三十八社では、いつ来るか分からないモハ160形を先回りしたものの、なかなかやって来ません。とりあえず、三十八社の付近をブラブラしながら来る列車を撮影です。
1.モハ82+クハ82 (三十八社:1994年10月)
80系は午前中もここで撮影しました。この車両は元々南海電鉄創成期の卵型流線形電車を前身とする、車歴上は大正時代のとても古い車両ですが、不思議なことに年を取るごとにカルダン化、冷房化、主制御装置の交換によって若返りました。
2.モハ82+クハ82 (三十八社~鳥羽中:1994年10月)
すでに面白くない車両になっていましたが、恐らく期待された車両だったのではないかと思います。
3.モハ141-1+モハ141-2 (三十八社~鳥羽中:1994年10月)
モハ140形は貴重な現役の吊掛車でした。全3編成が健在でしたが、さすがにこの車両のカルダン化や冷房化はありませんでした。それでも頼りになる輸送力車だったので、まだまだ使用されました。
4.モハ161-1+モハ161-2 (三十八社~浅水:1994年10月)
さて、モハ160形はもうそろそろ来るだろうと、畦道をブラブラしていたら突然、全速力でやって来ました。
5.モハ161-1+モハ161-2 (三十八社~浅水:1994年10月)
この車両は、ワンマン化もされていましたが輸送力が小さいので、ほとんど営業に入らず、万年予備車となっていましたが、まさか教習車として走っていたとは思いませんでした。その後はイベントなどに使用される機会も増えた様ですが、1997年に廃車となります。
6.モハ161-1+モハ161-2 (三十八社~浅水:1994年10月)
この2両は元々両運車で全く同じ車両でしたが、福井地震に被災した左側のモハ161-2は、復旧に際して側窓が二段化されたので、側面から見ると2両の違いがよくわかります。
7.モハ161-2+モハ161-1 (浅水~三十八社:1994年10月)
モハ160形は結構速かったので正直あせりましたが、気合の連写です。いつも車庫で寝ているモハ160形ですが、この日は水を得た魚の様にぶっ飛んで行きました。これでモハ160形の追っ掛けは終わりです。翌日は終焉が近い越後交通長岡線の貨物を撮影のため、この後は長岡に向かいました。