ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第779話 1993年豊橋:思い切って途中下車

豊橋鉄道渥美線の訪問は第621話でお伝えしましたが、1991年にちょっとだけ高師車庫をのぞいただけでした。そして、その翌年の訪問では、時間がなかったので市内線だけの訪問でした。したがって、渥美線をまともに訪問したことがなかったわけですが、豊橋という場所は、つい通過してしまい、なかなか渥美線訪問の機会がありませんでした。しかし、これではいけないと思い1993年10月、天気は微妙でしたが、大阪の帰りに豊橋で思い切って途中下車しました。

 

1.ク2731+モ1731、デキ211 (高師:1993年10月)

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  例によって、まずは高師車庫です。2年ぶりですが、高師車庫の側線にいたのは2年前と同じク2731+モ1731とデキ211でした。

 

2.モ1731+ク2731 (高師:1993年10月)

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この車両は前回訪問時の1991年にもこの場所で寝ていました。まだ現役車両ですが、あまり走っていない雰囲気です。

 

3.デキ211 (高師:1993年10月)

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 デキ211は、たくさんいた電気機関車の中で一番古かったにもかかわらず、1両だけ生き残った電気機関車でした。もう10年近く失業中ですが、辛うじて車籍はありました。

 

4.モ1601+モ1651+モ1711(モハ36) (高師:1993年10月)

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 そして、更に奥には、これも2年前からこの場所にいる3両です。この3両は、1993年3月まで車籍がありました。保管というよりも放置状態ですが、いつの間にか、ここは車両の墓場になっていました。

 

5.ク2811+モ1811 (高師:1993年10月)

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 留置線にいたク2811+モ1811(注1)です。

この車両は元長野電鉄モハ1101+クハ1151を1979年に譲受したものですが、その生い立ちは、信濃鉄道の木造電車デハ6とクハ51にまで遡る買収国電です。このスタイルは1961年に日本車輌で鋼体化された時の車体で、長野時代は中間に両運車のモハ1102を挟んだ3連で運用されましたが、廃車後はモハ1101とクハ1151が豊橋に譲渡され、中間車のモハ1102は伊予鉄道に譲渡されてモハ603になりました。

(注1)モ1811,ク2811の車歴

豊橋モ1811←長野モハ1101:1961年日本車輌製(←長野モハ1←国鉄モハ1103←信濃デハ6:1925年日本車輌製)

豊橋ク2811←長野クハ1151:1961年日本車輌製(←長野クハ51←国鉄クハ5100←信濃クハ51:1926年日本車輌製)

 

6.デワ11,モ1852+モ1802 (高師:1993年10月)

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 そして、留置線にはモ1852+モ1802(注2)もいました。

この車両は元名鉄モ3350形+ク2340形の車体と旧国のクモハ14形の臓物を組合わせて1967年に2編成導入されました。名鉄モ3350形+ク2340形の車体は元愛知電鉄の特急車デハ3300系を前身とするものです。

(注2)モ1800形,モ1850形の車歴

豊橋モ1801:1967年自社工場製(車体:←名鉄モ3358←名鉄モ3614←名鉄モ3608←名鉄ク2044←愛知サハ2044:1929年日本車輌製)

豊橋モ1802:1967年自社工場製(車体:←名鉄モ3357←名鉄モ3613←名鉄モ3607←名鉄ク2043←愛知サハ2043:1929年日本車輌製)

豊橋モ1851:1967年自社工場製(車体:←名鉄ク2343←名鉄モ3354←名鉄モ3604←愛知デハ3604:1928年日本車輌製)

豊橋モ1852:1967年自社工場製(車体:←名鉄ク2345←名鉄モ3356←名鉄モ3612←名鉄モ3606←名鉄ク2042←愛知サハ2042:1929年日本車輌製)

 

7.デワ11 (高師:1993年10月)

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 デワ11も相変わらずでした。しかし、この車両は側板が木造なので結構傷みが目立ちます。妻面の鉄板部分も良く見ると苔が生えていました。こういった表に出ない車両は、往々にして古い車両が多いですが、なかなか整備に手が掛けられないのか、当時はどこの鉄道もこんな感じでした。

第778話 1993年野上:最後の夏のある日(その4)

