ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第612話 1991年江ノ島:古き佳き時代の終焉(その3)

江ノ電の撮影は、毎度のことですが撮影場所に悩みました。結局、いつも同じ様な場所になってしまいます。この場所は、車も少なく4連を撮影するのに好都合ですが、やはり軌道境界のフェンスが邪魔です。

 

1.デハ304+デハ354+デハ303+デハ353 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816133631j:plain

非冷房、吊掛車時代の304編成がやってきました。 何とかフェンスを避けるため、沿道の高い位置から撮影してみましたが、イマイチです。

 

2.デハ1002+デハ1052+デハ2001+デハ2051 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816133657j:plain

 これは惰性で撮影したものです。ところで、この1000形は早いもので、この時点で導入から12年目の頃でした。現在では40歳を超えました。まだ新車という認識でしたがいつまでも若くはありません。言い換えると私自身もそれだけ年を取ったということです。

 

3.デハ2001+デハ2051 (極楽寺:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200816133721j:plain

 ここから日が変わり、半年後の11月です。この日も夜勤明けだったような記憶があります。 極楽寺の車庫には502編成と2001編成がいました。もう306編成はいませんでした。

 

4.デハ502+デハ552、デハ2001+デハ2051 (極楽寺:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200816133749j:plain

結局、2000形は翌年の1992年にも第3編成が導入されて、振替で301編成が廃車となりました。

 

5.デハ302+デハ352 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200816133817j:plain

 2000形の導入により300形の異端車である306編成と301編成が廃車となりましたが、残った300形にも変化がありました。300形の中でも兄弟車であった302編成と303編成ですが、303編成は翌年に車体更新を受け、304編成に似た張り上げ屋根のスタイルに変わり、冷房化、カルダン化されますが、302編成は未更新のまま残ります。302編成と303編成は見た目は同じスタイルの車両でしたが、種車の違いから302編成の方は老朽化が進んでいたようで、次の廃車対象となり更新を見送られたようです。

 

6.デハ305+デハ355 (稲村ケ崎極楽寺:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200816133845j:plain

 305編成は300形の中でも一番新しく、車体は新製されたことからいち早く1989年に冷房化、カルダン化され、300形一族では一番最後まで残ります。

第611話 1991年江ノ島:古き佳き時代の終焉(その2)

極楽寺車庫では、しばらくすると車両の入換が始まりました。

 

1.デハ302+デハ352 (極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816133026j:plain

 まずは、302編成が検修庫の外に出て来ました。この場所は、狭い車庫内で唯一まともな撮影ができる留置線です。早速形式写真を撮影しましたが、302編成の形式撮影はこれが初めてです。とりあえず302編成は廃車対象ではなさそうです。

 

2.デハ301+デハ351他 (稲村ケ崎極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816133057j:plain

 車庫内の列車転線中に、本線を301編成がやって来ました。この301編成は廃車対象の可能性が高く、一番気になっていましたが、これも大丈夫そうです。

 

3.デハ2002、デハ306 (極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816133259j:plain

 この日は本線撮影の後、夕方に車庫を見に行くと、こんなツーショットが・・・。

なんと「2002編成のこんにちは」と「306編成のさようなら」です。犠牲となるのは306編成でした。まあ想定内の廃車ですが、やはりゲテモノから先に消えてゆく運命のようです。

 

4.デハ1002+デハ1052+デハ2001+デハ2051 (稲村ケ崎極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816133352j:plain

 それでは、この日の日中の撮影をお伝えします。いつもの様に極楽寺から江ノ島方面に歩きながらの撮影です。最初にやって来たのは吊掛車の1002編成と最新のカルダン車である2001編成のコンビです。今後はこの様な編成が江ノ電のスタンダードになるのでしょうが、面白くありません。

 

5.デハ301+デハ351 (七里ヶ浜稲村ケ崎:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816133424j:plain

 301編成がやって来ました。しかしこの場所はご覧の通りの邪魔なフェンスが・・・せっかくの301編成でしたが、足回りがフェンスに隠れてしまいました。毎回同じような失敗を繰り返してします。

 

