ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第330話 1990年北陸(石川):ブサイク達の最後の活躍(その7)

2日目の撮影は、最高の天気でしたが、車両も変わらず沿線風景も平凡なので飽きてきました。午前中に撮影を終えて、その後は福井へ移動です。

 

1.モハ3761 (日御子~小柳:1990年5月)

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 モハ3761は、モハ5100形として1951年に製造されて以来、形式こそ変わりましたが、ずっと石川線に在籍している車両でした。路線間で車両の移動が激しかった北陸鉄道では珍しい存在です。しかし、石川線東急7000系が導入されると、同僚のモハ3762がクハ化されて浅野川線に転じます。

 

2.モハ3761 (日御子~小柳:1990年5月)

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 1985年に車体更新を行ったのでまだ外板も綺麗ですが、見た目は新しいのか古いのか、よくわからない容姿をしています。

 

3.モハ3732 (日御子~小柳:1990年5月)

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 昨日から同じ車両ばかり撮っており、このあたりは沿線風景も変わり映えしないので、菜の花を入れてアレンジしてみました。

 

4.モハ3732 (小柳~日御子:1990年5月)

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 順光の写真ばかり撮っていましたが、振り向くと残雪の白山連邦が見えていました。ちょっと無理のある感じですが、逆光写真にトライしました。

 

5.モハ3761 (小柳~日御子:1990年5月)

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 フィルム写真は、プリントが出来上がるまで、ちゃんと撮れたのか分かりません。

列車本数が多いので、念のためもう1枚逆光にトライしました。

 

6.モハ3761 (曽谷~四十万:1990年5月)

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この年の7月に東急7000系の降圧改造車が石川線に投入されました。

石川線は電源電圧の変更を行わなかったので、一挙に車両の置き換えは行われませんでしたが、結局淘汰された旧型車は、元名鉄からの転籍車グループが主体となり、意外にも北鉄オリジナルのブサイク達は、モハ3731が廃車となった以外は、モハ3762がクハ1301となり浅野川線に転じただけで、その他は予備車として石川線に留まりました。理由は元東急7000系は雪国仕様ではなかったので、いきなり全車交換には不安があったとの話もありましたが、恐らくは車体更新してまだ年数が経っていなかった車両は、廃車にするのがもったいなかったからと思われます。しかし、東急7000系導入後の実態は、ほとんど旧型車の出る幕はなく、実質この5月の撮影が、ブサイク達の現役最後の撮影となりました。

第329話 1990年北陸(石川):ブサイク達の最後の活躍(その6)

続いて、日が替わり早朝から石川線の撮影です。

天気予報通り、朝から快晴となり、気合も入ります。

 

1.モハ3732 (鶴来~日御子:1990年5月)

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 最初にやって来たのは、モハ3732です。昨日から良く働いています。モハ3732は昨日もさんざん撮りましたが、かと言って、撮らないわけにはいきません。

 

2.モハ3732 (鶴来~日御子:1990年5月)

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 通常ですと、この時間帯は朝のラッシュで2連が走りますが、この日はGWだったので休日ダイヤで単行しか走っていません。

 

3.モハ3761 (鶴来~日御子:1990年5月)

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 空も田圃も目の覚めるようなスカイブルー一色です。

しかし、風があり水面に列車は映りませんでした。ところで、このモハ3762も昨日に続き運用されていました。

 

4.モハ3752 (鶴来~日御子:1990年5月)

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 この日は、鶴来から野町方面へ歩きながら撮影を行いました。

やって来たのはモハ3752で、これまた昨日から運用されていました。

 

5.モハ3752 (日御子~小柳:1990年5月)

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 この日の運用車は、どうも昨日と全く同じ様でした。列車は3日以内に列車検査を行わなければなりませんが、2日間は同じ運用でも法規上問題はなく、ちょっと残念でした。

 

6.モハ3752 (曽谷~四十万:1990年5月)

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 線路に並行する道路を歩いていると結構頻繁に列車が行き来します。特に撮影ポイントがあるわけでもなく、やって来る列車は昨日と全く同じ面々でしたが、適当に撮りながら移動しました。

第328話 1990年北陸(石川):ブサイク達の最後の活躍(その5)