列車の運用本数が1本増えて3列車となりました。運用されているのは、デ11,デ13,モハ25でした。3列車になると45分間隔から30分間隔となり、撮影は急に忙しくなりました。重根は交換駅なので、この場所では登山口行きの電車を撮影すると、すぐに日方行がやって来ました。

 

1.デ13 (幡川~重根:1993年8月)

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夕方になると水田の緑に電車の赤が良く映えます。この辺りは、私が好きなロケーションでした。緩い勾配に沿って棚田が広がっており、棚田の間を線路は大きく蛇行していました。西陽を遮るものはなく、日没までこんな写真が撮れました。

 

2.デ11 (重根~幡川:1993年8月)

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 夕陽が射すと山の遠近感や棚田の高低差がよくわかります。この場所は夕陽が列車を照らしてちょうどよい感じですが、架線柱の間隔が狭いので、気を付けないと電車に架線柱の影が被ってしまうので要注意でした。

 

3.モハ25 (幡川~重根:1993年8月)

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 モハ25が下って来ました。この日は夕方の運用にモハ25が入ってくれたので夕方まで粘った甲斐がありました。この阪神の残党達も最後の夏です。翌年はどうなっているのか?少なくとも元阪神の小型車はどこかで保存されることを願うばかりでした。

 

4.デ13 (幡川~重根:1993年8月)

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線路から少し離れた場所から撮ってみました。良い雰囲気ですが、もう少し日射しが欲しいところです。そろそろ陽が暮れてきました。  

 

5.モハ25 (幡川~重根:1993年8月)

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 もう午後6時を過ぎていましたが、まだ明るいです。夏の関西はなかなか陽が暮れません。

 

6.デ13 (幡川~重根:1993年8月)

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 この日もデ10形をいっぱい撮影しましたが、このデ13の撮影でこの日は終わりです。野上谷へ戻る乗客が結構乗っています。それでも廃止なのか?。早朝から丸一日、真夏の野上電鉄沿線を彷徨しましたが、これが最後の夏の記録となりました。

 

第777話 1993年野上:最後の夏のある日(その3)

夕方になり、陽もずいぶん傾いてきましたが、まだまだ日没まで時間はありました。よって、山影を避けるため、重根~幡川間で日没まで撮影です。

 

1.デ13 (重根:1993年8月)

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 重根では列車交換があるので早く着いた方は相手待ちです。日方行のデ13は、ちゃんと停車して来たのか、ずいぶん早く着いてしまった様です。

 

2.デ11 (幡川~重根:1993年8月)

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 この場所は第212話、第213話でもお伝えした1991年9月に撮影した場所です。あの時は稲刈り直前の時期で、鳥除けが宙を舞い、撮影の邪魔になるほど賑やかでしたが、この時はまだ稲も実っておらず、まともな撮影ができました。

 

3.デ11 (幡川~重根:1993年8月)

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 この場所で秋に撮影した時は日没までこの角度で順光でしたが、 8月だと日没の頃には陽の向きが列車の真正面となりました。よって、これ以降は線路の反対側に移動して東の山並みを入れて撮影です。

 

4.デ11 (重根~幡川:1993年8月)

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 西陽を浴びてデ11の側面には、お馴染みの淡路島の観光ホテルの広告が目立ちます。しかし、モハ24のアーモンドチョコに比べれば大人しいものです。

 

5.デ13 (重根~幡川:1993年8月)

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 今度は車体広告のないデ13の真横です。デ10形は小さいので、いろんな場所で真横から撮りましたが、どこで撮ってもキュートな電車です。この電車の富山地鉄時代はステップ付きのいかにも田舎の路面電車風のスタイルでしたが、野上ではステップを切り欠いたので、多少垢抜けたローカル電車になった感じがしました。

 

6.モハ25 (春日前~幡川:1993年8月)

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 幡川の辺りは、海南の市街に近いためか、このあたりから列車は住宅街へ入って行きます。新しい建物と、ボロボロのモハ25がミスマッチです。さて、このあとは日没までもう一仕事です。再び田園地帯に戻ります。

第776話 1993年野上:最後の夏のある日(その2)

午後3時頃になると、陽は西に傾き、多少は暑さも和らぎました。よって、沿線撮影の再開です。

先ずは、動木~野上中間の貴志川沿いです。

 

