ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第772話 1993年関東(常総):水海道の終焉

関東鉄道常総線は元国鉄キハ35系を大量導入し、1990年に元国鉄の機械式気動車を前身とする旧型車などを一斉に淘汰しました。これにより、一気に興味もなくなってしまいましたが、その時に残された常総筑波鉄道の発注車である、キハ500形、キハ800形のその後が気になり、1993年1月に久々の水海道に出向きました。

 

1.旧水海道機関区跡 (水海道:1993年1月)

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 ところが、水海道に着いてビックリ! 水海道機関区がすっかりなくなっていました。

渋い木造事務所も溜池状態の転車台も、もう過去の話しです。旧型気動車の終焉は、水海道機関区の終焉でもありました。もうまもなく、レールも剥がされて完全に更地になってしまいそうです。

 

2.キハ502+キハ501  (水海道:1993年1月)

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 そして、機関区と共にキハ501とキハ502も最後を迎えました。

前回訪問から、1年半のブランクでしたが、その間の廃車はこのキハ500形2両と、キハ302、キハ3010でした。

キハ302、3010は正確には、この時点ではまだ廃車になっていませんでしたが、事故車だったので警察の調査物件になっていたようで、正式な廃車はこの翌月でした。キハ302,3010は、まだ導入して新しい車両ですが、この2両は1992年にブレーキ故障で取手駅に突っ込んだ事故車でした。この事故は死亡者も出た大きな事故でした。この頃は事故車となった元国鉄キハ35系の更なる増備の最中でしたが、結局購入した元国鉄キハ35系は最後まで再生改造を受けて、キハ300形、キハ350形として竣工しました。しかし、この事故をきっかけに、早々とキハ300形、キハ350形の置き換えが具体化しました。

 

3.元JRキハ35158+元JRキハ3581  (水海道:1993年1月)

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 水海道には、また新たにJR相模線から転じてきたキハ35系がいました。

この車両は、後ろの元キハ3581がラストの改造車となり、キハ3523としてこの年の8月に竣工しましたが、手前の元キハ35158は未入籍に終わりました。

最終的に、元国鉄キハ35系種車として導入されたのは、キハ300形は16両、キハ350形は23両でした。大きな事故がありましたが、元国鉄キハ35系という大量生産された車両の大規模な使い回しにより、常総線は生まれ変わりました。その背景には、今は亡き国鉄が如何にデカイ存在だったかを思い知らされました。

 

4.モーターカー (水海道:1993年1月)

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 そして、水海道構内にはTMCが取り残されていました。この車両も水海道機関区と共に去りました。この車両の素性が良くわかりませんが、国鉄のどこかの保線区からここに流れ着いたのでしょうか、旋回窓付きの雪国仕様の様です。

 

5.キハ502 (水海道:1993年1月)

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 とうとうキハ500形も終わりを迎えました。

日車の私鉄向け標準気動車として華々しくデビューしましたが、通勤路線として飛躍した常総線では肩身が狭い存在でした。

 

6.キハ501  (水海道:1993年1月)

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 しかし、1990年の旧型車一斉淘汰では、キハ500形は廃車を免れたことを思うと、やはり関東鉄道は、この車両に思い入れがあったからと思われます。

 

7.キハ502+キハ501  (水海道:1993年1月)

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 私は、このキハ500形はデザイン的にも素晴らしい車両だと思います。残念ながら、2両とも解体されましたが、1両くらい保存されても良かったのではないかと、今でも思っています。

第771話 1994年京福(越前):諦め難い盲腸線(その3)

今回の訪問では東古市から永平寺まで永平寺線の全線を歩きました。しかし、毎度の罰当たりではありますが、「お寺の永平寺」には行かず、駅近くで越前そばを食べて、今度は登って来た道を戻ることにしました。

 

1.モハ1102 (永平寺~市野々:1994年5月)

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 午後になっても走っている列車は変わらずモハ1102ですが、昼を過ぎて陽の向きが変わっていたので、パンタ側の顔が順光となりました。これがモハ251形だったら、午前と午後で貫通面と非貫通面の両方が撮影できるわけですが、モハ1102はどちらの妻面も同じ顔です。

 

2.モハ1102 (永平寺~市野々:1994年5月)

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 下り方向を歩くと、この路線が急勾配であることが良くわかります。ちなみに、市野々~永平寺間の標準勾配は33‰とのことです。東古市行きの列車は、ノッチオフで軽快に坂を下ってきます。吊掛電車も帰りは楽そうですが、ブレーキが利かなくなったら大変です。しかし、そんな心配がいずれ起こってしまいました。

 

3.モハ1102 (市野々~永平寺:1994年5月)

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 市野々あたりまで下って来ると田園地帯となります。永平寺線の沿線は山に向かって片勾配の地形です。少し引いた位置から永平寺方向を望むと、田圃は階段状になっているので、この角度では水面が見えません。

