ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第605話 1991年三岐:貨物を見に行く(その3)

貨物列車は想定外に長大編成でやって来る可能性があります。第604話の失敗を鑑み、見通しの良い場所へ移動です。

三岐鉄道の場合、見通しの良い場所となれば、三里~丹生川間がお薦めです。 

 

1.ED45形重連+貨物 (三里~丹生川:1991年11月)

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ここは 藤原岳をバックにお決まりの撮影ポイントです。この場所なら長編成でも問題ありません。しかし、やって来た貨物は長編成ではなく拍子抜けです。

 

2.ED45形重連+貨物 (三里~丹生川:1991年11月)

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 慌てて構図を変更して連写しました。こんな時はズームレンズが便利です。とりあえず貨物列車のまともな写真も撮れたのでノルマ達成です。

ところで、この貨物列車が牽引するセメントは、後方の藤原岳を削って造られたものですが、この山がなくなるまでセメント輸送は続くのでしょうか?

 

3.101系2連 (三里~丹生川:1991年11月)

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 続いて101系(注1)です。この車両は見た目は601系と変わりませんが、西武時代に急増する輸送対策として、安価に吊掛車として製造された車両です。しかし、時すでに吊掛車の時代ではなく、後にカルダン車となりました。三岐に移籍時は、すでに冷房付きのカルダン車になっており、1990年~1993年に3編成導入されましたが、1991年時点では2編成在籍していました。

(注1)101系の車歴

・三岐クモハ101+クモハ102←西武クモハ402+クモハ401←西武クハ1451+クモハ411:1964年西武所沢製

・三岐クモハ103+クモハ104←西武クモハ406+クモハ405←西武クハ1453+クモハ413:1964年西武所沢製

 

4.クハ216+モハ150+モハ151 (保々:1991年8月)

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 この頃、三岐鉄道の電車は、ほとんどが元西武の中古車でしたが、元小田急が1両いました。この元小田急であるクハ216(注2)は、この時点で自社オリジナルのモハ150,151と3連を組んで予備車になっていましたが、ほとんど出る幕はなさそうでした。結局クハ216とモハ150はこの年に廃車となり、残ったモハ151も翌年に廃車されました。

(注2)クハ216の車歴

・三岐クハ216:1976年西武所沢製(車体:←小田急クハ2154:1954年日本車輌製)

 クハ216は小田急2100系の車体と西武311系の台車を組合せて作られた新車名義の車両で、同時期に同じく小田急2100系の車体を流用したクハ215とモハ125も導入されましたが、クハ215とモハ125は1990年に廃車されてクハ216だけがモハ150形の増結用に残りました。

 

5.クハ1606+クモハ605 (保々:1991年8月)

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 601系は2連の主力でしたが、冷房付きの101系が導入されるとやはり陳腐化が目立ち、第1編成は1992年に廃車されました。

 

6.クハ1604+クモハ603 (保々:1991年8月)

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 601系はドアの扉が鋼製ですが、三岐に導入された以降、第1編成以外はSUS製の扉に交換されます。この写真は第2編成ですが、この時点ではまだ鋼製の扉でした。第2、第3編成は1997年に廃車となり、第4編成は予備車として残りました。

 

7.クハ1802+モハ802+クモハ801 (保々:1991年8月)

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 801系(注3)は元西武701系を3両化して1989年から導入されたものです。1991年時点では第1編成のみ在籍していましたが、その後851系を含めて4編成となり、この増備により、湘南顔の501系が淘汰されました。

 (注3)801系の車歴

・三岐クハ1802←西武クハ1780:1967年西武所沢製

・三岐モハ802←西武モハ780:1967年西武所沢製

・三岐クモハ801←西武モハ779:1967年西武所沢製

三岐鉄道は、電車が面白くなかったので、どうしても腰を据えて撮影に臨む気がしませんでしたが、貨物列車は大変魅力的です。この翌年の春にも、近鉄北勢線の撮影ついでですが、貨物列車や3連の吊掛車である501系の撮影に出向きました。

 

第604話 1991年三岐:貨物を見に行く(その2)