1.デ11 (紀伊野上~動木:1993年8月)

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 ここは、動木から少し日方方面に歩いた場所です。写真の右側は鬱蒼とした竹藪ですが、その下は貴志川の渓谷です。左側には大きな蔵が見えますがこの辺りは山峡の狭い平地に住宅が密集する地域です。やって来た電車は朝から走っているデ13です。朝からさんざん撮った車両ですが、来れば撮るしかありません。

 

2.デ11 (紀伊野上~動木:1993年8月)

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 続いて貴志川の河原から撮影です。この日は午前中も、この場所から少し上流の河原で撮影しましたが、この辺りは野上電鉄の沿線では最もポピュラーな撮影場所でした。 この日の貴志川は、多少水量が多い様でしたが、これより増水したらこの場所は危険です。

 

3.デ11 (紀伊野上~動木:1993年8月)

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ここは野上谷で最も土地が狭い一帯です。住宅も斜面に密集しており、道路も狭くて大型バスも入れません。ゆえに野上電鉄の線路も、こんな渓谷の絶壁に敷かれたわけです。

 

4.デ13 (紀伊野上~動木:1993年8月)

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 この写真は、貴志川に架かる道路橋から望遠で撮ったものです。この辺の架線柱は一部コンクリート製に変わっていますが、廃止が決まり、架線柱の交換は中断されてしまい、軌道脇には無残にも交換予定だったコンクリート柱が何本も転がっていました。

 

5.デ11、デ13 (重根:1993年8月)

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 今度は、重根に移動です。重根ではデ11とデ13の交換が見られました。この駅には駅員さんがおり、列車交換は古典的なタブレット交換でした。そろそろもう1本運用車両が増える時間です。

 

6.モハ25 (幡川~重根:1993年8月)

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 ここはお馴染みの撮影ポイントです。そして、新たに運用に入ったのは待望のモハ25でした。ようやく元阪神電車の登場です。これで撮影に気合が入りました。

 

7.デ13 (幡川~重根:1993年8月)

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 モハ25と重根で交換したデ13がすぐにやって来ました。列車本数が増えたので撮影が忙しくなります。この辺りは、これから夕暮れまで陽が当たり、良い写真が期待できました。

第775話 1993年野上:最後の夏のある日

今回は第684話の続きである、1993年8月の野上電鉄の様子です。

第684話では、午前中の様子をお伝えしましたが、今回は午後です。昼食を採るため、一旦日方に戻りました。この日はデ10形しか走っておらず、その他の車両はどうしているのか、午後一で車庫に出向きました。

 

1.日方構内全景 (連絡口:1993年8月)

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昼下がりの車庫では、多くの車両が暇そうに留置されていました。 日中はいつもこんな感じです。

 

2.モハ27+モハ31 (日方:1993年8月)

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 2両連結の車両は、ラッシュ用です。この2連はこの日の朝のラッシュで走っていました。

 

3.モハ24 (日方:1993年8月)

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 アーモンドチョコも今朝走っていたので昼寝です。この電車の広告ですが、とっくに契約も切れているはずですが、塗装を塗り戻す余裕もない様で、本当にこのまま最後を迎えそうです。

 

4.モハ26+モハ24 (日方:1993年8月)

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 午後は車両運用が変わる可能性がありました。恐らく2連は走らないと思うので、走る可能性としてはモハ25かデ12です。すでに走っているデ11,13は終日運用のようなので、ここは何としてもモハ25に登場願いたいところです。

 

 

5.登山口駅舎 (登山口:1993年8月)

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 車庫訪問の後は、これ以上デ11,13の走行を撮っても仕方ないので、涼しくなる15時頃まで時間調整のため登山口に行きました。することがないので駅舎の撮影なんかしていました。しかし、この駅舎も相当年季が入っています。本来、この駅は中間駅になる計画でしたが、結局延伸が計画倒れとなり、廃止まで終点となる運命です。

 

6.登山口駅舎と野上電鉄バス (登山口:1993年8月)

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 登山口は、駅前から野上電鉄のバスが出ていました。このバスは野上電鉄の延伸計画があった神野市場方面に行くバスですが、この他にも1日に何本かは海南方面行きがあり、自社の電車と競合する禁断の路線バスでしたが、沿線撮影には大変便利で、運賃は割高でしたが結構利用しました。

