ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第323話 1990年名鉄(揖斐・谷汲):恒例の谷汲参り(その3)

谷汲線の正月輸送は地味ではありましたが、モ510形や愛電・名岐コンビの入線が見られ、私にとっては毎年恒例の撮影行事となっていました。 

 

1.モ703+ク2326 (長瀬~結城:1990年1月)

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 しかし、これらの60年以上も前に造られた車両が日常的に使われていることは、趣味的にはおおいに結構なことでしたが、冷静に考えて異常とも思えました。しかも、この路線は大手の名鉄です。

 

2.ク2326+モ703 (結城~長瀬:1990年1月)

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 そして、谷汲線は電力事情で新車の入線が困難とのことで、安心して古い電車の撮影に没頭できしましたが、電力設備の改修を行わなかった理由は、将来性のある路線ではなかったということです。

 

3.ク2326+モ703 (結城~長瀬:1990年1月)

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 それでも、谷汲線は新車が導入されないままこの後11年間存続して、揖斐線より一足早く2001年に、旧型車とともに消滅しました。

 

4.モ513+モ512 (結城~長瀬:1990年1月)

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 再び、モ510形の2連がやってきました。

モ510形は本当によく働いていました。

 

5.モ513+モ512 (結城~長瀬:1990年1月)

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 この頃、岐阜市内直通車は2連接のモ770形が主力となっていましたが、輸送力が小さく、正月輸送にはやはりモハ510形に頼らざるを得ません。もっとも、モ770形は電力事情の関係で谷汲線には入線できませんでしたが・・・。

 

6.モ513+モ512 (結城~長瀬:1990年1月)

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 直通車の輸送力アップは、名鉄も問題視していたようですが、なかなか投資が追い付かないようで、このため旧型車がいつまでも引退できなかったものと思われます。

 

7.モ513+モ512 (結城~長瀬:1990年1月)

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 しかしながら、この古い車両のお守りも、大手の名鉄だったから実現できたものと思います。これが独立したローカル私鉄であれば車両以前に路線がなくなっていたかもしれません。谷汲線は、まさに大手私鉄の隠れ蓑でした。

第322話 1990年名鉄(揖斐・谷汲):恒例の谷汲参り(その2)

この日は早朝から揖斐線の下方駅付近で撮影を行い、そのあとは谷汲線に向かいました。

谷汲線では同好者が撮影をしており、モ510形の人気の高さを感じました。

 

1.モ512+モ513 (北野畑~赤石:1990年1月)

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 谷汲線は相変わらず新車は入線せず、大正車両の牙城でした。

時代は平成となりましたが、ここは昭和30年代から時間が止まっているようでした。

 

2.モ512+モ513 (北野畑~赤石:1990年1月)

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 このモ510形は動態保存的な車両でしたが、いつまで使用されるのか非常に気になる存在でした。

 

3.モ512+モ513 (北野畑~赤石:1990年1月)

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 揖斐・谷汲線名鉄の隠れ蓑に守られ、少なくとも、この時点では路線の廃止など全く考えられず、いずれは新車が入線すると誰もが思っていたはずです。

 

4.モ703+ク2326 (更地~北野畑:1990年1月)

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 そして、正月は普段谷汲線に入線しない名岐・愛電コンビの2連も大活躍します。

この車両も、モ510形と同じく大正時代の製造です。この頃、大手私鉄で大正時代の車両が現役で主力だったのは名鉄くらいです。

 

5.ク2325+モ754 (結城~長瀬:1990年1月)

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 元愛電の特急だったク2320形もまた趣のある車両でした。この車両は運転席側に乗務員用扉がなく、反対側に乗務員用扉がある変わった車両です。

 

6.ク2326+モ703 (結城~長瀬:1990年1月)

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 ク2320形の中で異彩を放っていたのが、高運転台車のク2326です。

この車両は事故復旧車で、復旧改修時に高運転台化されました。名鉄はある時期から新車はことごとく高運転台化され、いかつい顔の車両が増殖しましたが、ク2326もそのあおりを受けたものでした。

 

7.ク2325+モ754 (結城~長瀬:1990年1月)

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 1990年時点、ク2320形は4両在籍していましたが、1997年に市内線直通用の新車モ780形が導入されると全車廃車となりました。