金沢の5月はちょうど新緑の時期でした。

真横から陽を受けて、山の新緑に紅白の電車が一段と映えます。陽はかなり傾いてきましたが、遮るものはなく、日没直前まで撮影できました。

 

1.モハ3761 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 こういう写真が撮れると、雨の中を耐えた甲斐がありました。

本当は金名線が残っていた頃に、加賀一の宮~白山下間で撮影をしたかったのですが、興味を持つのが遅すぎました。

 

2.モハ3761 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 しかし、今回の撮影は、石川線の古き佳き時代の最後の撮影チャンスであり、しっかり見届けることができただけでも良かったです。

 

3.モハ3761 (鶴来~日御子:1990年5月)

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 運用列車の撮影は一巡してしまいました。できれば元名鉄車を撮影したかったのですが、贅沢は言えません。

 

4.モハ3761 (日御子~鶴来:1990年5月)

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往来する車両は変わり映えしませんが、刻々と変わる風景の色合いがモチベーションを上げてくれます。当時私が常用していたのは、フジフィルムの36枚撮り、ASA100or400の逆輸入フィルムでした。まとめ買いすれば1本200~300円程の低価格品でしたが、期待通りの色合いで撮れたので大したものです。やはりカラー撮影で良かったです。

 

5.モハ3761 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 山の緑に電車の赤が映えます。台車や床下機器までしっかり陽が射しています。おもいきり絞り込んで撮りましたが、ちょうど良い感じに写りました。

 

6.モハ3732 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 車体長15.5mの小型車モハ3732がやって来ました。もう日没間近です。

 

7.モハ3732 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 この日はこれが最後の撮影です。この後は鶴来の温泉旅館に泊まり久々に贅沢をしました。翌日も天気は良く、また早朝から石川線の撮影が続きます。

第327話 1990年北陸(石川):ブサイク達の最後の活躍(その4)

この日は夕方になって、急激に天気が回復しました。

日中の土砂降りが嘘のようです。 

 

1.モハ3732 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 とりあえずは鶴来周辺で撮影です。

石川線の沿線はこの頃ちょうど田植えが終わった時期で、田圃には水が張られて天気が良いと水面は鏡のように列車を映しますが、この時は少し風がありイマイチです。

 

2.モハ3752 (鶴来~日御子:1990年5月)

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 先程の車庫内撮影によると、この時は名鉄からの移籍車グループは全て車庫で休んでおり、オリジナルのモハ3732、モハ3752、モハ3761が運用に就いていました。

 

3.モハ3752 (鶴来~日御子:1990年5月)

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 ちょうど田植えの時期でしたが、少し気になったのは、休耕田が意外に多かったことです。このあたりも金沢の近郊であることから、徐々に宅地化が進んでいました。そうなると旅客需要も増えそうなものですが、やはり自家用車の普及と道路の完備には勝てません。

 

4.モハ3752 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 そして、石川線の最大のネックは、金沢市内の起点が市街地から外れていることです。

 現在も同様ですが、金沢の繁華街に出るには、起点の野町からバスに乗り換えなければなりません。以前はバスではなく、同社の路面電車でしたが、路面電車が残っていればLRT化されてもおかしくない路線です。しかし、金沢市内は城下町であるがゆえに道路が狭く、それが一因で路面電車も廃止となった経緯があり、市街地の道路が現状である限り、どうにもならない状況です。

 

5.モハ3752 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 休耕田の畦道に、大根の花が咲いていたので、これを入れてモハ3752を撮りました。ブサイクとは言いましたが、サイドビューは結構均整がとれたプロポーションです。

 

6.モハ3761 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 夕陽を浴びて、モハ3761がやって来ました。

風も収まり、水面には車体が映り、この時期ならではの演出です。陽がずいぶんと傾いてきましたが、快晴となり、これから日没までの間が撮影の勝負どころです。

第326話 1990年北陸(石川):ブサイク達の最後の活躍(その3)

ブサイクなんて人に言ったら、このご時世では怒られてしまいそうですが、北陸鉄道の場合は、ブサイクさのなかに確立された一種の美学を感じました。これは同年代の日立電鉄にも言えましたが、飾り気のない究極の素のデザインであり、ただちょっとだけバランスが悪かっただけです。