 

7.クハ101+クハ102 (登山口:1993年8月)

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 登山口の留置線には、使われなくなったクハが留置されていました。解体する余裕もないのかと思いましたが、実はまだ廃車になっていませんでした。結局、この2両は路線廃止までこの状態で車籍を有していました。

第774話 1993年関東(常総):水海道の終焉(その3)

新しい水海道機関区も見たので、早々に撤収ですが、ここには駅がないので、帰りも撮影しながら水海道まで戻ることにしました。

 

1.キハ3011+キハ316+キハ315 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)

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キハ300形とキハ310形の3連がやってきました。 試運転となっていますが、ものすごい煤煙を巻き上げていました。これだから気動車の白装束はすぐに汚れるわけです。なんだか調子が悪そうですが、この試運転列車は大丈夫なのか?

 

2.キハ312+キハ311 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)f:id:kk-kiyo:20210307093739j:plain

 続いてキハ310形の2連です。この車両は台車こそDT22、TR51に履き替えされましたが、臓物はキハ16,17形そのものです。ある意味、キハ300形、350形よりもヤバイ車両です。

 

3.キハ312+キハ311 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)

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 この日はキハ310形が多く活躍していました。写真のキハ311+キハ312は唯一残る大栄車輌製車体でしたが、この編成は1995年に廃車されました。

 

4.キハ318+キハ317 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)

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この頃のキハ310形はまだオリジナルのスタイルでした。新潟鐵工所製のキハ315~318は、やがて0形同様にエンジンをDMF13HZに換装し、冷房化されます。そしてキハ0形によく似た顔に改造されます。

 

5.キハ303+キハ300形3連 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)

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 食パン列車の4連が来ました。しかも4両共キハ300形です。しかしこれは給油入庫の回送でした。

 

6.キハ3012+キハ300形 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)

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 キハ300形(注1)、キハ350形(注2)は1993年の増備が最後となりました。しかし、一気に39両もの増備には参りました。

(注1)キハ300形の車歴

・関東キハ301←筑波キハ301←国鉄キハ3016:1964年日本車輌

・関東キハ302←国鉄キハ3043:1965年日本車輌製(1993年事故廃車)

・関東キハ303←国鉄キハ3050:1965年日本車輌

・関東キハ304←国鉄キハ307:1963年日本車輌

・関東キハ305(一時キハ103)←JR九州キハ3054←国鉄キハ3054:1966年日本車輌

・関東キハ306(後のキハ101)←JR九州キハ3055←国鉄キハ3055:1966年日本車輌

・関東キハ307←JR九州キハ3094←国鉄キハ3094:1966年日本車輌

・関東キハ308←JR九州キハ3095←国鉄キハ3095:1966年日本車輌

・関東キハ309←JR九州キハ3086←国鉄キハ3086:1966年日本車輌

・関東キハ310←JR九州キハ3090←国鉄キハ3090:1966年日本車輌製(1993年事故廃車)

