ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第440話 1989年南部縦貫:赤字が創るメルヘンの世界(その4)

今回は、南部縦貫鉄道の午後の列車撮影です。午後は3往復運行されましたが、最後の3往復目は季節によっては日没で撮影で来ません。GW頃は微妙な時期です。

 

1.キハ102 (七戸~森田牧場前:1989年5月)

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 午後も、七戸から森田牧場方面に歩きながらの撮影です。午後は陽の向きも変わり、午前中と同じ場所でも違った景色の撮影が楽しめました。

軌道敷には野花が咲き、山桜も満開です。メルヘンと言うよりも、眠気をそそります。

 

2.キハ102 (七戸~森田牧場前:1989年5月)

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 ちょうど子供の日が近く、沿線には鯉のぼりも登場です。しかし人っ子一人いません。貨物列車もなくなり、並行する路線バスは倍以上の運転本数です。なぜこの路線が存続しているのか理解できませんでした。

一説によれば、東北新幹線の青森開業時に接続して生まれ変わることを夢みていたそうですが、新幹線の青森開業はそれから21年後の2010年12月です。期待通り南部縦貫鉄道の沿線に七戸十和田駅が開設されましたが、さすがにそこまでは南部縦貫鉄道も耐えられませんでした。1997年5月に運転休止となり、2002年8月に廃止されました。

ところで、せっかく出来た七戸十和田駅はどれほどの利用があるのか?私は東北新幹線の駅は十和田観光電鉄に接続すべきではなかったかと思っています。まあ、それが実現していたところで十和田観光電鉄が生き延びたかどうかは何とも言えませんが、現在の七戸十和田駅よりもまだましな様な気がします。

 

3.キハ102 (森田牧場前~七戸:1989年5月)

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 ちょっと不思議な構図の写真ですが、列車の通過時間を勘違いしていたので、突然やって来た列車はこんな写真になりました。

 

4.キハ102 (営農大学前~森田牧場前:1989年5月)

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 営農大学前~森田牧場間の直線を横から撮影するとこんな写真になりました。

ほとんどの人は、この直線区間を森田牧場前から望遠で正面撮影します。するとアップダウンの切通しの様な写真が撮れますが、実は直線の中ほどはこの様に築堤となっていました。南部縦貫鉄道の路線はこの様な築堤や切通しが多く、建設費も結構かかっている様ですが、最初はそれだけ期待が大きかったと言うことです。

 

5.キハ102 (営農大学前~森田牧場前:1989年5月)

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  ここは、午後から順光となり、一味違ったメルヘンチックな写真が撮れました。

 

6.キハ102 (営農大学前~森田牧場前:1989年5月)

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 これも同じ場所で撮ったものです。白樺林が程よく透けてレールバスが見えましたが、こういう写真は結構難しいです。

第439話 1989年南部縦貫:赤字が創るメルヘンの世界(その3)

南部縦貫鉄道の運行は1日5往復の1列車運用でした。午前中は2往復の列車を撮影し、午後の運用まで時間が空くので、一旦、七戸に戻りました。

 

1.キハ102 (七戸:1989年5月)

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 七戸では、キハ102が午後の運用まで昼寝です。この日は終日キハ102が走ります。昼寝時間に車内清掃がされていました。

 

2.キハ102の車内 (七戸:1989年5月)

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 前回の訪問時はキハ101の車内を撮影しましたが、今回はキハ102の車内撮影ができました。基本的に、キハ101もキハ102も同じ車両ですが、長年の使用により若干手が加えられて、2両には微妙に差異が見られました。特に、床材の柄が、キハ102はベージュの無地ですが、キハ101は紺とベージュの市松模様でした。

 

3.キハ102の運転台 (七戸:1989年5月)

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 シンプルな運転台ですが、さすがに無線機を搭載しています。

 

4.キハ102の運転席 (七戸:1989年5月)

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 年季の入った運転席は、高さ調整も出来ませんが、一応モケット張りです。

運転席の向こう側のレバーはシフトレバーです。この車両はトルコン車ではなく、始終機械式でした。

 

5.キハ102 (七戸:1989年5月)

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 陽の向きが良かったので、真面目な形式写真を撮りました。

1962年製のレールバスはこの時点で27歳でした。私よりも1歳年上です。普通のバスならとっくに廃車されているはずですが、まだまだ現役でした。そしてそれから30年以上経った現在、もう走る路線はなくなってしまいましたが、このレールバスは健在です。現在も七戸の構内で動態保存されており、時々イベントで動いている様ですが、部品確保をどうされているのか・・・。