第321話 1990年名鉄(揖斐・谷汲):恒例の谷汲参り

1990年の正月は大井川鉄道井川線で新年を迎えました。その際の状況は、第262話~第266話で報告しましたが、その後に欲張って名鉄揖斐・谷汲線の正月輸送を撮影に向かいました。

 

1.モ512+モ513 (下方~相羽:1990年1月)

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この辺りは関ケ原同様に日本海からの雪雲の抜け道であるため、例年この時期は天気が安定しませんがこの日は朝から快晴となり、一段と冷え込みました。

早朝、やって来たのはモ510形の2連でした。 

モ510形は谷汲山華厳寺の初詣輸送のため、この日も早朝から稼働していました。この写真は、下方駅近くから撮影したものですが、日の出直前で露出が厳しい状況でした。

 

2.モ512+モ513 (下方~相羽:1990年1月)

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 しかし、貴重なモ510形なので、撮影チャンスを無駄にはできません。例によって、ハンドドライブで連写です。調子に乗って5枚ほど撮ってしまいました。しかし、ピントが甘かったです。

 

3.モ512+モ513 (下方~相羽:1990年1月)

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 この日のモ510形は、モ512+モ513の2連で、岐阜市内~谷汲線の臨時直通急行に充当されていました。

 

4.モ702+ク2323 (下方~相羽:1990年1月)

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続いて名岐・愛電コンビがやって来ました。

朝日が昇り、スカーレットの車体が映えます。晴れてはいますが、後方の山並みは厳しい冬景色です。

 

5.モ702+ク2323 (下方~相羽:1990年1月)

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ここには、好ましい火の見櫓があり、レトロな電車とマッチしていました。この列車も思わず連写してしまいました。

 

6.モ702+ク2323 (下方~相羽:1990年1月)

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 気温の上昇と共に、霧も上昇して幻想的な光景です。

ところで、揖斐線の新車ですが、1987年~1988年に岐阜市内線直通車のモ770形が4本投入されましたがその後は増備が止まっていました。とりあえず市内線直通車はこの4本でやり繰りできたので、これ以上の増備は必要なかったようですが、揖斐線内の高床車両は置き換えの計画もなく時が止まっていました。趣味的には大変有難いことですが、1990年代にもなって大手の名鉄が、大正時代の電車を当たり前のように走らせていたことに驚異を感じます。

第320話 1986年太平洋炭鉱:丘の上のレイアウト(その4)

太平洋の海底炭鉱を支える機材の整備拠点は、春採選炭場東側の丘の下にもありました。

 今回は、その「丘の下のレイアウト」を少々ご報告します。

 

1.バッテリーロコの資材列車 (春採選炭場付近:1986年3月)

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 春採選炭場側のループ線から分岐する支線を辿ると、その先は丘の上から一気に下るインクラインになっていました。インクラインを下ると、その下側は軌道が網の目のように張り巡らされていました。

 

2.バッテリーロコ (春採選炭場付近:1986年3月)

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 この一帯は、炭鉱機材の整備工場が密集しており、軌道は複数の建物内につながっていました。そして非電化なのでバッテリーロコがせわしなく走りまわっていました。

 

3.バッテリーロコ (春採選炭場付近:1986年3月)

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 偶然目の前を通ったB-13と付番されたバッテリーロコを追い掛けて着いた場所は、重機の整備場のようでした。雪解けで路面はぬかるみ、長靴でないと歩けません。ここで バッテリーロコの追跡を諦めました。

 

4.バッテリーロコ (春採選炭場付近:1986年3月)

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バッテリーロコを撮影していたら、現場の人に、こんな写真を撮ってどうするのかと話しかけられました。理由を説明しても理解してもらえないと思い、春採電車線の電機を見に来たと回答すると、その人から重要な情報が入りました。

その人いわく、「あっちに、古いのが展示されてるよ」とのことで、詳細を確認すると、丘の上の更に上に、スカイランドという太平洋炭鉱の福利厚生施設があり、その近くに以前使用されていた凸型8t電機が2両保存されているというものでした。

 

5.バッテリーロコ (春採選炭場付近:1986年3月)

