今回は京津線の蹴上付近の様子です。京津線は京津三条から蹴上の先まで併用軌道でした。この区間は交通量が非常に多いのですが道幅が狭く、いつも渋滞していました。しかも、道幅が狭いためか、軌道敷内の自動車通行も可能だったので、道路が渋滞すると電車も渋滞に巻き込まれてしまい定時運行ができません。
1.90+89 (蹴上~東山三条:1996年12月)
この併用軌道区間には、蹴上のほかに東山三条の電停がありました。蹴上も東山三条も利用客は結構いましたが、残念ながら準急は通過のため、行楽シーズンの80形はいつも混んでいました。京津線の列車はツーマン運転でしたが、これは仕方ありませんでした。
2.613+614 (東山三条~蹴上:1996年12月)
京津線の準急は15m級の高床の小型電車で、石山坂本線と共通運用の600形と700形が運用されていました。この600形は一見新製車の様ですが、1984年~1988年に吊掛車の260形・300形の車体流用で自社製造された冷房付きのカルダン車です。この頃は石山坂本線には、まだ260形は存在していましたが、600形と700形は京津線の準急運用に優先して充当されていました。
3.84+83 (蹴上~東山三条:1996年12月)
ところで、80形(注1)は、吊掛車ではありますが空気ばね台車を履き、回生ブレーキ付きの画期的な電車でした。
(注1)80形の車歴
・京阪81,82:1961年近畿車輌製
・京阪83,84:1964年近畿車輌製
・京阪85,86:1966年近畿車輌製
・京阪87,88,89,90:1967年近畿車輌製
・京阪91,92,93:1968年近畿車輌製
・京阪94,95,96:1970年近畿車輌製
4.92+91 (蹴上:1996年12月)
80形は、81~93までは両運車で製造されましたが、最終増備となった94~96は2連化のため片運車で製造されました。全車が京都市交東西線開業となる1997年11月まで健在でした。まとまった両数が廃車となったので、どこかに移籍の話しもあったようですが、結構重量が重かったので、残念ながら引き取り手はありませんでした。
5.602+601 (蹴上~東山三条:1996年12月)
600系は、吊掛車の260形、300形の更新目的で車体を流用して自社の錦織工場で製造されました。前頭構体は非貫通の2連窓で新製されましたが、側面に種車の面影が残ります。
6.616+615 (蹴上:1996年12月)
1984年製の1次車である601~608は前面窓が平面ですが、609~620は前面窓がパノラミックウインドに変更となりました。この600形製造の頃はまだ将来の昇圧を考慮していなかったのか、600形はDC600V仕様で製造されましたが、1993年頃から複電圧化されました。
7.92+91 (蹴上:1996年12月)
600形も700形も京都市交東西線開業後は昇圧されて石山坂本線で生き延びることが決まっていたので、どうでも良いのですが、この80形は先がありません。この蹴上電停付近の光景も、80形と共にまもなく見納めでした。