第438話 1989年南部縦貫:赤字が創るメルヘンの世界(その2)

南部縦貫鉄道は沿線もメルヘンチックでした。

列車を待つ間、することもなくブラブラ歩いて、森田牧場の馬の写真なんかを撮っていました。

 

1.森田牧場の馬 (森田牧場:1989年5月)

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 森田牧場と言えば、サラブレッドの牧場として有名です。

なんとか、レールバスと馬を一緒に撮影できないか、撮影ポイントを探しました。

 

2.キハ102 (森田牧場前~七戸:1989年5月)

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 ここは、森田牧場前駅のすぐ横です。レールバスと馬が一緒に撮れる唯一の場所ですが、なかなか馬がおらず、いつもこんな感じになってしまいます。

 

3.キハ102 (森田牧場前~七戸:1989年5月)

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 しかし、この日は馬がいました。ところが馬は気まぐれで、常に動き回っているので、なかなかタイミングが合わず、この写真も構図が定まらず、ピンボケ、手振れ、おまけに列車にポールがかぶってしまい、三拍子そろった失敗作になりました。

 

4.キハ102 (森田牧場前~七戸:1989年5月)

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 あわてて連写したものの、これもとても中途半端な写真になりました。

残念ながら、馬たちはこの後どこかに行ってしまい、もう撮影はできませんでした。

 

5.キハ102 (七戸~森田牧場前:1989年5月)

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 七戸行きの2番列車が来る頃には、霧はなくなり、爽やかな五月晴れとなりました。

こんども森田牧場の周辺で撮影です。南部縦貫鉄道は、森田牧場のまわりに沿って森の中を走りますが、開けた場所が全くありません。

 

6.キハ102 (七戸~森田牧場前:1989年5月)

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 午前中の列車はこれで終わりです。列車本数が少ないので、この列車もしっかり連写しました。

このあとは、午後の列車まで2時間空きます。一旦七戸に戻って食事です。

第437話 1989年南部縦貫:赤字が創るメルヘンの世界

南部縦貫鉄道の魅力は、小さなレースバスが走る牧歌的な光景。そして幻想的でメルヘンチックな世界観でした。

しかしながら、現実はそんな甘いものではありません。国策に翻弄され開業時から経営はさんざんな状況で、お伽の国のレールバスは常に火の車だったはず。メルヘンの現実は淡いパステルカラーではなく、真っ赤な赤字の世界でした。

さて、今回は赤字を現実逃避してしまうほどメルヘンチックな南部縦貫鉄道の話題です。

 

1.キハ102 (七戸:1989年5月)

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 今回の南部縦貫鉄道訪問は、1989年のGWに行った東北地方ローカル私鉄早回りの途上でした。すでに報告済ですが、日鉄尻屋鉱業所→弘南鉄道津軽鉄道→小坂鉄道を巡って辿り着いたのは、七戸にあった、あの五右衛門風呂の白鳥旅館でした。

前年に続き、2回目の宿泊ですが、この時は旅館のご家族と一緒に夕飯を頂き、観光旅行かと尋ねられて、南部縦貫の写真を撮りに来たと話すと、なぜか皆さん不思議そうでした。

この日も勝手知ったる五右衛門風呂に浸かり、屋根裏部屋に泊まり、座敷童にも会うことなく、翌朝は5時に宿を出発しました。

 

2.キハ102 (七戸:1989年5月)

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 ところが、翌朝は昨年に続き強烈な濃霧。これでは撮影にならないと、投げやりに撮影したのが今回の一連の写真ですが、出来上がって見ると、なんともメルヘンチックな仕上がりでした。

写真の1,2は、出庫したレールバスの転線中の様子です。

 

3.キハ102 (森田牧場前~七戸:1989年5月)

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 6:00発野辺地行の一番列車を、構内の外れで待ち構えました。

朝霧の中、自動車のクラクションのような警笛とともに、赤い車体が現れました。

 

4.キハ102 (森田牧場前~七戸:1989年5月)

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 思わず連写!! レールバスは2軸車特有の軽快なジョイント音とともに通過して行きました。

 

5.キハ102 (七戸~森田牧場前:1989年5月)

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 そして、再び霧の中に消えて行きました。

さて、次はレールバスを追い掛けて森田牧場方面に移動です。

 

