ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第581話 1991年叡山:他力本願起死回生!!

私のローカル線巡りは、なくなりそうな路線にどうしても偏っていました。

ところが、健全な路線はそのうち見に行こうと油断していたら、いつの間にか古い車両が一掃されてしまう路線が出始めました。例えば、福島交通水間鉄道など。

 そうなる直前だったのが、叡山電鉄でした。叡山電鉄は元々京福電鉄でしたが、起点である出町柳京都市電廃止後は陸の孤島になってしまい、あわや廃止かと思うほど輸送需要が減ってしまい、とうとう1986年に分社化されて叡山電鉄となり、それからが臥薪嘗胆でした。なんだか関東鉄道の筑波線、鉾田線のような話です。しかし、京阪電鉄が1989年に出町柳まで延伸されると情勢は一転しました。叡山電鉄は鞍馬、貴船、八瀬などの有名な観光地を控える路線なので、バブル期の観光ブームの後押しもあり、見事に復活しました。今回は他力本願で見事に起死回生を果たした叡山電鉄の話題です。

 

1.デナ125+デナ126 (二ノ瀬~貴船口:1991年9月)

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 叡山電鉄にしてみれば、京阪東鴨線の開業はまさに「棚から牡丹餅」で、京阪様様と言ったところですが、1991年には京阪電鉄の傘下に収まり、当初から仕組まれたシナリオだったのかも知れません。

 

2.デナ125+デナ126 (二ノ瀬~貴船口:1991年9月)

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 そして車両は、1987年頃から体質改善が進められて、もたもたしている間に、旧型車は車体更新によりほとんどが小綺麗な小型車に生まれ変わりました。

1991年時点では、なぜか一番古いデナ21形が少々残っていましたが、それよりも新しいデオ200形、デオ300形、デナ500形は主要機器を更新車に譲り、現存していませんでした。これには後悔しています。

 

3.デオ605+デオ606 (二ノ瀬~貴船口:1991年9月)

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 1991年当時、叡山電鉄の車両で京福時代から引き継いだ車両に、デオ600形(注1)がありました。この車両は1979年~1980年にデナ500形の機器流用により武庫川車輌で6両製造されたもので、製造当時の世相を反映するようなつまらない車両です。この車両に臓物を提供したデナ500形は元阪神電鉄の831形だったことからデオ600形は武庫川車輌に発注されたのでしょうが、以降、京福嵐山線の新車ともども、武庫川車輌とのつながりがデオ900形(キララ)まで続きますが、残念ながら武庫川車輌はなくなってしまいました。

 

4.デオ604+デオ603 (貴船口~鞍馬:1991年9月)

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 (注1)デオ600形の車歴

・叡山デオ601←京福デオ601:1979年武庫川車輌製(デナ510の機器流用)

・叡山デオ602←京福デオ602:1979年武庫川車輌製(デナ508の機器流用)

・叡山デオ603←京福デオ603:1979年武庫川車輌製(デナ507の機器流用)

・叡山デオ604←京福デオ604:1979年武庫川車輌製(デナ509の機器流用)

・叡山デオ605←京福デオ605:1980年武庫川車輌製(デナ501の機器流用)

・叡山デオ606←京福デオ606:1980年武庫川車輌製(デナ502の機器流用)

 

5.デオ602+デオ601 (貴船口~鞍馬:1991年9月)

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 今回は話題に挙げませんが、1991年当時の在籍車両であるデオ710形はデナ21形、デオ720形の一部はデオ200形、デオ730形はデオ300形の機器流用でした。デナ21形は昭和初期の車両なので、デオ710形に更新されましたが、更新は2両だけで、残り6両は原型のまま生き残りました。それなのに、デナ21形よりも新しい戦後製のデオ200形、デオ300形が先に更新されてしまった理由がよく判りませんが、もしかすると、デナ21形は元が古いので、先が見えていたからなのかも知れません。

 

6.デオ601+デオ602 (二ノ瀬~貴船口:1991年9月)

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 デオ600形は15m級の両運車です。製造時から貫通化されており、単行でも2連でも対応できる車両でしたが、叡山電鉄になったころから普段は2連化されていました。