いい加減しびれを切らすところでしたが、ようやくお目当ての3連がやってきました。
気になる後尾車はなんと初登場の67でした。これは願ってもないご褒美です!!。
1.72+81+67 (西前田~水田:1993年11月)
あきらめずに待った甲斐がありました。
先頭の72は元東濃、中間の81は元南武の買収国電、後尾の67は元宮城の買収国電といった超強者の凸凹3連です。
本来オンボロのはずの3両とも塗装したてのピカピカで、まるで新車の様です。
2.72+81+67 (西前田~水田:1993年11月)
この3連の登場で気が動転してしまい、手元が狂って貴重な列車が2枚しか連写できませんでしたが、最高の収穫となりました。
3.67 (西前田~水田:1993年11月)
貴重な3連が行ってしまったあとはもうどうでも良い感じでしたが・・・
こんどは先ほど3連にぶら下がっていた67が単行で戻って来ました。回送ではなく、ちゃんとした営業列車です。
4.67 (西前田~水田:1993年11月)
この折返し単行の情報は持っていなかったので、これは一大事でした。
しかも、67(注1)はいつも車庫の隅っこに留置されていたので、今回が初めて撮れたまともな写真です。
5.67 (西前田~水田:1993年11月)
(注1)67の車歴
・琴電67(モハ)←琴電220(クハ)←国鉄クハ302←宮城クハ302:1926年日本車輌製
67は宮城電鉄クハ302を前身とする買収国電でした。琴電には同形のクハ301~303の3両が国鉄から1958年に入線し、1000形の制御車210,220,230として竣工しましたが、220だけが1972年に鋼体化と同時に電装化されて67となり、210は鋼体化されずに1968年廃車、230は1957年に鋼体化されて1993年時点も健在で、志度線、長尾線で活躍していました。67と230は基本的に同じ轍を歩んできた兄弟車ですが、鋼体化の時期が異なるため外観はかなり異なり、全く別の車両でした。
6.29+30 (西前田~水田:1993年11月)
さて、ラッシュも終盤ですが、この場所も飽きてきたので、また撮影場所を移動します。