6.キハ102 (森田牧場前~営農大学前:1989年5月)

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 今度は、折返しの七戸行きを、森田牧場前~営農大学前間の直線区間で狙いました。多少霧が晴れてきたので、200㎜のズームで縦位置撮影です。毎度の、息を止めて仁王立ちのハンドドライブ(手巻き)で連写です。ピントが甘いのは霧のせいか?・・・何枚も連写しましたが、まともだったのは、この1枚だけでした。

 

第436話 1984年東金商店街:いにしえの商店軌道(その3)

今回は東金商店街に存在した、伊勢孫本店さん以外の商店軌道です。

他の2軒はスタンダードの商店軌道でした。いずれも通りに面した商店から、お店の裏側にある倉庫に商品などを運ぶための軌道で、手押しトロッコが1両ありました。

 

1.内野屋砂糖店 手押し軌道 (1984年3月)

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 こちらは、内野屋砂糖店さんです。お店の中を貫通する軌道は、カーブしてお店の裏手にある住居の軒先を通り倉庫まで敷設されていました。

 

2.内野屋砂糖店 手押し軌道 (1984年3月)

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 良く吠える元気な番犬がいました。この軌道は総延長が50mほどで、軌間は610mmですが、狭い路地に敷かれているので、軌間が広く見えます。

 

3.内野屋砂糖店 手押し軌道 (1984年3月)

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 なんとも、生活感漂う模型チックな雰囲気です。

 

4.内野屋砂糖店 手押し軌道 (1984年3月)

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 この軌道の終端部には物干し台があり、そこに登ると、この様に軌道が俯瞰できました。ジオラマを見ているようです。

 

5.内野屋砂糖店 手押し軌道 (1984年3月)

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 お店の土間を軌道が貫通していました。そこには木製のトロッコが1台、商品を載せて鎮座していました。

 

6.八百平商店 手押し軌道 (1984年3月)

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 最後のもう1軒の軌道は、雑貨問屋の八百平商店さんです。こちらも用途は内野屋砂糖店さんと同じで、似たような線路配置ですが、すでに使用されていない様子でした。総延長は30mほどで、軌間は500mm?。

 

7.八百平商店 手押し軌道 (1984年3月)

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 レールも朽ちて、これではトロッコも通行できません。

 

8.八百平商店 手押し軌道 (1984年3月)

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 軌道は、通りに面したお店と隣の建物の間の狭い路地に唐突に敷かれており、一瞬見過ごしてしまいそうな場所にありました。しかし、奥の方はやや開けて雑木林の様になっていました。

 

9.八百平商店 手押し軌道 (1984年3月)

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 こんな廃線のような軌道でしたが、トロッコは健在でした。もはや物置台と化した様相ですが、しっかり車輪はレールに載っていました。

以上が、かつて東金商店街に存在した商店軌道です。今や鉄道は無人で走る時代ですが、これぞ鉄道の原点と言っても過言ではないでしょう。しかし、いずれも現存しないことが非常に残念です。

第435話 1984年東金商店街:いにしえの商店軌道(その2)

伊勢孫本店さんの軌道に機関車が存在した理由は、この勾配です。

軌道はお店の裏からさらに裏山へ延びており、そこに急勾配が存在しました。この勾配の上には麹製造に使用される麹室と言われる防空壕のような貯蔵庫があり、そこに麹の材料を運び上げるのに、機関車が必要でした。

 

1.伊勢孫本店 軌道の勾配区間 (1984年3月)

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 自家用トロッコとは思えないほど本格的な線路も、お店の御主人お手製とのことです。軌道の総延長は100mはあったと思います。軌間は460mmとのことでした。

しかしこの勾配はかなり急坂です。普通の小型機関車では厳しいかも・・・。

 

2.伊勢孫本店 軌道の勾配区間 (1984年3月)

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 この坂をバッタロコはトロッコを推進して登ります。この軌道はお店の裏山に敷かれていましたが、広い敷地は裏庭となって整備されており、まさに庭園軌道でした。

 

3.伊勢孫本店 軌道最上部の麹室 (1984年3月)

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 坂の上には、行き止まりの崖に穴が掘られており、防空壕のような麹室がありました。その麹室の手前が軌道の終点です。

 

4.伊勢孫本店 軌道最上部の麹室 (1984年3月)

