ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第316話 1987年鹿島:筑波の廃止は、どこ吹く風(その5)

青空は望めませんが、少し晴れ間が出てきました。

この日の貨物列車は霞ヶ浦沿いで撮影することにしました。

 

1.キハ713+キハ712 (桃浦~常陸小川:1987年3月)

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この日は平日だったので、下校列車が2連でやって来ました。

下校列車は元芦別のコンビでした。この当時はまだ通学に列車を利用する生徒が結構いたようで、日中にもかかわらず2連が走りました。ところで、車体広告が幻滅です。鹿島鉄道の車体広告はこの頃から採用されましたが、なぜか道産子気動車だけが広告車に抜擢されました。それにしても、Sスポーツさんはこんなところで宣伝しなくても十分に知名度はあったはずですし、こんな田園地帯でどの程度の広告効果があったのでしょうか?まさか、30年以上も後に、このようなブログで宣伝されるとは想定されていなかったと思いますが・・・。

 

2.DD902+タキ5連 (浜~八木蒔:1987年3月)

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 そしてこの日、貨物は2往復運転されました。この写真は1往復目の帰りの空タンク列車で、先頭の機関車はDD902でした。もうDD901が走ることは滅多にありませんでした。

 

3.DD13171+タキ5連 (八木蒔~桃浦:1987年3月)

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 午後になると、2往復目の積車がDD13171に牽引されてやって来ました。貨物列車は、自衛隊百里基地に近い榎本までの運転です。榎本駅にはジェット燃料の降ろし施設がありましたが、この施設は自衛隊の管理下にあり、撮影は一切禁止されていました。

 

4.キハ714、DD13171+タキ5連 (玉造町:1987年3月)

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 貨物の2往復目の帰りを玉造町で捉えました。

ここで鉾田行きのキハ714と交換です。この玉造町は有人駅で、側線を利用してタンク車が留置されていました。

 

5.キハ712 (榎本~玉造町:1987年3月)

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 貨物の撮影が終わったので、この日はこのキハ712を撮って撤収です。そして常磐線沿線ローカル私鉄早回りもこれで終了ですが、暇な学生生活もあと半月となり、最後の悪あがきに拍車がかかりました。

第315話 1987年鹿島:筑波の廃止は、どこ吹く風(その4)

いよいよ3月となり、4月から社会人となる私にとっては、「年貢の納め時」となりました。

先に報告しましたが、この3月には、常磐線沿線のローカル私鉄早回りを行い、天気の悪いなか、鹿島鉄道にも少しだけ訪問しました。ここからは、その時の様子を報告します。

 

1.NH38菱枠台車 (石岡:1987年3月)

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 石岡機関区には、気動車の菱枠台車が鎮座していました。

改めて華奢な台車ですが、戦前から愛用され続けたロングランヒット商品です。

 

2.キハ711+キハ710形 (石岡:1987年3月)

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 お隣の筑波鉄道の終焉が近づいてきましたが、廃止後の車両の動向が気になるところでした。果たして筑波の車両は転属してくるのか?この元芦別気動車はどうなることか?

 

3.キハ411 (石岡:1987年3月)

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 これまで、庫の中で大事に保管されていたキハ411、412の廃車コンビが、とうとう外に追い出されました。ふだんは連結運転されていたこの2両ですが、なぜか向き合って留置されていました。互いを慰めているかのように見えます。

手前の鉄くずの山が、何かを暗示しているようですが、この廃材はキハ430形の外板更新で生じたスクラップです。

 

4.キハ412 (石岡:1987年3月)

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 こうなると、そろそろ解体が近づいてきたようです。見ているだけで悲しくなります。

 

5.キハ431 (石岡~東田中:1987年3月)

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 あいにくの雨模様ですが、本線撮影に繰り出しました。

最初は、石岡駅手前の築堤でピカピカのキハ431です。天気が悪いのであまりピカピカにも見えませんが、綺麗になって大活躍です。この場所は後方が常磐線です。タイミングが合えば、鹿島鉄道常磐線の列車が同時に撮影できました。

 

6.キハ714 (四箇村~常陸小川:1987年3月)