 

4.モハ1102 (市野々~永平寺:1994年5月)

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 この日は、午後になっても風が強く、水を張った田圃も波立っていました。しかし、この辺りの景色は結構絵になります。恐らく夕方まで順光で陽が差すと思われます。もしかしたら夕暮れ時に面白い写真が撮れるかも知れません。

 

5.モハ1102 (市野々~永平寺:1994年5月)

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 通常の永平寺線は1時間間隔の運転ですが、この日は臨時ダイヤで30分間隔だったので、列車はひっきりなしにやって来ました。しかも1閉塞なのでモハ1102が1両でピストン運行しており休む間もありません。

 

6.モハ1102 (市野々~永平寺:1994年5月)

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 もう惰性の撮影です。これがモハ1102ではなく、モハ251形だったら・・・。

 

7.モハ1102 (市野々~永平寺:1994年5月)

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 結局この日はモハ1102が終日運転の様でした。これ以上同じ車両を撮ってもつまらないので、越前本線へ移動ですが、翌日は車両運用が変わるはずなので、再チャレンジしましたが、その様子は改めてお伝えします。

第770話 1994年京福(越前):諦め難い盲腸線(その2)

この日の永平寺線は、GWだったので臨時ダイヤで運転されていました。かなりの高頻度運転でしたが、どの列車もお客さんは数えるほどしか乗っていませんでした。

 

1.モハ1102 (永平寺~市野々:1994年5月)

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 永平寺線は東古市を出ると、終点までは結構きつい片勾配を登っていきます。途中駅は諏訪間、京善、市野々の3駅でいずれも単線の無人駅でした。京善あたりまでは民家も多く、勝山線と変わらない雰囲気ですが、その先は終点まで閑散としており、市野々を過ぎると山間部に入ります。

 

2.モハ1102 (永平寺~市野々:1994年5月)

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 市野々を過ぎて永平寺に近づくとこんな感じで山林地帯となります。周りは鬱蒼とした杉林で、花粉の時期には近寄り難い場所です。

 

3.モハ1102 (永平寺~市野々:1994年5月)

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 列車は力行を入れっぱなしで、吊掛音が苦しそうでしたが、この杉林を抜けると永平寺に着きます。

 

4.モハ1102 (永平寺:1994年5月)

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 ここは、終点の永平寺駅です。立派な木造2階建ての駅舎でしたが、すでに無人駅になっていました。趣のある構内に、元阪神電車が興覚めです。しかし、この電車は車体こそ阪神電車ですが、京福福井支社オリジナルのモハ1001形の機器を引き継ぐ電車です。

 

5.モハ1102 (永平寺:1994年5月)

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 永平寺線は1閉塞の単線ですが、永平寺駅は2線2面の相対ホームとなっていました。かつてはきっと賑わったのでしょが、広い構内に1両の電車が虚しく止まっていました。

 

6.モハ1102 (永平寺:1994年5月)

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 この永平寺駅は、元々京福電鉄ではなく、1925年に永平寺鉄道として開業した路線でした。永平寺鉄道は、その後東古市から北陸本線の金津まで延伸され、京福越前本線とクロスする路線となりましたが、1944年に京福電鉄に合併され、この永平寺には金津と福井から列車が直通するようになりました。しかし、1969年に永平寺線は金津~東古市間が廃止され、以来盲腸線になってしまいました。そして、この当時は観光シーズン以外は、福井へ直通する列車もなくなり、完全に孤立状態でした。

 

7.モハ1102 (永平寺:1994年5月)

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 折返し停車中のモハ1102を撮ったら、今度は歩いて戻ります。

しかしながら、ここまで来て肝心の永平寺を見ずに退散です。理由は、永平寺はなくなりませんが、永平寺線はいつなくなるか分からない状況だったからです。

第769話 1994年京福(越前):諦め難い盲腸線

京福越前本線には、1992年に訪問しています。その時は、東古市~勝山間を転々と歩いて撮影をしました。その様子は第650話~第655話でお伝えしましたが、お目当てのモハ251形が走っておらず、空振りを食らってしまいました。

その後、モハ251形は専ら永平寺線で活躍していると言う噂を耳にし、1994年のGWに永平寺線へ出向きました。

 

1.モハ1102 (諏訪間~東古市:1994年5月)

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 しかし、またもや空振りでした。この日はモハ1102が永平寺線で孤軍奮闘していました。このモハ1102は、前回の訪問時も永平寺線の運用に就いていました。もうモハ251形は予備車になってしまったのか、なかなか捕まえにくい車両でした。

 

2.モハ1102 (東古市:1994年5月)