 

1.モハ3761 (鶴来:1990年5月)

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 さて、北陸鉄道オリジナルの最終傑作はモハ3760形でした。この車両は元々モハ5100形と称する、1951年製の石川線生え抜きの車両でした。後のモハ3750形であるモハ5000形とは同期生ですが、モハ5000形は河南線用に製造された当初からクロスシート車で外観も張り上げ屋根の優雅なスタイルでしたが、モハ5100形は石川線用のロングシート車で張り上げ屋根でもないノーマルなスタイルでした。

モハ5100形は3両製造されましたが、モハ5101は浅野川線に転属して1990年当時も健在でしたが、石川線に残ったモハ5102、5103は1985年と1986年に車体更新され制御器も変更となり、全く別のモハ3760形に生まれ変わりました。基本的にモハ3750形と同様な改造を受けましたが、屋根が張り上げでないのでモハ3750形に比べて古風な外観です。

 

2.ED201 (鶴来:1990年5月)

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すっかり除雪車と化したED201が車庫の側線に鎮座していました。この時はなぜか綺麗に整備された直後でした。
これもブサイク車両の部類でしょうか?しかしながら、この車両は石川線の前身である能美電鉄発注の貴重な木南車輌製の電機です。ブサイクなどと言ったら叱られてしまいます。

 

3.モハ3751 (中鶴来~鶴来:1990年5月)

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 この日は、雨のなか金名線の残存区間にも出向きました。

鶴来~加賀一ノ宮までのわずか2km足らずの路線は、ほとんど乗客もなく、モハ3751が空気を運んでいました。

 

4.モハ3751 (鶴来~中鶴来:1990年5月)

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このあたりは、かつて能美線が併走していた場所です。能美線はここから手取川を渡り、北陸本線の寺井まで続く路線でしたが、1980年に廃止されました。 

 

5.モハ3741+モハ3743 (鶴来:1990年5月)

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 夕方になり、雨が上がると急に晴れてきました。気合を入れ直して、走行撮影の開始です。

 

6.モハ3732 (日御子~鶴来:1990年5月)

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 陽が射すと、一気に新緑が蘇りました。日没までが勝負です。良い写真が期待できそうです。

第325話 1990年北陸(石川):ブサイク達の最後の活躍(その2)

鶴来に着いた途端に土砂降りとなりましたが、しばらくすると雨も上がり撮影再開です。

この日、鶴来車庫には元名鉄車が集結していました。

 

1.モハ3741+モハ3743 (鶴来:1990年5月)

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 モハ3740形は元知多鉄道デハ910形を前身とする17m級のクロスシート車です。名鉄時代に一旦はロングシート化され制御車になりましたが、瀬戸線に転じて特急車に使用されるため、転換クロスシートとなり、パノラマカーと同じミュージックホーンまで取付けられ、いろいろといじられた車両ですが、石川線では転換クロスのロマンスカー的存在でした。

 

2.モハ3742+モハ3731 (鶴来:1990年5月)

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 モハ3740形は1978年に4両導入され、1990年時点全車健在でした。

この車両は、名鉄瀬戸線の地下乗り入れで追い出されて来た、1931年製の古い車両でした。しかし、北陸鉄道にしてみれば、大きさもちょうど良く、なにより転換クロスシート付きの有難い車両だったのではないかと思います。

 

3.モハ3744車内 (鶴来:1990年5月)

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 元名鉄瀬戸線の特急車の車内です。ゴージャスな転換クロスシートもそのままでした。

この車両がパノラマカーと同じミュージックホーンを鳴らして走る姿を見たかったです。

 

4.モハ3743+モハ37441 (鶴来:1990年5月)

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1990年当時本家の名鉄には、すでにこのタイプの車両は存在していませんでしたが、名鉄にはもっと古いのが揖斐線あたりにたむろしていたので、これらの車両は話題にも上がらず、最後まで目立たない存在でした。

 

5.モハ3772 (鶴来:1990年5月)

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 モハ3770形は一見モハ3740形のようにも見えますが、こちらは18mの大型車で、元は愛電の特急あさひ号です。