1991年11月の三岐鉄道の撮影は、秋晴れの天気に恵まれました。

こんなに天気が良いので、他にも行きたいところがいっぱいありましたが、あえて三岐鉄道に出向いたのは、やはり貨物列車の撮影が目的でした。

 

1.クモハ101+クモハ102 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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 天気は良いのですが、食パン電車ばかりです。この食パンスタイルの元西武電車は、この頃各地に拡散され、上信、一畑でも見かけました。この日は西武電車を撮りに来たわけではありません。貨物列車以外は正直どうでも良かったですが、一応撮影しました。

 

2.クモハ101+クモハ102 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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 101系は601系に似ていますが、こちらは元西武401系です。西武401形は西武701系の増結車としてMT2連で製造された吊掛車の西武411系が前身です。私は学生の頃、西武新宿線沿線に住む友人の下宿へ行くため、この電車によく乗りましたが、まさか三岐でその電車を撮影することになるとは思いませんでした。

 

3.ED5001+ED45形+貨物 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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 続いて本命の貨物ですが、結構長大編成でやって来ました。しかし、障害物が・・・。

電車が2両編成なので油断をしていました。まさかこんなに長いのが来るとは思っていませんでした。

 

4.ED5001+ED45形+貨物 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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 ベストショット用に構図を決めていましたが、長くて収まりませんでした。

せっかくED5001が先頭でしたが大失敗でした。

 

5.クモハ603+クハ1604 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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 2連の電車だとこんな感じです。

 

6.クモハ603+クハ1604 (三里~丹生川:1991年11月)

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 続いて、次の貨物を撮影するために、丹生川から三里方面に移動しました。まずは適当に601系の2連を試し撮影です。

この場所は、8月の訪問時に炎天下の中、貨物の後追い撮影をした場所です。

第603話 1991年三岐:貨物を見に行く

1991年には、三岐鉄道を2回訪問しました。1回目は8月で近鉄北勢線の220系を見に行ったついでに、三岐鉄道に出向きました。

その日は、ちょうど北勢線の上笠田あたりで撮影していたので、三岐鉄道へは員弁川を挟んで、距離は2km程の近さです。わざわざ桑名まで戻るのは時間とお金の無駄使いなので、歩きました。

 

1.貨物列車 (三里~丹生川:1991年8月)

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 しかし、真夏の炎天下です。汗だくで辿り着いたものの脱水症状でギブアップです。休憩する場所もなく、やむなく線路脇の畦道で休憩していたらいきなり貨物がやってきました。後追い撮影になってしまいましたが、見かけない白いタンク車です。

 

2.クモハ601+クハ1602 (三里~丹生川:1991年8月)

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 そして、丹生川方向に歩きながら撮影です。601系がやって来ましたが、この頃の三岐鉄道の旅客車は元西武の食パン電車ばかりで、何の魅力もありませんでした。

 

3.ED5001+ED45形+貨物 (東藤原:1991年8月)

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歩き疲れたので、丹生川から電車に乗って東藤原へ機関車を見に行きました。 

東藤原のセメント工場のヤードには、東武からやって来たED5001が待機していました。この機関車は当時の三岐鉄道では一番年長の1950年製でしたが、他の機関車とは共通運用されており、1993年にはED458に改番されてED45形に編入されました。

 

4.クハ1602+クモハ601 (伊勢治田~丹生川:1991年8月)

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 体力も回復したので、こんどは伊勢治田から丹生川へ向けて再び沿線撮影です。

伊勢治田は貨物のヤードもある有人駅でしたが、駅の周りは墓場でなんとも寂しいところでした。そこから丹生川方向に10分ほど歩くと写真の青川橋梁があります。この橋梁に並行して道路橋もあり、午後なら真横から順光で撮影できますが、この写真は河原に下りて撮影しました。

 

5.クハ1602+クモハ601 (伊勢治田~丹生川:1991年8月)

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 青川橋梁は全長が142mもあるので、2連の電車なら何枚も連写できます。貨物を真横から狙うのも面白そうです。

 この後、車庫のある保々へ移動して留置車両の撮影をしましたが、続く写真は、この年2回目の訪問となった11月の状況です。

 

6.クモハ605+クハ1606 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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 2回目の訪問も近鉄北勢線のついででしたが、この日は先に三岐鉄道へ出向きました。