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 これは願ってもない情報です。急いで丘の上に向かいました。そして、確かに凸型8t電機が2両保存されていました。

 

6.7号機保存車(スカイランド付近:1986年3月)

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ようやく現物を見ることができました。スカイランド近くの公園に保存展示されていたのは、7号機と3号機でした。

7号機は比較的原型を留めるお馴染みの一口羊羹スタイルをしていました。この7号機の実寸を測定することができたので、その後、TMSのコンペに出展した8t機の模型化が実現しました。

 

7.3号機保存車(スカイランド付近:1986年3月)

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この8t機は、引退する少し前に車体更新が始まっており、原型のまま窓枠など簡易な更新を受けた車両と、車体上回りをそっくり新製した車両がありました。

もう1両の保存車である3号機は、車体を新製更新した車両です。前面窓が大型の1枚ガラスとなり、キャブも少し大きくなったようです。せっかく車体を造り替えたのに2年程でお役御免となり、少々もったいない感じがしましたが、合理化のための大型16t機導入には背に腹はかえられなかったと言うことです。

とりあえず、8t機が保存されていることを確認できて安心しましたが、すでに錆が浮いており、これからの維持がまた問題です。なお、この2両以外の8t機の消息が気になりましたが、その後、2号機と10号機が北海道の三笠鉄道村に保存されます。現在これらの保存車がどうなっているのか知りませんが、太平洋炭鉱がなくなり、スカイランドは跡形もなくさら地になってしまったそうです。果たして保存車は、・・・・。三笠の方は朽ち果てぬことを願うばかりです。

第319話 1986年太平洋炭鉱:丘の上のレイアウト(その3)

夕方になり、釧路鉱業所へ出向きました。

半年ぶりに黄色いトラ塗りのL型電機と再会です。

 

1.65号資材列車 (釧路鉱業所:1986年3月)

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 もう夕方だったので、65号機しか撮影できませんでしたが、今回は土場から一歩出て走行撮影ができました。

夕陽に輝く黄色い鉱車が、炭鉱らしいなんとも良い雰囲気を醸し出していました。

 

2.65号資材列車 (釧路鉱業所:1986年3月)

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 鉱業所内には軌道を横断する道路があり、警報機はありませんが踏切がありました。

やたらノッポなのは、この踏切があるためでした。

 

3.65号資材列車 (釧路鉱業所:1986年3月)

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 西陽を浴びる65号機です。こちら側にはキャブの出入り口はありません。

 

4.65号機のサイドビュー (釧路鉱業所:1986年3月)

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 太平洋炭鉱のL型電機のパンタ櫓は、伝統的にこの形状でした。なお、晩年はパンタを点検するための歩み板がこの櫓に追加されて更にゲテモノ化しました。

 

5.架線作業車 (釧路鉱業所:1986年3月)

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 これは、廃車となったバッテリーロコの台車枠を利用した架線点検車です。結構廃車を有効活用していました。

 

6.斜坑用人車 (釧路鉱業所:1986年3月)

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 斜坑用の人車が軌道の外に留置されていました。いづれも状態は悪くなく、整備中なのかもしれません。ところでこの人車の側面には、「火薬携帯者専用車・・・」なる標記が見えます。意外と物騒な車両のようです。

 

7.斜坑用人車 (釧路鉱業所:1986年3月)

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これも斜坑用人車です。一応レールには乗っていますが、相当くたびれた車両のようです。

第318話 1986年太平洋炭鉱:丘の上のレイアウト(その2)

半年前の初回訪問時は、鉄道趣味の無い同行者が一緒だったので、この軌道の表面的な部分しか見ることができませんでしたが、今回は私一人の単独訪問だったので、思う存分のゲテモノ三昧でした。

 

1.621号 (春採選炭場:1986年3月)

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 丘の上のレイアウトには、奇妙なL型電機が佇んでいました。

釧路鉱業所の土場にいたL型電機はすべて黄色のトラ塗りでしたが、こちらには黄と白のツートンカラーが1両だけいました。ほとんど使用されていない様子です。よく見るとこの電機がいる線路上には架線がありません。
 

2.621号 (春採選炭場:1986年3月)