導入もモハ3740形よりも早い1967~1968年です。モハ3770形は1928年製のかなり老体ですが、製造当初は日本一速かったそうです。石川線ではその面影はありません。もっとも、車体は元名鉄モ3300形ですが、石川線移籍時に足回りと機器を北陸鉄道の手持ち品と交換したので、田舎電車相当の性能になっていました。

 

6.モハ3773+モハ3772 (鶴来:1990年5月)

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 モハ3770形は3両導入されましたが、1970年にモハ3771が事故廃車となったので、1990年時点ではモハ3772,3773の2両が在籍していました。

 

7.クハ1723 (鶴来:1990年5月)

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クハ1720形はモハ3770形と同時期に名鉄からやって来た増結用の18m車です。

片運車だったので、常時野町寄りに連結されていました。同形車が4両いましたが、1990年時点ではクハ1721,1723の2両が在籍していました。このうち、写真のクハ1723は側窓の上段固定窓をHゴム化した奇妙な姿をしていました。

第324話 1990年北陸(石川):ブサイク達の最後の活躍

1990年の秋も北陸地方ローカル線早回りを行いましたが、北陸鉄道石川線をパスするわけにはいきませんでした。

なぜなら、石川線大手私鉄のカルダン車導入に踏み切ることになり、間もなく在籍車両の一斉交換があるからです。とうとうブサイク車両達も見納めです。

 

1.モハ3732 (鶴来:1990年5月)

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 北陸鉄道は、金名線の加賀一の宮~白山下間を廃止して、ずいぶん身軽になったついでなのか、石川線車両の体質改善を図ることになり、この2カ月後の1990年7月から東急7000系を導入することになりました。しかし、上田交通の様に昇圧はせず、東急7000系を降圧して導入です。しかしながら、あの東急7000系に統一されてしまうとは、なんとも面白くありません。

 

2.モハ3752、モハ3732 (新西金沢:1990年5月)

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 この日はあいにくの雨となりました。

この写真は新西金沢の列車交換風景ですが、どちらの車両も相変わらず「福笑い」を失敗したような憎めないブサイク顔をしていました。

 

3.モハ3744 (新西金沢:1990年5月)

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 続いて、元名鉄クロスシート車であるモハ3744が来ました。この車両も前面窓がHゴム化されてあわやブサイクの洗礼を浴びそうになりましたが、とりあえずセーフでした。

 

4.モハ3732 (新西金沢:1990年5月)

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この顔を良しとする北陸鉄道のセンスが、何ともローカル的で好感が持てました。

しかし、これが東急7000系に置き替わってしまうと、ローカル私鉄的な改造車美学の継承もここまででした。

 

 

5.モハ3731+モハ3742 (鶴来:1990年5月)

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 続いて、鶴来車庫を訪問しました。ここで一挙に旧型車の撮影を行いましたが、土砂降りとなり参りました。

まずは、元祖石川線ブサイク車両のモハ3731です。15.5mの小型車ですが、製造当初はサハだったそうで、張り上げ屋根でシル・ヘッダー付きという往年の北鉄スタイルを維持していました。

 

6.モハ3731車内 (鶴来:1990年5月)

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 モハ3731は未更新だったので、車内は典型的な田舎電車でした。

よく見ると、室内灯は丸いグローブ付きです。荷物棚は網でもなくパイプでもなく木製です。小型車なのに運転席は半室になっています。ブレーキハンドルも好ましい形状です。しかし、床はロンリウムで、板張りではないのが残念です。

ところで、この訪問時には気が付きませんでしたが、写真をよく見るとどの車両もドアのステップを廃してドアの下端が床面と同じ高さに改造されています。恐らく東急7000系導入のためにホームのかさ上げを行い、その結果既存車のステップが逆段差にならないようにこのような改造を行ったものと思われます。非常に地味な改造ですが、全車に波及するため相当な手間と費用が掛かったはずです。東急7000系が導入されれば廃車となるのにもったいない話ではありますが、これも法規上の回避できない改造なので仕方ありません。大手私鉄の中古車導入は一見安上がりで合理的に見えますが、思いもよらぬ費用が結構かかったようです。