まずは、丹生川です。丹生川には現在「貨物鉄道博物館」がありますが、当時はまだ何もなく、ここも寂しい場所でした。最初の撮影は藤原岳を入れて定番のカットですが、やって来たのは味気ない601系でした。

 

7.クモハ101+クモハ102 (丹生川~伊勢治田:1991年11月)

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続いて似たような車両が来ましたが、これは当時の最新車?である101系です。見た目は601系と同じ元西武の食パン電車ですが、こちらは元西武401系で、前面のステンレスの飾りも西武そのままです。

 

 

第602話 1990年銚子:救世主?現る

1990年4月のある日、鹿島鉄道訪問後のついでに銚子へ向かいました。思えばこの前年にも鹿島鉄道から銚子に移動しましたが、その時は車でした。しかし今回は新鉾田から鹿島臨海鉄道、JRを乗り継いで銚子に向かいました。鹿島鉄道の鉾田から鹿島臨海鉄道の新鉾田は意外と離れていました。新鉾田から乗った鹿島臨海鉄道は快適で、あっという間に鹿島神宮に着きましたが、そこから先のJRは香取乗り換えで時間が掛かり、銚子に到着したのは夕方でした。しかも天気は下り坂で、やはり「ついで」の訪問が良くなかった様です。

 

1.デハ702+デハ701 (君ヶ浜~西海鹿島:1990年4月)

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銚子に着いて早々ですが、2連が運行されていたので、まずは本線撮影に向かいました。本線撮影は毎度ワンパターンですが、西海鹿島~君ヶ浜間のキャベツ畑です。前年もそうでしたが、とにかく銚子は天気に恵まれません。

 

2.デハ301+デハ801 (西海鹿島~君ヶ浜:1990年4月)

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 続いてデハ301とデハ801の大型車コンビがやってきました。デハ301はまだパンタ化されておらず、路面電車の様なビューゲルを付けていました。しかし、この天気では気合が入りません。

 

3.デハ801+デハ301 (君ヶ浜~西海鹿島:1990年4月)

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 結局、天気が悪いのでこの日はこれで撤収です。この後、仲の町の車庫に向かいました。

 

4.デハ501、デキ3他 (仲の町:1990年4月)

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 今回の銚子電鉄訪問には理由がありました。それは、この年の1月に銚子電鉄の経営母体が千葉県のゼネコンに移り、なにやら銚子電鉄が観光化されるとの噂が流れたからです。

銚子電鉄にしてみれば、正に " 救世主現る ” です。全くバブルの恩恵以外の何ものでもありませんでした。

 

5.デハ501、デキ3他 (仲の町:1990年4月)

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この時点では観光化の具体的な内容はまだわかりませんでしたが、もしかすると古い車両が一掃される恐れも考えられました。しかし、現地に出向いたところ何も変わっておらず、まずは一安心です。

 

 

6.デハ301 (仲の町:1990年4月)

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 先ほど本線を走っていたデハ301が入庫していました。本線撮影を撤収して正解でした。

 

7.デハ701、デハ702 (仲の町:1990年4月)

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 仲の町駅では、2連だったデハ700形も1両切り離されて入庫です。

ところで、デハ700形の塗装の退色はひどい状況です。まさかこの状態で観光化されたと言うことか?

 

その後、銚子電鉄はゼネコンパワーで、駅舎などの設備面から着々と観光化が図られて行きます。そして1994年に元営団2000形を両運化した中古車を2両投入し、全車塗装も新たに新装開店しますが、私は観光化のコンセプトに幻滅してしまい足が遠のいてしまいました。そしてバブル崩壊と共に銚子電鉄は最悪の危機に直面します。

次の訪問は9年後まで飛びますが、ちょうど最悪の危機に直面する直前でした。

第601話 番外編:気になる脇役達(その2)

今回も太平洋炭鉱の脇役模型の続きです。

 まずは、気になる鉱車です。この鉱車は太平洋炭鉱春採電車線が昇圧されて、機関車がニチユの16t機に代った後も継続して使用されました。

 