6.デハ108 (江ノ島:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816133454j:plain

 江ノ島にはいつものデハ108が居ました。塗りたてで安泰のようです。デハ108はすでに一般の運用からは外れてイベント車として余生を送っていましたが、極楽寺の車庫が手狭となり江ノ島の留置線に放り出されてしまいました。露天留置はすぐに車両が朽ちてしまうので心配でした。

 

さて、今回の訪問でゲテモノ306編成が廃車になることを知りましたが、306編成で気になっていたのが台車です。

 

7.306編成(デハ306+デハ356)連接部の台車 (極楽寺:1987年4月)

f:id:kk-kiyo:20201229105905j:plain

306編成は、元々デハ201,202という両運車でした。これを2両連結化して更に連接化されて生まれたのが306編成ですが、台車は201,202のものを流用しているのかと思っていました。ところがこの連接台車は枕ばねがコイルバネでオイルダンパ付きの見るからに改造台車です。恐らく連接化された時点で他の連接車同様に台車の改造を行ったものと思われますが、問題は先頭台車です。

 

8.デハ356先頭台車 (極楽寺:1987年4月)

f:id:kk-kiyo:20201229111030j:plain

これがデハ356の先頭台車ですが左側の軸箱脇にある銘板には新潟鐵工所と鋳込んでありました。調べるとこの台車は新潟鐵工製のNDE-1というブリルモドキです。しかし、なぜ新潟鐵工製の台車を履いているのか?

この車両は車体こそ元王子電軌(都電荒川線の前身)のものを流用していますが、その前は戦前の納涼電車を1949年に改造したもので、改造の際に新製台車に交換されたとのことです。ところが、その新製台車は大改造されて304編成更新車に転用となりました。そうなると、このデハ356の台車は304編成の更新前のデハ106もしくはデハ109が履いていたものかも知れません。デハ106,109はともに新潟鐵工製の車両だったので、辻褄が合います。しかし定かではありません。

第610話 1991年江ノ島:古き佳き時代の終焉

1991年4月、江ノ電に2本目の新車が納入されたとの情報を入手しました。

当時横浜に居た私は、夜勤明けの勢いで極楽寺に出向きました。

 

1.デハ302、デハ2002、デハ501、デハ502他 (極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816132625j:plain

 この日は平日だったので、車庫内には車両がびっしり留置されていましたが、ピカピカの新車である2000形第2編成は誇らしげにヘッドマークを掲げて待機していました。

 

2.デハ302、デハ2002、デハ501 (極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816132651j:plain

とりあえず、偶然並んでいた3列車の並び撮影です。

比較すると302編成と501編成が気の毒ですが、真ん中の2002編成だけ違う乗り物の様です。

 この2000形は、前年の1990年に第1編成が導入されましたが、増備が続いた1000形スタイルを一新し、前面窓は大型曲面の1枚ガラスとなり、いかにも高級そうな電車です。

 

3.デハ2002+デハ2052 (極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816132717j:plain

 ところで、夜勤明けで一睡もせず出向いたのは、この2000形の撮影が目的ではありませんでした。実は、1500形までの新車は車両不足を補うための増備車でしたが、この2000形は老朽車の置き換えが目的であり、第1編成導入時に元玉電の600形が振り替えで廃車され、今回の第2編成の犠牲がどの車両なのか気になったので、わざわざ来てみたわけです。

 

4.デハ302+デハ352 (極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816132745j:plain

 しかし、車庫が狭くてこんな留置では撮影になりません。少し時間を置いて列車の入換を待つことにしました。

 

5.デハ501+デハ551、デハ502+デハ552他(極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816132814j:plain

 この時、車庫には500形が2本とも入庫していましたが、500形はまだ台車更新して間がないので、この車両が犠牲になることはまずありません。

 

6.デハ502+デハ552、デハ304+デハ354+デハ301+デハ351(極楽寺:1991年4月)

f:id:kk-kiyo:20200816132841j:plain

 304編成は古い車両なので、この時は要注意と思いました。しかし、この車両はこの年の12月にカルダン化と冷房化が行われ大出世します。

第609話 1984年越戸鉱山:三河の魔境探検(その4)

