ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第143話 1989年名鉄(揖斐・谷汲) 古き佳き粋な計らい

第142話に続き今回はその翌日である、1989年1月2日の名鉄揖斐・谷汲線の話題です。

名鉄揖斐・谷汲線には1985年12月以来の訪問で、まる3年ぶりでした。1985年の状況は第39、40話をご覧下さい。

この日は、昨日の近鉄北勢線悪天候が一転し快晴となりました。そして、名鉄揖斐・谷汲線で本命のモ510形を撮影です。もうすぐ時代が変わり平成になろうかというこの時期に、名鉄揖斐・谷汲線は相変わらず大正の電車が元気に走っていました。しかも、モ510形は復刻塗装で古き佳き粋な計らいを見せてくれました。

 

1.モ702+ク2323(政田~下方:1989年1月)

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1987年に 名鉄揖斐線にもいよいよ新車が投入されました。(新車の写真はありません。)

それはお隣の美濃町線で活躍するモ880形がベースとなった、モ770形という低床の2連接車で冷房付きのハイグレード車で、岐阜市内線直通用車両でした。モ770形が投入されると真っ先に淘汰されたのがモ520形でした。しかし、モ510形はレトロ車ということで3両が残され、ラッシュ時やイベント時の波動輸送に使用されることになりました。なお、モ770形は7編成まで増備されましたがとりあえずはそこまででした。岐阜市内線直通車は7編成で十分賄えました。しかし低床の路面電車並みの大きさだったことから輸送力が小さく、鉄道線専用の大型車に変わるには少々難ありで、その後も鉄道線専用車は残存しました。このあたりの事情は広電宮島線と同じ様です。

よって、相変わらずモ700形+ク2320形の“名岐・愛電コンビ”もしぶとく活躍していました。

 

2.モ704+ク2327(政田~下方:1989年1月)

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さて、写真は 揖斐線根尾川橋梁を行く“名岐・愛電コンビ”です。背後の山には薄っすらと積雪が見られますが、放射冷却で非常に寒い朝でした。この橋梁の右側たもとに無人駅の下方駅がありました。

 

3.モ702+ク2323(下方~相羽:1989年1月)

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下方駅近くの 根尾川の土手から揖斐方向を望むと、前方に雄大伊吹山系見えます。写真は下方駅を出発した谷汲行きの2連です。

 

4.モ704+ク2327(政田~下方:1989年1月)

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列車の前面に朝日が射し、何か違和感を覚えました。

実は、窓枠が木製からアルミサッシに変わっていました。そしてドアも木製から鋼製に変わっていました。もっとも前回訪問から、まる3年が経っているので、何も変わらない方がおかしいのかも知れませんが、このささやかな改造は何を意味すのでしょうか?近代化の投資が厳しいので、昭和3年製の車両をまだまだ使う意思表示なのか? 

 

5.モ752(相羽~黒野:1989年1月)

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この日は谷汲山華厳寺の初詣輸送で2連は谷汲線運用に充当されるため、いつもとは逆に単行のワンマンカーは忠節~黒野~揖斐間の運用に入っていました。 

 

6.モ704+ク2327(下方~相羽:1989年1月)

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この列車は谷汲への直通です。そろそろ岐阜方面からの乗客が増えてきました。 

しかしながら、前面窓のアルミサッシが異常に目立ち、違和感ありです。

 

7.モ513+モ514(相羽~黒野:1989年1月)

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お目当てのモ510形の2連がやって来ました。

正月3ヶ日は、岐阜市内から谷汲線に直通する急行運用にモ510形2連が充当されました。ところで、モ510形は往年の急行塗装に復元されて、非常に凛々しい姿で登場です。この頃名鉄は設備投資が追い付かない状況を逆手に取ったのか、レトロを売りに出た様です。

しかし、大正から昭和初期に製造された車両は丈夫です。モ510形も晩年は予備車的存在ではありましたが、揖斐線が廃止となる2005年まで健在でした。