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ここは、四箇村近くの築堤です。晴れているとこの向きでは逆光となりますが、この日は曇っていたので陽の向きを気にせず撮影できました。

湘南顔の気動車がやって来ましたが、天気が悪いと全く気合が入りません。しかし、この日は平日だったので、貨物の撮影まで粘りました。

第314話 1987年鹿島:筑波の廃止は、どこ吹く風(その3)

鹿島鉄道では、キハ430形が外板更新を行うなど、旅客輸送の改善にも精力的でしたが、反面その他の古い車両の動向が気になりました。

鹿島鉄道の車歴は、第37話、第38話、第69話を御覧下さい。

 

1.石岡機関区全景 (石岡:1987年1月)

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石岡機関区に集う気動車たち。 この雑居状態が興味をそそります。画一化された軽快気動車など、まだまだ縁のなかった様に見えますが・・・・。

 

2.キハ714 (石岡:1987年1月)

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 道産子で湘南顔である元夕張鉄道のキハ714と715は、すでに外板更新を完了しており当面は安泰と思われました。実際にキハ714は鹿島鉄道が廃止となる2007年まで生き延びました。

 

3.キハ715 (石岡:1987年1月)

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 キハ715は小さい側窓が並ぶ好ましいスタイルの気動車でした。この車両も外板更新されていたのでしばらくは安泰の様でした。

 

4.キハ712 (石岡:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190825130634j:plain問題なのは、キハ710形で外板更新を行っていなかった、元芦別鉄道のキハ711~713でした。もしかしたら筑波鉄道廃止後に元雄別鉄道の貫通型気動車に置き替わるかも知れないという不安がありました。

 

5.キハ431+キハ432 (石岡:1987年2月)

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 この日は、外板更新を終えたばかりのキハ431+キハ432が佇んでいました。

まるで新車の様に綺麗ですが、やはり前面の表情が不愛想極まりありません。

 

6.キハ431+キハ432 (石岡:1987年2月)

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この車両は、その後この顔のまま、幾度となく塗装変更されながらも、廃止となる2007年まで生き延びます。
 

第313話 1987年鹿島:筑波の廃止は、どこ吹く風(その2)

この頃鹿島鉄道にとって一番のお客様は沿線住民ではなく、自衛隊百里基地でした。

お隣の筑波鉄道がまもなく店じまいとなる時期、鹿島鉄道百里基地のジェット燃料輸送のおかげで、筑波の廃止など "どこ吹く風” でした。

 

1.石岡機関区事務所 (石岡:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190825130050j:plain石岡機関区の撮影時に、いつもお世話になった事務所です。急な階段を上った2階で記載する来訪者の帳簿には、著名人のお名前が散見されました。

 

2.DD13171 (石岡:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190825130116j:plain鹿島ではジェット燃料輸送増強のため、国鉄からDD13を購入し、1986年1月から車号もそのままでDD13171(注1)として運用を開始しました。そして、この後さらにDD13をもう1両JRから購入します。しかし、先輩で同型のDD902ともども、総括制御ができない難点があり、重連運転時にはそれぞれ運転士さんが乗務していました。

 

3.DD13171 (石岡:1987年2月)

f:id:kk-kiyo:20190825130303j:plain この機関車の導入でDD901が予備車となってしまいました。

(注1)DD13171の車歴

・鹿島DD13171←国鉄DD13171:1963年汽車会社製

 

4.キハ432、キハ712 (石岡:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190825130658j:plainそして、いつもの湘南型気動車に異変が・・・・

運用から戻って来たキハ432がちょっと変です。気のせいかと思いましたが、やはり変です。

 

5.キハ432 (石岡:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190825130243j:plain実は、キハ432と431は車体外板の更新を行っていました。その結果、車体は新車同然のツルツルピカピカに生まれ変わりましたが、前面窓が小さくなり、気難しい顔の湘南顔となりました。しかし、湘南顔を維持して頂けただけでも良かったと思わなければなりません。

 

6.キハ432の車内 (石岡:1987年1月)

f:id:kk-kiyo:20190825130716j:plainキハ432は、車内も外板更新のついでに内張をデコラ調のものに張り替えてリフレッシュしました。しかしながら床は木製のままなのがご愛嬌です。そして、この改造に併せてワンマン化も行われました。車端の車内ミラーがワンマン化を物語っています。