1.運炭列車の再現

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 8t機ではこの鉱車を8両牽引していました。さすがに模型で8両の鉱車を作るのは厳しく、とりあえず2両としました。黄色一色の鉱車は、機関車に連結すると結構スパイシーな脇役になります。

 

2.運炭列車の再現

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鉱車があるか無いかで、主役である機関車の存在感も大きく異なります。やはり機関車には牽引車両が不可欠です。

 

3.鉱車

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 この鉱車は2t積のホッパー車です。小さいボギー台車は客車と共通としました。現物の連結器は朝顔型カプラーですが、模型では連結作業が面倒なので単純な引っ掛け式にしました。この程度の模型ならプラ板で十分ですが、客車同様、こだわって真鍮製としました。

 

4.太平洋炭鉱6t機と鉱車の模型化形式図

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5.さらなるゲテモノ

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 先頭のL型機は、どう見ても主役と言うより脇役です。その脇役に連結されたトロッコ群は脇役にもなれないエキストラと言ったところでしょうか。こう言うゴチャゴチャした車両こそが炭鉱の雰囲気を盛り上げます。

 

6.さらなるゲテモノ

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 このトロッコ編成は、決まったモデルがあったわけではなく、勢いで製作しました。

あえて言えば、先頭の機関車だけは太平洋炭鉱の釧路鉱業所構内で使用された6t機がモデルですが、諸般の事情でオバースケールとなってしまった都合、スケールモデルとは言えません。よって、この編成自体が架空の脇役です。

 

7.保線列車の再現

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 再び5号機の登場ですが、5号機は小柄なため晩年は保線列車専属として活躍しました。そして、連結された相棒の資材トロッコが、この編成を魅力アップする名脇役です。

 

8.資材トロッコ

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この資材トロッコも重要な脇役です。

縦積みされたガスボンベなど、冗談のような車両ですが、実はこの資材トロッコは鉄道誌の「とれいん」の記事を基にフリーで製作したものです。手元に有ったエコーモデルのシーナリーパーツを適当に見繕って搭載しました。ささやかなデコレーションですが、これが結構効果的で、出来上がると脇役も際立ちます。

 

9.「 とれいんNo.135 1986年3月」より引用

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この記事も古いので引用させて頂きましたが、左ページの下側に資材トロッコの現物写真が掲載されています。この写真には縦積みのアセチレンボンベが写っています。

ところでこの記事は、野木淳さんと言う方のレポートで、太平洋炭鉱5号機のディテールを紹介した特集ですが、このマニアックな記事には大変感激しました。そして、このマイナーな車両を一般の鉄道車両と互角に取り上げた、とれいん誌には頭が下がります。

今回の番外編では、脇役模型にスポットを当ててみましたが、模型製作の神髄は、脇役までしっかり作り上げることにあると思います。

 

第600話 番外編:気になる脇役達

だらだらとブログを続けていますが、第600話まで来ました。

今回も節目の番外編ですが、第400話の番外編でご紹介しきれなかった、こだわりのスクラッチビルドから、気になる脇役達をクローズアップしてみました。

どこの世界でも、主役を引き立てる脇役が重要です。ところが、太平洋炭鉱の場合、意外にも主役の機関車並に脇役が目立ちました。なぜなら、脇役達はいずれも相当なゲテモノだったからです。

 

1.通勤列車再現

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太平洋炭鉱には強烈な脇役がいました。 

この編成は、説明するまでもなく機関車(3号機)が主役ですが、機関車は引っ張る車両がなければ意味がありません。そこで脇役の牽引車両を製作したわけですが、機関車以上に奇妙なこの客車は、いったい何モノなのか? 得体も知れませんが、模型化のネタになる情報が全くありませんでした。

 

2.通勤列車再現

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数少ない文献から、これらの客車はかつての通勤列車に使用されていたもので、背の低い真っ白なタイプと、背の高い腰回りが灰色のツートンカラータイプの2種類が確認できました。

 この模型を製作した頃は、現在の様にネット検索など皆無の時代であり、参考になるのは、鉄道誌にチョコっと掲載されている断片的な写真のみ。その写真からサイズを割り出して、何とか図面化しました。

 