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ここは、永平寺線の起点である東古市駅です。現在は永平寺線がなくなり、永平寺口に改称されました。当時の永平寺線は、普段の日は越前本線に直通する列車もなく、永平寺線内を単行が往復するだけの運用で、日中は60分ヘッドだったので、30分ヘッドの越前本線の電車に、1本おきに接続していました。

 

3.モハ1102 (諏訪間~東古市:1994年5月)

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 ところで、この永平寺線は僅か6km足らずの盲腸線です。終点にある永平寺への参拝客輸送のために残された路線ですが、どう見ても大赤字路線で、参拝客らしき乗客はほとんど乗っていませんでした。実際、永平寺には福井駅からバスが直行しており、電車よりも快適で、電車よりも永平寺の近くまで乗って行けます。

 

4.モハ1102 (京善~諏訪間:1994年5月)

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京福越前本線は一時期路線の縮小を行って、全路線の1/3が廃止されましたが、やはり全国的に有名な永平寺を看板にしていたのか、この路線は「諦め難い盲腸線」だったようです。

 

 

5.モハ1102 (京善~諏訪間:1994年5月)

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 永平寺線の沿線は、ちょうど田植えの時期でした。

 この日、モハ251形は走っていませんでしたが、せっかくの永平寺線なので、ブラブラと撮影しながら全線を歩るくことにしました。

 

6.モハ1102 (市野々~京善:1994年5月)

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 しかし、一見のどかそうに見えますが、この日は太平洋高気圧の影響でフェーン現象が起こり、5月なのに気温は30℃を超えて突風が吹き荒れる天気でした。

 

7.モハ1102 (市野々~京善:1994年5月)

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 この日は、やたらと電車がやって来ました。GWだったので臨時ダイヤで運行されていました。せっかく撮影のチャンスが多いのに、この電車では・・・・・。

第768話 1994年高松琴平:リベンジの琴平線ラッシュアワー(その3)

この日の高松は非常に暑かったです。たしか37~38℃だったよな記憶があります。暑さのためか体調もイマイチで畦のぬかるみに足を取られてしまい、田圃にはまってしまいました。履いていた革靴が泥まみれになってしまい、これでは電車にも乗せてもらえないので、用水路で靴と靴下とズボンの裾を洗っていたら、靴の中にカブトエビが入って来ました。幼少の頃、よく見かけたグロテスクなヤツです。

 

1.1082+1081 (畑田~陶:1994年7月)

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 泥を落としたら、後は歩いているうちに乾きます。何事もなかった様に、次の撮影場所へ移動です。

歩いていると1080形のトップナンバーがやって来ました。高松築港行きも2連になりました。もうラッシュも終わりの様です。

 

2.1074+1073 (畑田~陶:1994年7月)

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 1074+1073 が戻ってきました。やはりラッシュは終わりです。

ラッシュが終わると、もう面白くありません。こんな暑い日は冷房車しか走らないでしょう。

 

3.1014+1013+1080形2連 (畑田:1994年7月)

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 ここは、畑田駅です。このあと遅い朝食を採るため瓦町に讃岐うどんを食べに行くところでしたが、想定外の1014+1013が琴平行きの運用に入っていました。もうラッシュは終わったのにまだ4連でした。せっかくなので、停車中を撮影しましたが、もう暑くて、この電車を追い掛ける気力はありませんでした。

 

4.1015+1016 (瓦町:1994年7月)

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 そして、畑田から乗った電車はアタリなのかハズレなのか非冷房の1015+1016でした。この電車を瓦町で撮影しました。この頃の瓦町はまだ駅ビル化前の青天井でした。

 

5.1031+1032 (仏生山:1994年7月)

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 瓦町で讃岐うどんを食べ終わった頃には靴も乾き、今度は仏生山へ行きました。仏生山ではラッシュを終えた電車が戻っていました。この1031+1032も先程、畑田付近で撮影した電車ですが、今度は細目の1032ではない1031の顔が撮れました。

 

6.1033廃車留置 (仏生山:1994年7月)

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 そして、仏生山には廃車となり解体待ちの1020形がまだ留置されていました。

 

7.1033,1034,1035,1036廃車留置 (仏生山:1994年7月)

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 これらは、全て1020形のカルダン化されなかった車両群です。1080形の増備により淘汰された車両です。

さて、とりあえず琴平線の吊掛車の撮影はできましたが、これからが本題の長尾線です。この日は午後から長尾線の西前田に出向き、もう一泊して明日は志度線です。その様子は改めてお伝えします。

第767話 1994年高松琴平:リベンジの琴平線ラッシュアワー(その2)

この時点で、琴平線に吊掛車として残っていたのは、1013+1014、1017+950、810+820、1061~1063だけでした。このうち、1061~1063は増結用の両運車で、1017+950と810+820は仏生山~高松築港間の朝ラッシュ限定運用専属になっていたので、今回の撮影チャンスとしては、1013+1014の1本だけでした。

 

1.1014+1013+1080形2連 (畑田~陶:1994年7月)

