ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第838話 1992年伊予:川造を追い掛ける。

第588話~第590話では、1992年年末の伊予鉄道古町車庫の様子をお伝えしましたが、車庫訪問後の沿線撮影をお伝えすることをすっかり忘れていました。ちょっと間が空いてしまいましたが、今回はその続きをお伝えします。

 

1.モハ51 (大手町:1992年12月)

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 ここは松山市内の大手町です。前方はJR松山駅で、ちょうど伊予鉄の市内線と鉄道線が平面交差する場所です。こういう光景も今となってはこの場所くらいではないでしょうか。

 

2.モハ112+クハ411+モハ411 (古町:1992年12月)

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 さて、今回お伝えしたかったのは、この川造(カワゾウ)です。元西武電車ですが、伊予鉄では一番古い現役の電車でした。わずかに1編成3両だけが生き残っていました。しかし、年齢の割には良く働いているようで、それだけ調子が良かったということでしょうか。

 

3.クハ767+モハ717 (古町:1992年12月)

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 ここは古町ですが、700系は高浜線の営業列車です。高浜線の列車は横河原線との直通運転ですが、架線電圧は高浜線はDC600V、横河原線はDC750Vでなぜか異なっています。ちなみに郡中線はDC750Vです。電圧の境界は松山市駅ですが、市内線はDC600Vなので、先程の平面クロスや古町車庫の市内線と鉄道線の共用は問題ありません。しかし、鉄道線車両は異なる電圧区間を直通しますが、いわゆる複電圧車ではなく、DC750V仕様となっており、DC600V区間は性能を下げて運行されています。同じ路線で架線電圧が異なるとは、どういう理由なのか?おそらく古町車庫が市内線車両も同居していることに理由があるようですが、元々高浜線横河原線は別会社であり、高浜線は1931年には電化されましたが、横河原線伊予鉄合併後も1967年まで非電化で、全列車がDLで客車を牽引する超旧態然とした路線でした。横河原線の電化前から郡中線はDC750Vなので、すでに車両はDC750VとDC600V区間をまたがって運用されていたことから、横河原線の電化は郡中線の規格に合わせた様です。

 

4.モハ112+クハ411+モハ411 (古町:1992年12月)

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 古町のホームで電車を待っていたら、高浜行の川造がやって来ました。この日、川造は、横河原・高浜線の運用に入っていました。早速追い掛けることにしました。

 

5.モハ111+クハ411+モハ412 (牛渕団地前牛渕:1992年12月)

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 横河原線に先回りして、川造を捉えました。この3連は、モハ112+クハ411にモハ111を連結した、オール川造編成です。少し前までは仲間がいましたが、この時点ではこの1本だけになっていました。

 

6.モハ718+クハ768 (牛渕団地前牛渕:1992年12月)

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 700系は基本は2連です。当初は大半がMc車を連結して3連で運用されましたが、この頃は運用の見直しで、日中は2連が多かったように思います。

 

7.モハ721+モハ711+クハ761 (牛渕団地前牛渕:1992年12月)

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 3連はモハ720形(Mc)+モハ710形(Mc)+クハ760形(Tc)で運用されていました。720形は高浜・郡中寄りに連結される片運車ですが、この車両は主制御装置、補助電源、コンプレッサーを装備する1M電車で、単独で走行が可能です。時々連結を開放されたモハ720形が単独で本線を回送することがあったそうでが、片運車の単独走行はなんとも異様です。