ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第839話 1992年伊予:川造を追い掛ける(その2)

四国は関西圏ですが、以前から琴電伊予鉄もなぜか関東方面の大手私鉄から中古車を買い集めていました。そして1990年代になると琴電京急伊予鉄は京王の色合いが益々濃くなっていました。

 

1.モハ717+クハ767 (牛窪団地前~牛窪:1992年12月)

f:id:kk-kiyo:20210531201748j:plain

 夕方になるとオレンジ色が一段と映えます。やはり元京王5000系には伊予鉄カラーが似合います。後に塗装が変更されて、クリーム色地に窓下にオレンジ色と黄色の細い2色ラインとなりますが、私はこの塗装の方が好みです。

 

2.モハ710形+クハ760形 (岡田~古泉:1992年12月)

f:id:kk-kiyo:20210531201812j:plain

 この日は、ついでに郡中線にも行ってみました。撮影場所を決めていなかったので適当に岡田で下車しました。こちらは2連の700系が走っていました。

 

3.モハ714+クハ764 (岡田~古泉:1992年12月)

f:id:kk-kiyo:20210531201838j:plain

 郡中線の終点である郡中港駅はJR予讃線伊予市駅すぐ近くです。よって、郡中線予讃線はモロに競合路線となります。かつては予讃線は非電化で松山以西は相当なローカル線でしたが、この頃は伊予北条伊予市間がすでに電化されており、都市型ダイヤが運用されていたので郡中線には脅威でした。

 

4.モハ710形+クハ760形 (岡田~古泉:1992年12月)

f:id:kk-kiyo:20210531201901j:plain

 郡中線は、他の路線と直通はしておらず、松山市郡中港間の線内折返しで運用されていました。この路線は南予鉄道として明治29年に開通した路線です。明治33年には伊予鉄道に合併されますが、横河原線や廃止された森松線共々非電化でした。しかし、郡中線は戦後の燃料事情が悪いなか、1950年に電化されましたが、横河原線は1967年まで非電化で残りました。

 

5.モハ712+クハ762 (岡田~古泉:1992年12月)

f:id:kk-kiyo:20210531201927j:plain

 この日の郡中線は700系ばかりでした。この頃、郡中線には川造が運用されていたのか不明ですが、川造は3連化されていたので、恐らく郡中線に運用されることはほとんどなかったのではないかと思います。

 

6.モハ720形+モハ710形+クハ760形 (西衣山~衣山:1992年12月)

f:id:kk-kiyo:20210531202048j:plain

 ここからは高浜線です。高浜線伊予鉄道では一番古い路線で、開業は明治21年でした。当初は非電化のナローゲージで、国内では一番古い軽便鉄道とのことです。いわゆる「坊っちゃん列車」でしたが、国鉄予讃線開通に対抗して、改軌、電化、複線化を図り、伊予鉄では一番気合の入っていた路線です。

 

7.モハ810形+サハ850形+モハ820形 (西衣山~衣山:1992年12月)

f:id:kk-kiyo:20210531202141j:plain

 現在高浜線横河原線と直通運転されていますが、これは、1981年から始まったもので、それ以前は、松山市駅を基点に、高浜線横河原線郡中線がそれぞれ3方向に個別に運行されていました。しかし、横河原線は1967年まで全列車がDL牽引の客車で運行されていたとは、高浜線横河原線のギャップを感じます。その横河原線で活躍していた客車の1両が、第589話でお伝えした古町車庫の2軸客車です。