ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第830話 1994年阪堺:ナニワの新喜劇的ノリ

第533話~第535話で、バブル期の広電の強烈な広告電車を話題にしましたが、今回は広電の広告電車をはるかに上回る、強烈な阪堺電車の話題です。

別に広告電車を話題にするつもりではありませんが、この頃の阪堺電車にはオリジナル塗装の電車がほとんどおらず、特に旧型車は全車が広告車だったので、どうにもなりませんでした。

 

1.174、161、123他、強烈な広告車たち (我孫子道:1994年10月) 

f:id:kk-kiyo:20210522154456j:plain

 しかしながら、昭和初期の老体にこんな色を塗っちゃダメです。広電の広告電車がまともに見えます。なぜこうなってしまったのか?やはり、「ナニワの新喜劇のノリ」なのでしょうか。

 

2.504、169 (我孫子道:1994年10月)

f:id:kk-kiyo:20210522154540j:plain

 それにしても、よくこれだけのカラーバリエーションをそろえたものです。しかも、同じ内容の広告電車以外はダブリがありません。

 

3.305、503 (我孫子道:1994年10月)

f:id:kk-kiyo:20210522154609j:plain

 ところで、本当の標準塗装はどうだったのか、記憶も吹っ飛んでしまいました。

 

4.163、161、175 (我孫子道:1994年10月)

f:id:kk-kiyo:20210522154648j:plain

 ウワッ・・・銀色もいた。これは「銀行電車」でした。

 

5.705、169 (我孫子道:1994年10月)

f:id:kk-kiyo:20210522154718j:plain

 老体の厚化粧に新米も真っ青です。

 

6.我孫子道車庫内 (我孫子道:1994年10月)

f:id:kk-kiyo:20210522154745j:plain

我孫子道の車庫はさながら広告電車の展示会場でした。しかし、どの電車も「これでもか」というくらい自己主張が強烈すぎて、夢にでも出て来そうですが、結局、ゴチャゴチャし過ぎて何の広告なのか全く印象に残りません。

 

7.我孫子道車庫内 (我孫子道:1994年10月)

f:id:kk-kiyo:20210522154803j:plain

  阪堺電車は何があったのか、完全に吹っ切れていました。しかし、これが大阪のノリです。これが理解できない人は、恐らく大阪には住めません。