日立電鉄には、1991年から元営団地下鉄銀座線2000系を種車とするニセ新車の2000系、3000系が導入されて、車両の体質改善が始まりました。しかし、3年経ってもまだ、ニセ新車の増殖はダラダラと続いていました。
1.モハ12 (川中子~常陸岡田:1993年5月)
利用者にとっては、早く新車に置き換えて欲しいところですが、私にとっては、いつまでも旧型車が活躍していたので、このダラダラが非常に有難かったです。
2.モハ15 (川中子~常陸岡田:1993年5月)
しかし、この時点で2連の旧型車はほぼ置き換えが済んでおり、残る両運車達の動向が気になりました。
3.モハ12 (川中子~常陸岡田:1993年5月)
モハ12は、噂によると戦後の混乱期に親会社の計らいで、営団地下鉄向けに製造されていたはずの車両を横取りしてもらい導入された車両と言われていましたが、いよいよこの車両も、本物の営団地下鉄車両に置き替わります。
4.モハ3021 (川中子~常陸岡田:1993年5月)
すでに、前年に両運車モハ3000形が1両導入されており、今後はこの車両の増備が避けられません。
5.モハ3021 (川中子~常陸岡田:1993年5月)
モハ3000形は元営団2000系の前頭部を切り継いで両運化した車両です。この当時は、そうでもしないと、ローカル線向けの手頃な両運の中古車などなく、手間のかかる分、お金もかかっているはずですが、改造車の購入となりました。
6.モハ3021 (川中子~常陸岡田:1993年5月)
しかし、日立電鉄流の改造流儀なら、わざわざ前頭部を切り継がなくても、妻面に運転席を設けることなど、いとも簡単と思いますが、もう自前の腕を磨く時代ではなく、餅は餅屋に頼む時代になっていました。
7.モハ11 (常陸岡田~川中子:1993年5月)
この日はモハ11も運用されていました。モハ11はモハ12の兄弟車で、この車両も営団地下鉄向けだったはずの横取り車両でした。