今回は魔境探検の最終回で、工場エリアに入ります。掲載写真は、下図の⑲~㉔です。この工場も得体の知れない機械が配置されており、エイリアンでも潜んでいそうな怪しい佇まいでした。さて、まだ早朝なので工場には誰もいません。しばらく外で待っていたら、従業員らしき人が軌道を歩いて来たので、工場の撮影許可をお願いしたところ、軽くうなずいて行ってしまいました。とりあえず、撮影許可ももらえたので工場内へ・・・。

f:id:kk-kiyo:20200814221054j:plain

写真⑲

f:id:kk-kiyo:20200814195815j:plain

 写真⑲は工場の一番東側の建物に入る支線から本線方向を写したものです。写真の右側に写るコンクリートの壁は貯水槽です。恐らく粘土の精製には多量の水を使用するようです。

 

写真⑳

f:id:kk-kiyo:20200814195839j:plain

 写真⑳は工場の東側の建屋内に入った軌道の終端部で、ここにトロッコが1両留置されていました。この木製トロはかなり年季が入っている様ですが、朝日を浴びて荘厳な雰囲気でした。この建屋は国道に面した入口があり、恐らくここは粘土の原料が搬入される場所の様です。ちなみに、このトロッコはレールに載っていません。工場内ではレールのない箇所もトロッコは床面を直接往来していた様です。

 

写真㉑

f:id:kk-kiyo:20200814195948j:plain

 工場の建屋内にも軌道が敷設されており、トロッコが入線していました。トロッコに積まれているのは製品の粘土板のようです。恐らくこれを軌道脇の乾燥棚に運んで日干しするものと思います。しかしながら、敷設されているレールは外より荒廃しており、錆びてボロボロです。

 

写真㉒

f:id:kk-kiyo:20200814200009j:plain

 トロッコに積まれた粘土板は、どうやって作られるのか気になります。想像ですが、原料の土から濾過された微粒の液状粘土を、この工場の機械で水分を濾して凝縮した粘土板にすると思われます。

 

写真㉓

f:id:kk-kiyo:20200814200031j:plain

 年季の入った工場です。なんだかわけのわからない機械が並んでいますが、この機械は粘土を濾すための機械と思われます。工場内には本線とつながっていない軌道も敷かれており、各線には粘土板を満載したトロッコが留置されていました。本線につながっていない線のトロッコは、恐らくコンクリート舗装された床面に乗り上げて本線につながる線に人力で移動させていた様です。

 

写真㉔

f:id:kk-kiyo:20200814200108j:plain

 この工場内も、不思議な空間でした。

さて、37年前の越戸鉱山の様子をお伝えしましたが、この時は1時間ほどの滞在時間でせわしなく全線を踏破しました。わずかな時間でしたが夢を見ていた様です。

その後1993年にこの地を再訪しました。すでに軌道や工場設備は撤去されていましたが、荷卸し場付近と事務所は残っていました。その時点では、軌道敷の一部は生活道に転用されていました。そして、事務所近くの倉庫には木製トロッコが1両保管されていました。

第608話 1984年越戸鉱山:三河の魔境探検(その3)

魔境探検のその3は、この軌道のメインストリートである長い直線区間の様子です。その先には怪しい工場設備がありました。ここは鉱山とは言うものの、粘土の採掘はしておらず、どこからか持って来た粘土の原料を加工して粘土を精製する工場の様でした。

掲載写真は、下図の⑬~⑱です。

f:id:kk-kiyo:20200814221054j:plain

写真⑬

f:id:kk-kiyo:20200814195246j:plain

 写真⑬はウインチ小屋のある分岐を支線側から写したものです。この辺は地面に粘土が堆積しており、雨上がりだったのでスニーカーはグチャグチャでまともに歩けないほどでした。

 

写真⑭

f:id:kk-kiyo:20200814195311j:plain

写真⑭は。本線の直線区間からウインチ小屋方向を写したものです。この区間も乾燥棚が設置されています。乾燥棚がない側には側溝があり、この左側のブッシュの向こうは住宅地です。 