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ここは、軌道の終点です。鉱山の坑口のようにも見えます。

その手前にはターンテーブルがありました。この場所には 麹室が3カ所あり、本線は真ん中の室に直進しますが、この左右にある室には、ターンテーブルを介してほんの数mほど人力で移動します。

 

5.伊勢孫本店 軌道最上部の麹室 (1984年3月)

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 室に止めてあったトロッコターンテーブルに乗せて転向してみました。バッタロコも下る時はここで転向していたのでしょうか?ちなみにトロッコは重力で下る様ですが、ブレーキテコがないトロッコは結構おっかないです。

 

6.伊勢孫本店 軌道最上部の麹室 (1984年3月)

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 模型のようなターンテーブルですが、良くできていました。 模型にすると直径12~13㎜程度の大きさでしょうか。

第434話 1984年東金商店街:いにしえの商店軌道

ご年配のローカル線ファンなら、東金と言えば「九十九里鉄道」ではないでしょうか。

私はその実物を見るこが出来ず、東金も無縁の地でしたが、1984年に東金で衝撃的な出会いがありました。

その頃、レールマガジン誌に連載されていた「THEトロッコ」は、毎回楽しみで、このために毎月レールマガジン誌を購入していました。その中でも創刊3号の「チバ県トロッコものがたり」は大変興味深く、思わず東金商店街に出向いてしまいました。

当時、東金商店街には自家用のトロッコ軌道を保有するお店が3軒ありました。いずれもレールマガジン誌に掲載されてから有名となり、他の鉄道誌などにも紹介されて、相当な来訪者があったようです。

しかし、もう36年も前のことで、これからご紹介するトロッコ軌道はすでに現存しません。ちなみにトロッコ軌道を保有されていたお店もありません。建物も建て替えられてトロッコ軌道の痕跡すらないそうです。

今回は久々にインスタントカメラ時代のプリントを家庭用コピー機でスキャンしたため、大変お見苦しい画像となりましが、ご了承下さい。

 

1.伊勢孫本店 (1984年3月)

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 まずは、米麹を製造販売されていた伊勢孫本店さんの本格的な自家用軌道です。

こちらの軌道は東金商店街では一番大規模で、自前の機関車もありました。軌道はお店の正面軒下から敷設されており、写真の看板あたりから右折してお店の裏側へと向かいます。

 

2.伊勢孫本店軌道路線図

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 路線図を見て頂くと、この軌道は単なる商店トロッコではなく、濃縮された産業軌道であることがわかります。転車台が3カ所あり、複雑に側線が分岐していますが、側線には意味があり、個々に機能している様でした。

現物を見るまでは、実物大の模型程度と軽視していましたが、現在の様に汎用の搬器がまだ普及していなかった頃の、かなり真面目な自家用運搬設備の傑作です。こういうのを産業遺産として残して欲しかったです。

 

3.伊勢孫本店 (1984年3月)

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それでは、伊勢孫本店さんにお邪魔して見学開始です。 

この写真はお店の正面から裏へ向かう軌道を撮影したものですが、コンクリート舗装された立派な併用軌道になっていました。

 

4.伊勢孫本店 (1984年3月)

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 お店の裏には、この軌道の拠点があり、小さなターンテーブルとそこから側線が放射状に敷設されていました。

 

5.伊勢孫本店 (1984年3月)

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 そして、このシートを被った物体が、お店の御主人お手製の機関車です。

木枠の台車に耕運機のエンジンを搭載した4軸車です。しかし、機関車と言ってもベースはクボタの耕運機なので、運転は耕運機同様に運転手は歩きながらハンドル操作します。当時のレールマガジン誌では、この様な耕運機改造機関車を「バッタロコ」と表現されていました。なぜこんな機関車が必要だったのかは、後ほど説明します。

 

6.伊勢孫本店 (1984年3月)

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 ターンテーブルから分岐する側線には、なんだか良くわからない車両?が留置されていました。この車両は何なのか? 動力車ではなさそうですが、木製トロッコの上に電動モーターと奇妙な機械が載っていました。

 

7.伊勢孫本店 (1984年3月)

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このターンテーブルの周辺は、意味不明なトロッコ台車や軽トラまで同居していました。 

 

7.伊勢孫本店 (1984年3月)

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 側線は、お店の裏にある建物内にも延びており、そこにもターンテーブルがありました。写真は建物内のターンテーブルですが、麹製造用の木枠を高く積み上げたトロッコが載っていました。そして、このターンテーブルの左方向に延びるレールが、この軌道の本線です。