この日は、まずまずの天気だったので沿線をブラブラしながら撮影を続けました。 この沿線も徐々に宅地化が進んでいましたが、この周辺は昔ながらの佇まいでした。もう1ヵ月もすれば、一面が水田になって、良い景色となるはずですが、なかなか撮影のタイミングが合いません。
1.モハ9 (川中子~常陸岡田:1993年4月)
先程撮影したモハ9が常陸太田から戻ってきました。この日は2連のクモハ351+クモハ352も運用されていましたが、次は何が来るのか気になります。しかし、日中は単行ばかりなので、せっかく購入した2000系はほとんど走りません。せっかくの車種統一ですが、イマイチピントがずれている様な気がしました。
2.モハ10 (常陸岡田~川中子:1993年4月)
続いてやって来たのは、モハ10でした。モハ10はモハ9と同じ全長わずか14mの小型電車です。真横から撮ってもこの大きさです。
3.モハ10 (川中子~常陸岡田:1993年4月)
モハ10とモハ9は、同時期に製造された双子車両です。この年でちょうど50歳になりましたが、改造が大好きな日立電鉄では、この2両もさんざんいじられて、経年的にモハ9とモハ10は少し外観が変わってしまいました。
4.モハ10 (川中子~常陸岡田:1993年4月)
しかしながら、モハ9もモハ10も好ましいローカル電車です。調子に乗って3枚も連写してしまいました。
5.モハ3021 (川中子~常陸岡田:1993年4月)
そして、ついにモハ3021の登場です。まさか両運化した元営団2000系が日立に出現するとは思いませんでしたが、まもなくこの車両の増備が始まります。ちなみに、この頃のローカル私鉄が導入した大手の中古車両は、東急7200系、京王5000系、西武701系、営団3000系などでしたが、やはり日立電鉄にはデカ過ぎた様で、営団2000系をわざわざ大改造することになった様です。しかし、この時期の車両で非冷房はどうしたものか?この当時はお隣の茨城交通がまだ非冷房だったので、それに倣ったのか?それとも予算の都合だったのか?結局、その後も冷房化されることはありませんでした。
6.モハ3021 (川中子~常陸岡田:1993年4月)
この車両の生い立ちは、第三軌条の地下鉄車両です。改造を請け負ったのは京王重機でしたが、どこかのカエル電車とは違い、片運車の連妻側にも他車の前妻を移植する徹底ぶりには感心しました。もう素のデザインを追求した日立流改造車の美学は過去の話しになっていました。