ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第970話 1994年一畑:やはり残念な日曜日

今回は第873話の続きです。1994年は琴電と同様、一畑電鉄にも集中して撮影に出向きました。一畑電鉄は遠い場所なので、たいてい土日を利用して2日間かけて撮影を行いました。しかし、2日目の日曜日は赤電のデハニ50形は走らないので、やはり残念な日曜日でした。

 

1.デハ3、クハ183+デハ83、クハ172+デハ72 (川跡:1994年4月)

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日曜日は赤電が走らないので、開き直ってと言うか、落ち着いて撮影ができました。例えば、川跡駅の接続列車の並びなども、こんな日だからこそ、撮影できました。川跡駅では、列車が到着するたびに、オバちゃんの乗り換え案内が流れました。この写真を見るたびに、オバちゃんの独特の出雲弁が思い出されます。

 

2.デハ3 (川跡~高浜:1994年4月)

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川跡から大社線方面に少し歩けば、すぐにこんな風景となります。大社線は、正月こそ本線から直通の2~4連が走りますが、普段はデハ1形の単行が行ったり来たりです。この日はデハ3の独壇場でした。

 

3.デハ3 (川跡~高浜:1994年4月)

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元を正せばデハ20形もデハ1形のグループでした。しかし、最後まで残ったデハ1形は、デハ3,6の2両だけで、大社線専用となり、1978年にワンマン化されて自動ドア車となりました。

 

4.デハ3 (川跡~高浜:1994年4月)

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そして、デハ1形は大社線の運用にはまり込んでいたので、カルダン車の導入時にも影響を受けず、1998年まで生き延びました。

 

5.デハ3 (川跡~高浜:1994年4月)

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6.デハ3 (川跡:1994年4月)

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さて、デハ1形のおさらいですが、この電車こそ、一畑電鉄が一畑軽便鉄道から脱皮する際に新製された記念すべき1927年製の生え抜き車両です。昭和初期の日本車輌製電車の特徴である武骨な直線的スタイルを維持していました。デハ1形は最大6両が在籍しましたが、デハ1,2,5はデハ20形に改造され、それぞれデハ23,22,24となり、この時点ではデハ22,23が健在でした。