2日目の撮影は、最高の天気でしたが、車両も変わらず沿線風景も平凡なので飽きてきました。午前中に撮影を終えて、その後は福井へ移動です。
1.モハ3761 (日御子~小柳:1990年5月)
モハ3761は、モハ5100形として1951年に製造されて以来、形式こそ変わりましたが、ずっと石川線に在籍している車両でした。路線間で車両の移動が激しかった北陸鉄道では珍しい存在です。しかし、石川線に東急7000系が導入されると、同僚のモハ3762がクハ化されて浅野川線に転じます。
2.モハ3761 (日御子~小柳:1990年5月)
1985年に車体更新を行ったのでまだ外板も綺麗ですが、見た目は新しいのか古いのか、よくわからない容姿をしています。
3.モハ3732 (日御子~小柳:1990年5月)
昨日から同じ車両ばかり撮っており、このあたりは沿線風景も変わり映えしないので、菜の花を入れてアレンジしてみました。
4.モハ3732 (小柳~日御子:1990年5月)
順光の写真ばかり撮っていましたが、振り向くと残雪の白山連邦が見えていました。ちょっと無理のある感じですが、逆光写真にトライしました。
5.モハ3761 (小柳~日御子:1990年5月)
フィルム写真は、プリントが出来上がるまで、ちゃんと撮れたのか分かりません。
列車本数が多いので、念のためもう1枚逆光にトライしました。
6.モハ3761 (曽谷~四十万:1990年5月)
この年の7月に東急7000系の降圧改造車が石川線に投入されました。
石川線は電源電圧の変更を行わなかったので、一挙に車両の置き換えは行われませんでしたが、結局淘汰された旧型車は、元名鉄からの転籍車グループが主体となり、意外にも北鉄オリジナルのブサイク達は、モハ3731が廃車となった以外は、モハ3762がクハ1301となり浅野川線に転じただけで、その他は予備車として石川線に留まりました。理由は元東急7000系は雪国仕様ではなかったので、いきなり全車交換には不安があったとの話もありましたが、恐らくは車体更新してまだ年数が経っていなかった車両は、廃車にするのがもったいなかったからと思われます。しかし、東急7000系導入後の実態は、ほとんど旧型車の出る幕はなく、実質この5月の撮影が、ブサイク達の現役最後の撮影となりました。