3.「鉄道ジャーナル通巻第65号 1972年9月」より引用

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参考となったのは、「鉄道ジャーナル通巻第65号 」p86のカラー写真(左下)です。古い書籍なので転載させて頂きましたが、カラー写真であることが大変有難かったです。この写真から背の高い方は、腰回りが薄い灰色であることが分かりました。

 

4.通勤列車再現

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鉄道ジャーナル誌の写真に誘発されたて製作した5号機と客車の編成です。脇役の客車も際立ちます。ちなみに掲載した模型車両は全て1/80HOナロー(6.5mmゲージ)なので、この程度までアップすると粗が目立ちますが、ご勘弁願います。

 

5.背の高い客車

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この客車は番号も不明です。よって、「背の高い客車」と呼ぶことにしましたが、背が高いとは言え車内は頭をぶつけそうな高さです。一応座席はベンチタイプのロングシートになっており、向かい合って座ると立ちスペースがなくなります。小さいボギー台車は鉱車と共通のインサイド軸受構造です。それを模型化するとあまりにも車輪が小さいのでスケール製作はあきらめ、Nゲージ用のΦ3.6㎜車輪を6.5㎜に改軌しましたが、それでもかなりオーバースケールです。

 

6.背の低い客車

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 これは「背の低い客車」ですが、この車両はかがんで乗らないと間違いなく頭をぶつけます。なぜか窓も少なく、これが通勤車両と言えるのか? 失礼な表現ですが、私には装甲車か囚人護送車にしか見えませんし、こんな車両には乗りたくもありません。ところでこの車両は、廃車体ではありますが現物を確認することができました。

 

7.背の低い客車(廃車体)の現物 (釧路鉱業所付近:1986年8月)

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これが現物の廃車体ですが、ちゃんと台車も付いています。こういう現物写真があると決して悪ふざけで作ったのではない模型であることの証明になります。

 

 

第599話 1994年高松琴平:琴平線と向き合う(その5)

この日は滝宮から榎井の間をロケハンしました。

撮影ポイントは結構ありますが、車両が面白くありません。特に日中は2連のカルダン車ばかりで、ほとんど元京急車です。やはり撮影は朝です。

 

1.1087+1088 (羽床~栗熊:1994年3月)

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 今度は羽床に戻りました。京急の1000系は現役時代の写真を1枚も撮ったことがありませんでしたが、この日はゲップが出るほど1080形を撮りました。このての車両は地方のローカル私鉄にはちょうど良い即戦力ですが、なぜか琴電以外には転出されませんでした。

 

2.1087+1088 (羽床:1994年3月)

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 ここは羽床駅です。単線の無人駅ですが、4連も停車できるホーム長です。この駅は琴平線の開業時からあるようですが、見た目は改修されたばかりの小綺麗な駅になっていました。しかし、この駅の乗降者数は200人/日程度しかなく、通過しても文句を言う人もいないような駅です。

 

3.1070形2連 (滝宮~羽床:1994年3月)

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 この日の朝は、羽床~滝宮間の滝宮側で撮影を行いましたが、今回は同じ駅間の羽床側の撮影です。滝宮側と違い羽床側は住宅も少なく田園地帯でした。列車はかなり高い築堤の上を走っています。

 

4.1070形2連 (羽床~滝宮:1994年3月)

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 線路はアップダウンを避けるため築堤となっています。速度は80km/hほど出ているでしょうか。でも実力的には100km/hでも楽勝ですが、リミッタが付いていました。

 

5.1051+1052 (羽床~滝宮:1994年3月)

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 またもやジェットカー登場です。それにしても昭和30年代の初期のカルダン車はタフです。琴電に限らず、地方私鉄が大手私鉄の高度経済成長期に導入された車両の天下りでなりわっている現実でした。

 

6.1051+1052 (羽床~滝宮:1994年3月)

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 畑のど真ん中にお宮がありました。当時の琴電沿線はまだまだのどかでしたが、あれから28年経ち、現在はどうなっているのか?

 

7.1080形2連 (羽床~滝宮:1994年3月)

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 この日は一日かけて、琴平線の西半分をロケハンしました。

琴平線長尾線志度線とは違うダイナミックさがありました。しかし、日中は車両が面白くないので、後日改めて朝のラッシュ時を狙うことにしました。