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 この621号も素性が不明ですが、以前はこれと同じような黄と白の電機が釧路事業所の方にもいた様で、凸型8t電機と共に処分されてしまったようです。おそらくこの電機はその生き残りと思われますが、昇圧改造されないまま放置されていたようです。

 

3.ロータリー除雪車 (春採選炭場:1986年3月)

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 何これ?と言われそうですが、太平洋炭鉱のマークも凛々しい除雪車です。

道内でも比較的雪の少ない釧路だからこれで事足りたのしょうが、どれほど役に立っていたのか?かなりのゲテモノです。

 

4.丘の上の運炭列車を望む (春採選炭場:1986年3月)

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 この写真が、太平洋炭鉱を「丘の上のレイアウト」と呼ぶゆえんです。

この写真は太平洋石炭販売(元釧路臨港鉄道)の春採駅構内から見上げたものです。

 

5.162号 (釧路鉱業所:1986年3月)

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鉱車を開放し、西陽を浴びる162号のバックエンドです。ボンネットがやたら汚れていますが、これはパンタのカーボン粉によるものです。この路線はエンドレスループなので、機関車は一方向にしか走らないので、どうしてもバックエンドが汚れてしまいました。

 

6.164号 (釧路鉱業所:1986年3月)

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 164号は予備車というか資材列車専属のようでした。

そして、この黒い貨車?はどうも元凸型8t電機の台車枠のようです。台枠の形態から察すると5号機のものと思われます。5号機といえば、当ブログのタイトル写真のアレです。かつては人車列車や保線列車で活躍したマスコット的存在でしたが、廃車後も今度はワークカーとして活躍していたとは、感慨深いです。

第317話 1986年太平洋炭鉱:丘の上のレイアウト

1986年3月は特別な意味もなく冬の北海道へ向かいました。

三菱石炭鉱業鉄道のストーブ列車を見たかった理由はありましたが、それだけで渡道するのはもったいないと、暇な貧乏学生だった私は、例の北海道ワイド周遊券をフル活用して、道内の夜行急行をねぐらに、結局冬の北海道を1周してしまいました。

そして再び釧路の太平洋炭鉱を訪問しました。

 

1.161号の牽引する空車列車 (春採選炭場:1986年3月)

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前年夏の初回訪問時とは違い、釧路は快晴でした。

今回は前回訪れなかった春採の選炭場に出向きました。初回訪問ではここまで来なかったため、お目当ての凸型8t電機を見ることが出来ませんでした。今回はそのリベンジでしたが、やはり凸型8t電機はもういませんでした。

 

2.所在場所(引用:国土地理院1/12500地形図「釧路」昭和48年発行)

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今回は、春採電車線の路線を国土地理院の地形図でご紹介します。この地図は1973年(昭和48年)発行のものです。つい最近廃止された太平洋石炭販売の路線が、まだ釧路臨港鉄道時代で、春採から東釧路方面への路線も記載されています。そして春採電車線は、最も元気だった頃です。

地図を見ると、当時の春採電車線は本線から分岐する支線も存在していました。また、地図の右下には本線とつながらない軌道も記されています。これらは当時、春採坑以外にも坑口があったことを示しますが、昭和40年代にはなくなってしまった様で実態がわかりません。

 

3.163号の牽引する空車列車 (春採選炭場:1986年3月)

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 東芝製の凸型8t電機はもういませんでしたが、ニチユ製の新税 凸型16t電機がせわしなく走っていました。それにしても、この機関車は正面から見ると恐ろしくノッポな車両でした。

 

4.161号の牽引する空車列車 (春採選炭場:1986年3月)

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 選炭場のループを走る運炭列車は、まるで模型を見ている様でした。まさに、「丘の上のレイアウト」と言ったところです。

 

5.161号の牽引する積車列車 (春採選炭場付近:1986年3月)

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 ここは春採選炭場のループ入口です。線路が3本敷かれていますが、列車は右側通行なので、手前の線路が鉱業所に戻る線路です。一番向こう側の線路は多目的な線路です。このあたりに半年ほど前まで凸型8t電機が留置されていたそうです。

 

6.161号のサイドビュー (春採選炭場:1986年3月)

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 ひょろ長いノッポ電機も真横から見ると、結構しっかりしていました。