 

第312話 1987年鹿島:筑波の廃止は、どこ吹く風

1987年1月の天気の良い日に鹿島鉄道の石岡機関区を訪問しました。

あと2カ月で暇な学生生活が終わろうかと言う時期でした。そして筑波鉄道もあと2カ月で廃止となります。私にとってこの2カ月間は特別な2カ月でした。暇があれば常磐線沿線を徘徊していました。

 

1.キハ713 (石岡:1987年1月)

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筑波鉄道が廃止されるのに、なぜ鹿島鉄道を訪問したのか、その理由は、もしかして筑波の車両が廃止後に鹿島へ転じる可能性があり、そうなると、湘南型気動車天国が崩壊する恐れがあったからです。 しかしながら、これらの車両を見ていると、筑波鉄道の廃止など、どこ吹く風といった感じです。

 

2.キハ713 (石岡:1987年1月)

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当時筑波の現役車両は、少なくとも鹿島の車両より新しかったので、何が来てもおかしくありませんし、恐らくキハ600形とキハ710形の外板未更新である芦別グループが真っ先にやられてしまいそうです。と、勝手に考えていました。

 

3.キハ713 (石岡:1987年1月)

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この日は、元芦別車のキハ713は検査入場中でした。

屋根の銀色も凛々しく、そう簡単に廃車されるとは思えませんが、どうなることか? 

 

4.キハ602 (石岡:1987年1月)

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こちらの長老キハ602は、若干台枠も垂れ下がり気味で不安が払拭できません。 

 

5.キハ602 (石岡:1987年1月)

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 この部分だけ見ていると、元国鉄キハ42000系そのものです。

この当時、昭和一桁生まれの機械式ガソリン動車の成れの果てが日常的に走っていたのは、鹿島鉄道関東鉄道常総線、それから片上鉄道くらいでした。

 

6.キハ411 (石岡:1987年1月)

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 おっと!もっと古いのがいました。

国鉄キハ41000系のキハ411です。しかし、こちらはすでに廃車となっていましたが、どういうわけか、なかなか解体されず、相棒のキハ412と共に庫の中に大事に保管されていました。写真は、キハ411の連妻です。この車両は改造されて片運車となり、廃車となる前はキハ411+キハ412の2連を組んでいました。よって、連結面には貫通扉も付けられましたが、関鉄ルールで貫通路は使用されませんでした。よって、幌枠もなし。ところで、この車両を保管してどうするつもりなのか?

第311話 1987年上信:貨物があった頃(その5)

今回の上信電鉄は、日が変わって半年後の1987年11月の様子です。

この日は土曜日だったので、もしかしたら貨物が撮れるかと思い出掛けました。天気も秋晴れで絶好の撮影日和でしたが、貨物は空振りでした。

 

1.デハ205+クハ303 (下仁田~赤津(信):1987年11月)

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 貨物が走らなければ、何しに来たのか意味がありませんが、とりあえず天気がよかったので、少々撮影を続けました。この場所は今も有名な撮影地です。後方の岩山が絶景です。前回5月もここで撮影しましたが、やはりこの風景は晴れの日に限ります。

 

2.クハ304、クハ302他 (下仁田:1987年11月)

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時期的に秋の行楽シーズンだったので、日中も2連が充当されていましたが、下仁田には珍しく200系3連が留置されていました。この3連も運用されるのかと思いましたが、よく見るといつも下仁田に居るはずの1000系がおらず、この3連は1000系の検査入場の代替だったようです。

 

3.デハ205+クハ303 (下仁田~赤津(信):1987年11月)

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 この日は、上信オリジナルの200系が多く運用されていたので、落ち着いて200系を撮影できました。本来、200系は私の趣味の範囲外の車両ですが、そろそろ吊掛車も減ってしまい、こういった初期のカルダン車に目を向けなければならなくなってきました。

 

4.デハ201+クハ301 (赤津(信):1987年11月)

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 デハ201は低運転台で、前面窓がウインクしていないタイプの200系1次車です。結構バランスの良いデザインです。