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 なかなか現れない吊掛車でしたが、ついにやって来ました。

後方の2両は1080形なのが残念ですが、吊掛車の顔が取れたので贅沢は言えません。1014+1013は琴電で吊掛車に改造された元三岐のカルダン車です。先程撮影したカルダン車の1016+1015とは兄弟車なので外観は全く一緒です。写真では違いがわかりませんが、走行音が全く違います。ところで、この列車は滝宮行きなのですぐに戻って来ます。

 

2.1032+1031+1080形2連 (畑田~陶:1994年7月)

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細目の1032が再び登場です。1020形も非冷房なので夏場は敬遠される存在です。なんとなく後ろの冷房車が混んでいる様に見えました。ところで、私は炎天下で汗だくです。スーツ姿での撮影でしたが、背広は高松築港のコインロッカーに預けて来たので身軽ではあるものの、高松の7月は酷暑です。

 

3.1074+1073 (畑田~陶:1994年7月)

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 ラッシュ時なのにこの列車は2連ですが、これは逆方向の琴平行きです。この列車が折り返してくる頃にはラッシュは終わっているはずです。

1070形もあまり興味がない車両でしたが、もうこの車両も現存しませんので、カットせずにアップします。

 

4.1072+1071+1080形2連 (畑田~陶:1994年7月)

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 次は再び吊掛車かと思っていたら、つまらない4連でした。

 

5.1014+1013+1080形2連 (畑田~陶:1994年7月)

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そして、吊掛車の再登場です。もうこれが撮れたので後は野となれ山となれですが、この日の1014+1013の運用が気になりました。吊掛で非冷房なので、恐らく折返し入庫のパターンかと思われました。

 

6.1030+1029+1080形2連 (畑田~陶:1994年7月)

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  しかし、まだラッシュは終わっていません。今度は本日初登場の1030+1029です。この車両もカルダン化された1020形ですが、細目ではなく、オリジナルの顔です。一時期琴平線を制していた1020形ですが、吊掛車で残っていたグループの廃車が進み、この時点で僅か2本だけになっていました。

 

7.1052+1051 (畑田~陶:1994年7月)

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 また元ジェットカーがやって来ました。運用列車は一巡した様です。これだけ撮れば十分です。炎天下で脱水症状になりそうだったので、この場はこれで撤収です。

第766話 1994年高松琴平:リベンジの琴平線ラッシュアワー

今回は琴平線の吊掛車を求めて、リベンジのラッシュアワー撮影です。

この日も出張先の広島から休日を利用して、金曜日の晩に高松に入り、土曜日の早朝からスーツ姿での撮影となりました。

 

1.1076+1075 (畑田~陶:1994年7月)

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 今回の撮影は、4連でも十分に撮影できるよう、琴平線の畑田~陶(すえ)間の築堤あたりで吊掛車を待ちましたが、すでに吊掛車は非常に少なくなっており、撮影できる保証はありませんでした。

 

2.1032+1031+1080形2連 (畑田~陶:1994年7月)

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 目的地の築堤ですが、もう7月なので雑草が生い茂り、少々難ありでした。雑草を避けるために畦でカメラを構えることになりましたが、足場が悪く、スーツ姿が目立ちます。

最初は1020形1032を先頭とする、名鉄+京急の4連です。この1020形はもともと吊掛車でしたがすでにカルダン車に出世しており、ハズレです。

 

3.1090+1089 (畑田~陶:1994年7月)

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 元京急の1080形はどーでもいいカルダン車です。2連なので撮る理由もありませんが、勢いで撮ってしまいました。

 

4.1052+1051 (畑田~陶:1994年7月)

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 元阪神ジェットカーの試作車だった、1051形も2連で登場です。この車両も琴電導入時は吊掛車に成り下がりましたが、再度カルダン車に復帰しており、ハズレです。

 

5.1032+1031+1080形2連 (畑田~陶:1994年7月)

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 再び1020形1032が戻ってきました。後ろの1080形は冷房車ですが、1020形は非冷房です。朝のうちは良しとしても日中は気温も上がるので乗りたくない車両です。もっとも、1020形はラッシュ時しか走らない車両になっていた様です。

 

6.1016+1015 (畑田~陶:1994年7月)

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 おっ、これは吊掛車か?いやいや、よく見ると1016なのでこれもカルダン車です。この車両は元三岐鉄道車両ですが、琴電移籍時に吊掛車にされてしまいました。しかし、なぜかこの1016+1015はカルダン車に復帰しましたのでハズレです。ところで、カルダン車に復帰しなかった1014+1013が吊掛車として残っているはずです。

 

7.1086+1085+1076+1075 (畑田~陶:1994年7月)

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続いて1080形+1070形の元京急コンビです。

なかなか、吊掛車は現れません。厳しいリベンジになりそうです。