 

写真⑮

f:id:kk-kiyo:20200814195404j:plain

 写真⑮の地点から少し工場側に移動するともう1カ所踏切があり、さらにその先には支線に分かれる分岐が2カ所あります。この支線は少し高台に上がっていますが、ウインチはなく、草むらになっていたので、当時は使用されていない様でした。

そして、この先の本線は更に直線が続き、軌道の両側に乾燥棚が設置されていました。この区間には大きな木が茂り、薄暗く妖怪でも出て来そうな異様な雰囲気でした。もし、ここに機関車がいたら、それは素晴らしい情景になっていたと思います。

 

写真⑯

f:id:kk-kiyo:20200814195513j:plain

 本線の直線区間を進み、写真⑯は工場の入り口です。直進すると工場の建物に入ります。ここにも分岐があり、左に進むと別の建物に入ります。正面の建物内には粘土板を満載したトロッコが留置されていました。

 

写真⑰

f:id:kk-kiyo:20200814195559j:plain

 写真⑰は写真⑮の分岐を反対方向に写したものです。軌道脇には大きな木が茂り、トンネルのようです。この軌道が廃止された後、1993年にもここを訪れたことがありました。その時は、この直線区間が生活道として活用されていました。

 

写真⑱

f:id:kk-kiyo:20200814195631j:plain

 写真⑱は、写真⑯の分岐を左に曲がった方向を写したものです。この先右に分岐する軌道と直進する軌道共に工場の建物の中に入ります。さて、この工場内はどうなっているのか?とても気になります。

第607話 1984年越戸鉱山:三河の魔境探検(その2)

魔境探検のその2は、粘土板の乾燥棚が複雑に設置されて迷路のような支線方面の様子です。掲載写真は下図の⑦~⑫です。

軌道の路線図は、レイルマガジン誌にも掲載されていたので、そのコーピーを持って行きました。結構正確に描かれており、迷うことなく探検できましたが、今回お伝えするエリアは非常に複雑な配線となっていました。

f:id:kk-kiyo:20200814221054j:plain

写真⑦

f:id:kk-kiyo:20200814194705j:plain

 写真⑦は、支線の様子ですが、正面の掘っ立て小屋は吹きさらしの納屋になっており、その中を軌道が貫通していました。レールは地面に陥没しており、この一帯は雨が降ったら水浸しになりそうな場所です。

 

写真⑧

f:id:kk-kiyo:20200814194738j:plain

 写真⑧は、納屋の様子ですが、この納屋はトロッコの車庫なのか、多くのトロッコが留置されていました。ここに留置されたトロッコは、最近木枠を更新した様で、見た目はまだ綺麗でした。軌道内にプーリーが埋もれていますが、この辺にはウインチはなく、この辺は手押しのみの軌道です。支線の先の方は雑草が生い茂り、使用されていない様でした。

 

写真⑨

f:id:kk-kiyo:20200814194811j:plain

 再び本線に戻り、写真⑨は3カ所目の分岐です。雨上がりだったので、軌道がぬかるんでいます。ここには写真の右端に写るウインチ小屋もありました。そして、本線上に無造作にトロッコが留置されており、ワイヤーロープがつながれています。ウインチは2カ所に設置されており、工場からここまでは、このウインチを使用し、ここから先、荷卸し場までは、荷卸し場の脇にあったウインチのワイヤーロープに繋ぎ換えて使用するようでした。このトロッコのワイヤーロープは、荷卸し場のウインチに繋がっていました。

ところで、正面には民家があり、軌道の先には道路が交差しています。ここは鉱山の敷地なのか?