・関東キハ311←JR九州キハ3056←国鉄キハ3056:1966年日本車輌

・関東キハ312←JR九州キハ3023←国鉄キハ3023:1965年新潟鐵工所

・関東キハ313(後のキハ102)←JR九州キハ3096←国鉄キハ3096:1966年新潟鐵工所

・関東キハ314←JR東日本キハ3049←国鉄キハ3049:1965年日本車輌

・関東キハ315←JR東日本キハ3029←国鉄キハ3029:1965年新潟鐵工所

・関東キハ316(一時キハ104)←JR東日本キハ3025←国鉄キハ3025:1965年新潟鐵工所

(注2)キハ350形の車歴

・関東キハ351←国鉄キハ3628:1962年富士重工

・関東キハ352←国鉄キハ35182:1966年富士重工

・関東キハ353←国鉄キハ35183:1966年帝国車輌製

・関東キハ354←国鉄キハ35190:1966年帝国車輌製

・関東キハ355←国鉄キハ3630:1962年富士重工

・関東キハ356←国鉄キハ3626:1962年富士重工

・関東キハ357←国鉄キハ3615:1962年日本車輌

・関東キハ358←国鉄キハ35113:1965年帝国車輌製

・関東キハ359←国鉄キハ35169:1966年帝国車輌製

・関東キハ3510←国鉄キハ35121:1965年帝国車輌製

・関東キハ3511←国鉄キハ35187:1966年帝国車輌製

・関東キハ3512←国鉄キハ35148:1966年富士重工

・関東キハ3513←国鉄キハ35191:1966年帝国車輌製

・関東キハ3514←国鉄キハ35150:1966年富士重工

・関東キハ3515←国鉄キハ35193:1966年帝国車輌製

・関東キハ3516←国鉄キハ35188:1966年帝国車輌製

・関東キハ3517Ⅱ←JR東日本キハ3559←国鉄キハ3559:1963年日本車輌

・関東キハ3518←関東キハ3517←国鉄キハ3617:1962年日本車輌

・関東キハ3519←JR東日本キハ35163←国鉄キハ35163:1966年富士重工

・関東キハ3520←JR東日本キハ35134←国鉄キハ35134:1965年富士重工

・関東キハ3521←JR東日本キハ35170←国鉄キハ35170:1966年帝国車輌製

・関東キハ3522←JR東日本キハ35165←国鉄キハ35165:1966年富士重工

・関東キハ3523←JR東日本キハ3581←国鉄キハ3581:1964年富士重工

※キハ3518は、当初キハ3517でしたが、常総線では片運車の奇数番号車は原則的に下館寄りが運転台となることから、取手寄りが運転台だったこの車両は、後に偶数番号に改番されて キハ3518となりました。

 

7.キハ501+キハ5002 (水海道:1993年1月)

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 最後は再び水海道の機関区跡です。キハ500形が廃車となり、気になるのはキハ800形でした。この日はキハ800形には会えませんでしたが、この様子ではキハ800形も先は長くなさそうでした。

第773話 1993年関東(常総):水海道の終焉(その2)

水海道機関区は解体されましたが、新しい機関区が出来ました。

それは以前、旧型気動車が廃車留置されていたあの場所です。新しいものには興味がありませんが、とりあえず見に行きました。

 

1.キハ008+キハ007 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)

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 新しい機関区に行く道中、列車が頻繁にやって来たので撮影しましたが、もう古い車両はありません。

 

2.キハ008+キハ007 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)

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 やたらと列車がやって来るので、何かあったのかと思いましたが、営業列車ではなく回送列車です。これは給油のための入庫列車のようです。以前は、水海道に機関区があったので、給油もすぐにできましたが、もう水海道には給油設備もなく、列車は新しい機関区まで出向いて給油となりました。よって、この区間の列車の頻度はかなり多いです。

 

3.キハ3514+キハ3513 (南水海道(信)~水海道:1993年1月)

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 キハ350形もやって来ました。この車両はあと何年使用されるのか?

しかし、取手の事故はこの車両の立場を大きく変えてしまった様でした。

 

4.キハ008+キハ007他 ((新)水海道機関区:1993年1月)

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 そして、ここが新しい機関区です。雑草ボウボウの原野だだったとは思えません。2年程前にここに留置されていた旧型気動車の廃車体が偲ばれます。車庫内は明るく、留置線にはバラストが撒かれ、もう泥で汚れる心配もありません。

 

5.キハ008+キハ007他 ((新)水海道機関区:1993年1月)

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 先程走行を撮影したキハ008+キハ007がいました。なにやら足回りを点検している人が見えますが、エンジンの調子が悪いのか、キハ008の車体側面が煤で汚れています。明るい車体色は汚れが目立ちます。

 

6.DD502 ((新)水海道機関区:1993年1月)

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 検修庫の隅には、DD502がいました。塗装も綺麗に塗り直されていました。その後、この機関車は新車の線内甲種輸送で活躍しますが、保線用にはデカ過ぎ、老朽化も目立って来ました。ついこの前、処分に困って売りに出されましたが、どうなったのか?

 

7.キハ301,キハ306,キハ3516,キハ902他 ((新)水海道機関区:1993年1月)

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 車庫の南側は道路に面しており、留置車両の見学ができました。皆同じ車両かと思って、適当に撮ったのがこの写真でしたが、よく見ると左端はトップナンバーのキハ301で、まだ行先表示復活前。その隣はプロテクターなしのキハ300形。その隣はキハ350形。そして右端はモドキのキハ900形。食パン気動車の見本市です。