この場所は複線になっていますが、赤津信号所です。下仁田から2.7km地点で、近隣民家が数件ありましたが駅はありません。次の千平まであと1.1kmあり、この駅間は3.8kmもあります。

 

5.デハ201+クハ301 (赤津(信)~千平:1987年11月)

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 赤津信号所を過ぎると、かつて軽便時代の難所だった渓谷沿いを走ります。ちょうど紅葉が最盛期でした。このあたりには軽便時代の遺構が散見されます。

 

6.デハ252+デハ251 (高崎:1987年5月)

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 最後に、デハ250形の2態です。改めて見ると、奇妙なデザインの電車です。1000系や6000系が次元を超えた奇抜なデザインだったので、平凡な貫通タイプの250形も頑張って小細工を施されましたが、細かすぎて苦労がわかりません。しかし、注目は前面のバンパーです。貫通扉部分にも黒いバンパーが付いています。これが、幌を付ける場合は下の写真のようにバンパー中央部が分割して左右にスライドします。

 

7.デハ251 (高崎:1987年5月)

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 結構メカニカルな細工のバンパーですが、果たして意味があるのか?このバンパーは、やはり意味がなかったのか、現在は外されてしまいました。

その後の上信電鉄は、新造車の導入をやめて、西武の中古車に頼る時期に入ります。輸送需要も減り、やがて3連の1000系も2連化され、2連の一部は両運化され、生き残りのため需要に見合った態勢に変化して行きますが、吊掛車も貨物もなくなり、どうも私の志向に合わず、その後の訪問は20年以上も空いてしまいました。

第310話 1987年上信:貨物があった頃(その4)

奇抜な新車の導入など話題性の高かった上信電鉄でしたが、輸送需要の低迷はここも同じでした。単行用の両運車が重宝されるようになり、旧型車の置き換えも中古車で賄う現実となりました。

 

1.デハ252 (下仁田~赤津(信):1987年5月)

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 単行のデハ252がやって来ました。よく見ると急行です。がらがらでも急行は走っていました。かつては乗客にお茶もサービスされた急行ですが、もうそんなサービスをしている場合じゃありません。急行の運用にも無理があるように思えましたが、看板列車は頑張っていました。

 

2.デハ251、1000系 (下仁田:1987年5月)

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 新車の導入もここまでです。この先新車とは縁のない氷河期となります。

 

3.クハ103+クモハ103 (下仁田:1987年5月)

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そして、ここにも西武電車が登場しました。この元西武451系は、老朽車の淘汰であえぐローカル線の救世主といった感じでしたが、この電車も相当酷使された車両で、私個人的にはあまり歓迎できない車両でした。

 

4.デハ23他 (高崎:1987年5月)

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 帰りに高崎の車庫を訪問しました。辛うじて残っていたオリジナルの吊掛車は、デハ22,23、デハニ31の3両になってしまいました。

 

5.デハ22他 (高崎:1987年5月)

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これらの旧型車は比較的状態は良く、まだまだ安泰かと思われましたが、デハニ31が1989年、デハ23が1991年、デハ 22が1993年に廃車されました。

しかし、旧型車の運用はほとんどなく、走行撮影もできませんでした。

 

6.クモハ105+クハ105 (高崎:1987年5月)

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 クモハ105+クハ105(注1) は事故廃車となったクモハ102+クハ102の代替車として導入された、これも西武の 451系です。クモハ100系は導入時にパワーアップのため台車を西武501系のものに交換されましたが、クモハ105は台車もオリジナルのままでパワーアップもされずに使用されました。

 

7.クハ105+クモハ105 (高崎:1987年5月)

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 なお、クハ105は100系で唯一切妻食パン電車ではなく、西武風湘南モドキでした。

(注1)クモハ105+クハ105の車歴

・上信クモハ105←西武クモハ461←西武モハ461:1959年西武所沢工場製

・上信クハ105←西武クハ1662:1963年西武所沢工場製

この元西武451系と言えば、同じ頃一畑や三岐にも登場した車両で、いずれも主力車として活躍していました。上信電鉄では、クモハ103+クハ103が1996年に廃車となり100系は消滅しましたが、その後も西武の中古車とは縁が切れず、元西武401系、801系、701系種車とした、冷房付きカルダン車である150系に置き替わって行きます。