 

写真⑩

f:id:kk-kiyo:20200814194900j:plain

 写真⑩は写真⑨の後ろ側を写したものです。ここは本線ですが、本線脇のスペースにも乾燥棚が設置されていました。良く見ると、軌道の右側の犬走部にワイヤーロープが転がっています。

 

写真⑪

f:id:kk-kiyo:20200814194933j:plain

 少し高台に上がって、写真⑪は支線部を俯瞰した写真です。乾燥棚がびっしり設置されており、軌道は見えませんが、この乾燥棚の間に軌道が敷かれています。ちょうど三河線の電車が通りましたが、三河線とこの鉱山軌道の位置関係はこんな感じでした。現在は三河線が高架化され、この辺の風景も一転しました。

 

写真⑫

f:id:kk-kiyo:20200814195018j:plain

 写真⑫は、一般道との踏切から写真⑨に写る分岐とウインチ小屋を撮ったものです。ここは民家の前です。家の前にトロッコ軌道の踏切があるのも不思議です。

第606話 1984年越戸鉱山:三河の魔境探検

1984年のレールマガジン誌7月号No.6に連載されていた「THE トロッコ」には、機関車を保有しないトロッコ路線の話題が掲載されていました。その中でも目を引いたのは、愛知殖産越戸鉱山のレポートでした。ヘロヘロの線路は手押し軌道なのか索道なのか?そこは鉱山なのか工場なのか住宅地なのか?。そして、トロッコで作業をする人、トロッコで遊ぶ子供たち、不思議なロケーションは魔境の様相です。

その年の9月に名古屋方面に行く機会があったので、なにはともあれ、越戸鉱山へ行ってみました。

越戸鉱山は、名鉄三河線越戸駅に隣接した場所にありました。陶器の原料となる粘土を工場で精製し、乾燥した粘土板を製品として出荷するところで、鉱山とは言うものの粘土の採掘は行っていなかったようです。

お目当ての軌道は、下図の様に名鉄三河線越戸駅に隣接する荷卸し場と工場を結ぶ本線?と奇怪な支線から成りますが、一般道も横切りどこまでが越戸鉱山の敷地なのかさっぱりわかりませんでした。

ちなみに現在、越戸鉱山はなくなり、軌道は跡形もありません。

f:id:kk-kiyo:20200814221054j:plain

上図は、掲載した写真の撮影場所を示した現地のトロッコ路線図です。越戸駅に近い鉱山の荷卸し場から工場に向けて全長200m程の軌道を辿ってみました。今回は写真①~⑥の様子をお伝えします。

 それでは、いざ探検開始!! 

 

写真①

f:id:kk-kiyo:20200814192923j:plain

越戸駅から鉱山に進むと真っ先に目に入ったのは、写真①の モニュメント?のようなベルトコンベア群です。その下には土砂が貯められていましたが、ここは入荷した原料の土から粘土分を抽出して不要な土砂を排出する設備の様です。

 

写真②

f:id:kk-kiyo:20200814192955j:plain

 写真②は越戸駅の側線脇です。ここから三河線の貨物で粘土を運んでいたのかも知れません。写真の掘っ立て小屋はウインチ小屋です。この場所は少し高台なので、ウインチでトロッコを引き上げていた様です。ここには軌道はありませんが、なぜか木製トロッコが放置されていました。

 

写真③

f:id:kk-kiyo:20200814193021j:plain

 写真③は、荷卸し場の方に登る勾配区間です。軌道の中に索道用のプーリーが見えます。この勾配を上がると前方にウインチ小屋がありました。

写真の上空に写るのはトラス構造物は三河線の架線柱です。この写真の左側が越戸駅です。

 

写真④

f:id:kk-kiyo:20200814193056j:plain

 写真④は写真③の勾配を下った先です。荷卸し場から勾配を下ると平地になり、分岐があり、さらにその先の軌道も枝分かれしています。この写真の左に向かう軌道が本線です。軌道脇の木製の棚は、粘土板を天日干しするための乾燥棚です。どの棚にも隙間なく粘土板が積まれており、ブルーシートを被ったトロッコに満載されたものは、乾燥が終わった粘土板の様です。

 

写真⑤

f:id:kk-kiyo:20200814194311j:plain

 写真⑤は写真④の分岐から振り向いて写したものです。

 

写真⑥

f:id:kk-kiyo:20200814194442j:plain

 写真⑥は写真④の本線方向の先を写したもので、ここにも分岐がありました。前方には民家があり、その前を人が歩いています。このヘロヘロ軌道はどこへ続くのか?まさに魔境の迷路です。