ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第796話 1990年別府:面影を求めて

別府鉄道が廃止されてから今年で38年が経ちました。現在その沿線はどうなっているのかさっぱりわかりませんが、廃止から6年後の1990年に、その面影を求めて別府に向かいました。

 

1.別府鉄道沿線地形図(引用:国土地理院1/50000地形図 「高砂」昭和55年発行)

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 この地形図は、別府鉄道が現存していた頃のものです。 

廃止前の別府鉄道の拠点である別府港へのアクセスは、3通りありました。①もっとも便利な山陽電鉄の別府で下車し別府鉄道別府港まで歩く。②少々遠回りな国鉄高砂線の野口経由で別府鉄道野口線に乗車。③国鉄山陽本線の土山経由で列車が少なく不便な別府鉄道土山線に乗車。しかし、別府鉄道廃止後、後を追う様に国鉄高砂線も廃止となり、その後は①の山陽電鉄利用だけになってしまいました。

 

2.国鉄高砂線野口駅モニュメント (野口駅跡:1990年2月)

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 この日は山陽電鉄別府駅から、かつての別府港機関区跡(注1)に立ち寄り、別府鉄道の遺構を探しながら廃線跡を野口まで歩きました。そして、その後高砂までバスで移動し、かつての国鉄高砂駅跡を見て、更に別府鉄道の車両が保存されている播磨郷土資料館へ向かいました。

(注1)別府港機関区及びその周辺の敷地は、すでに宅地化されて跡形もありませんでしたが、その一画には、別府鉄道廃止後も別府鉄道㈱という会社は存在し、タクシー業等を継続していました。現在はタクシー業を譲渡して不動産管理業になっている様です。

 

3.国鉄高砂線野口駅モニュメント (野口駅跡:1990年2月)

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 先ずは国鉄野口駅跡の様子です。野口は別府鉄道の分岐駅でした。結構立派なモニュメントが整備されていましたが、元々野口駅は無人駅で、これと言った特徴もなく、ここまでお金を掛けて整備した理由が理解できませんでした。なぜかTR51が1台置かれていましたが、台車に関する説明標記もなく、これも意味不明。

 

4.国鉄高砂線野口駅モニュメント (野口駅跡:1990年2月)

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 この碑は誰が建てたのか?確かにここは旧国鉄の野口駅でしたが、別府鉄道の野口駅でもありました。しかし、別府鉄道の碑はありません。

 

5.国鉄高砂線野口駅モニュメント (野口駅跡:1990年2月)

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野口駅の駅標識の裏面に野口駅の経歴が記されていました。ここに別府軽便鉄道の記載が1行だけ書かれています。しかし、別府鉄道の廃止に関する記載はありません。 そして、「昭和63年4月2日「特定地方交通線代替バス輸送転換開始」と書かれていますが、高砂線の廃止から4年間は代替バスがなかったということでしょうか?

 

6.国鉄高砂高砂駅モニュメント (高砂駅跡:1990年2月)

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 国鉄高砂駅跡にも行ってみました。ここにもモニュメントがありました。動車輪が1個だけで、野口に比べて小規模で質素ですが、高砂には国鉄高砂工場がありました。立派な気動車の整備工場でしたが、高砂線と運命を共にしました。

 

7.別府軽便鉄道沿線地形図(引用:国土地理院1/50000地形図 「高砂昭和2年発行)

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 手元に別府軽便鉄道が記載された地形図がありましたので転載します。別府鉄道は軽便鉄道として開業しましたが、軌間は1067㎜でした。これは国鉄との貨物輸送があったからです。なお、この地形図の時代は、高砂線がまだ播州鉄道の支線でした。この頃の別府鉄道は、運行を播州鉄道に委託していたそうです。やがて播州鉄道は国鉄に買収され、別府鉄道は独自の運行を始めました。いずれは野口経由で貨物を加古川操車場まで直通する夢を抱いていましたが、国鉄の貨物合理化が原因で、1984年1月末に廃止となりました。