿島:1991年11月)

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 この日は、ED282だけを見ることが目的でしたが、初めての遠州鉄道訪問だったので、終点の西鹿島まで行きました。乗車したのはモハ1003+クハ1503の編成でした。遠州鉄道はこの様な自社発注車の導入を一貫しており、とてもローカル線ではありません。

このモハ1000形+クハ1500形は在来車のモハ30形、クハ20形の置き換え用に1983年から導入されましたが、徐々に本数が増えていました。このスタイルがその後の遠州タイプとなり現在に至ります。

 

6.モハ27+クハ89 (西鹿島:1991年11月)

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 西鹿島の車庫には従来から遠州鉄道お馴染みのモハ30形が多数留置されていました。

この車両は1958年からマイナーチェンジを重ねて1980年まで日本車輌でロングラン製造された遠州鉄道のオリジナル車両です。完全新製車と中古機器の流用車があり、モハが16両とクハが12両製造されました。編成で製造時期が異なる組合せもあり、ドアが両引きと片引きが混在する編成もあります。特徴としてはほとんどの車両がトーションバー台車を履いています。外観は湘南タイプですが、古さは感じません。しかし、カルダン車は最終増備となったモハ51+クハ61だけです。1991年時点、モハ1000形+クハ1500形の導入により、すでに廃車が出ていました。

この日は、どこかの帰りにちょっと寄り道しただけで、これで終わりです。