ブサイクなんて人に言ったら、このご時世では怒られてしまいそうですが、北陸鉄道の場合は、ブサイクさのなかに確立された一種の美学を感じました。これは同年代の日立電鉄にも言えましたが、飾り気のない究極の素のデザインであり、ただちょっとだけバランスが悪かっただけです。
1.モハ3761 (鶴来:1990年5月)
さて、北陸鉄道オリジナルの最終傑作はモハ3760形でした。この車両は元々モハ5100形と称する、1951年製の石川線生え抜きの車両でした。後のモハ3750形であるモハ5000形とは同期生ですが、モハ5000形は河南線用に製造された当初からクロスシート車で外観も張り上げ屋根の優雅なスタイルでしたが、モハ5100形は石川線用のロングシート車で張り上げ屋根でもないノーマルなスタイルでした。
モハ5100形は3両製造されましたが、モハ5101は浅野川線に転属して1990年当時も健在でしたが、石川線に残ったモハ5102、5103は1985年と1986年に車体更新され制御器も変更となり、全く別のモハ3760形に生まれ変わりました。基本的にモハ3750形と同様な改造を受けましたが、屋根が張り上げでないのでモハ3750形に比べて古風な外観です。
2.ED201 (鶴来:1990年5月)
すっかり除雪車と化したED201が車庫の側線に鎮座していました。この時はなぜか綺麗に整備された直後でした。
これもブサイク車両の部類でしょうか?しかしながら、この車両は石川線の前身である能美電鉄発注の貴重な木南車輌製の電機です。ブサイクなどと言ったら叱られてしまいます。
3.モハ3751 (中鶴来~鶴来:1990年5月)
この日は、雨のなか金名線の残存区間にも出向きました。
鶴来~加賀一ノ宮までのわずか2km足らずの路線は、ほとんど乗客もなく、モハ3751が空気を運んでいました。
4.モハ3751 (鶴来~中鶴来:1990年5月)
このあたりは、かつて能美線が併走していた場所です。能美線はここから手取川を渡り、北陸本線の寺井まで続く路線でしたが、1980年に廃止されました。
5.モハ3741+モハ3743 (鶴来:1990年5月)
夕方になり、雨が上がると急に晴れてきました。気合を入れ直して、走行撮影の開始です。
6.モハ3732 (日御子~鶴来:1990年5月)
陽が射すと、一気に新緑が蘇りました。日没までが勝負です。良い写真が期待できそうです。