ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第785話 1993年熊本市交:新しいもの大好き(その4)

今回は撮影場所を少し移動して、通町筋電停付近です。ここは、熊本城のすぐ近くで、天守閣を入れて撮影ができます。熊本城と言えば熊本地震天守閣の土台が崩れてあわや天守閣が落ちそうになりましたが、無事に復旧できたことが何よりです。

 

1.8801 (通町筋~市役所前:1993年9月)

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 さて、市電の撮影ですが、通町筋辺りは道路脇に大きなビルが建て込んでおり、朝は日陰となる部分が多く、撮影場所は限定されます。一番無難な場所はお城の手前の交差点です。お城を入れた撮影は、陽の向き的に午後が良いのかも知れませんが、交通量が多くて撮影は難しそうです。

 

2.1205 (通町筋~市役所前:1993年9月)

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 ここがその交差点です。辛うじて陽が射しています。バックは熊本城の一部ですが、この向きでは天守閣が入りません。

 

3.1204 (通町筋~市役所前:1993年9月)

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 続いてやって来た1204は、変わった塗装です。これも何案かあった新塗装の一種でしたが、見るからにボツ案です。しかし、この塗装は他にも仲間がいました。

 

4.1092 (通町筋~市役所前:1993年9月)

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 旧塗装の1092です。この旧塗装は結構お城と似合っていますが、どうせなら熊本城の天守閣をバックに撮りたかったです。

 

5.101 (通町筋~市役所前:1993年9月)

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 次は天守閣を入れて撮ろうとスタンバイしていたら、見慣れない変な電車が登場しました。この電車とお城の組合せはとても微妙です。旧塗装の1092の方がお似合いの様な・・・・。

ところで、この電車は竣工してまだ1週間も経っていない新車の101(注1)でした。なんとなくレトロぽいスタイルですがVVVF車です。

(注1)8800形101の車歴

熊本市交101:1993年アルナ工機

 

6.101 (通町筋~市役所前:1993年9月)

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 この電車の導入目的がよくわかりませんが、恐らく他社のレトロ車に影響を受けたものと思われます。公営交通にこの様なイベント兼用車が復元ではなく、新製導入される先駆けとなった様で、新しいものが大好きな熊本市電を象徴しています。101は導入時期的に9200形がベースになっていますが、なぜか分類上の形式は8800形の一族です。

 

7.1210 (通町筋~市役所前:1993年9月)

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もう1枚、熊本城の天守閣をバックに1210を撮影しました。この日はせわしなく、このあと熊本電鉄の沿線撮影に向かい、夕方に再び熊本市電の撮影を行いました。ここから熊本電鉄の起点である藤崎宮前へは、1.5km程離れています。かつて市電が通じていましたが、市電が廃止された以降はバスか歩くしかなく、私は歩きました。

第784話 1993年熊本市交:新しいもの大好き(その3)

さて、熊本市交通局は1982年に国内で初めてVVVF制御の路面電車を導入した路線です。軽快電車の先駆けであった、広電や長崎電軌がチョッパ車でモタモタしている間に、VVVF車の実績を手掛けました。その頃のパートナーは日本車輌でしたが、路面電車で一旗揚げようと、アルナ(ナニワ)車がいない熊本市交に歩み寄った意気込みが感じられます。一方、熊本市交通局の方は、意外にも初物がお好きな様で、国内初の路面電車の冷房化もそうでしたが、この4年後に登場するLRVも国内初の導入でした。

 

1.8201 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 この車両が、国内初のVVVF路面電車である8200形(注1)です。一見、当時流行したアルナ製の軽快電車スタイルですが、よく見ると片方だけ密着連結器が付いており、台車はインサイド軸受タイプでモノモーター方式による2軸駆動の奇妙な電車です。

 

2.8202 (電報局前~水道町:1993年9月)

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もう1両の8202です。基本的に8201と同じ車両ですが、連結器は8201とは逆寄りに着いており、8201とは連結できる仕様になっています。連結運転の計画でもあったのか?それとも万一の故障に備えて相棒を救援する目的でもあったのか?しかし、排障器の内側を見ると大きなフィルタリアクトルらしきモノが付いており、これでは連結器を付けるスペースがありません。床下は搭載機器でギュウギュウ詰めです。

(注1)8200形の車歴

熊本市交8201,8202:1982年日本車輌

結局、8200形は2両しか導入されませんでした。まだまだ試作的要素がいっぱいのこの車両は、いろいろあったのかも知れませんが、どこかの元祖軽快電車よりは、しっかり働いている様でした。

 

3.8501 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 続いてこの電車は、一見8200形そっくりのモドキです。この車両は8500形(注2)と称し、1985年~1986年に廃車となった1200形の臓物を流用してアルナ工機で4両製造されました。車体デザインは8200形そっくりですが、前ドアが引き戸となり、台車もインサイド軸受ではありません。そして、メーカーが日本車輌ではなく、アルナ工機になりました。せっかく国内初のVVVF路面電車を手掛けた日本車輌でしたが、何かあったのか?

 (注2)8500形の車歴

熊本市交8501,8502:1985年アルナ工機

熊本市交8503,8504:1986年アルナ工機

 

4.8801 (電報局前~水道町:1993年9月)

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さて、8200形以降増備が途絶えていたVVVF車は、1988年に8800形(注3)として、アルナ工機で2両製造されました。 もうその頃になるとVVVF車が路面電車でも主流になっていましたが、なぜかアルナ工機の独壇場でした。

(注3)8800形の車歴

熊本市交8801,8802:1988年アルナ工機

8800形は前後2扉のドア配置となりましたが、このドア配置はこの形式だけに終わりました。

 

5.9204 (電報局前~水道町:1993年9月)

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  そして、この車両は、この当時一番新しいVVVF車である9200形(注4)です。1992年~1994年に5両がアルナ工機で製造されました。スタイルは前中2扉タイプに戻りました。やはり前後2扉では乗降に問題があったのでしょうか?

 

6.9204 (通町筋~市役所前:1993年9月)

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 (注4)9200形の車歴

熊本市交9201,9202:1992年アルナ工機

熊本市交9203,9204:1993年アルナ工機

熊本市交9205:1994年アルナ工機

第783話 1993年熊本市交:新しいもの大好き(その2)

熊本市電の路線は、かつては総延長が25kmもあったそうですが、昭和40年代に路線短縮の結果、1993年時点で半分以下の12.1kmとなっており、現在に至ります。現在の運行系統は2系統あり、田崎橋・熊本駅健軍町の②系統と、上熊本健軍町の③系統です。

熊本の街は、熊本駅周辺はあまり賑やかではありませんでした。熊本の繁華街は辛島町という一帯です。②系統と③系統は西辛島町で合流し、西辛島町~健軍町は運行本数も倍増となり、かなりの高頻度運転です。

 

1.1207 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 今回の撮影は、熊本電鉄藤崎宮前へ行く道中だったので、水道町、通町筋あたりでの撮影です。電車は次々とやって来ました。

 

2.1205 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 今度は1200形(注1)です。1200形は1958年に東洋工機で10両製造されました。この車両は元200形でしたが、1966年のワンマン化で改番されました。1090形との違いは製造当初から室内灯が蛍光灯だったことくらいですが、この電車の見分け方は、前面右窓のワイパーが左上に設置されているので、少し不機嫌な表情をしています。

 

3.1210,1353 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 (注1)1200形の車歴

熊本市交1201~1210←熊本市交201~209,200:1958年東洋工機製

 1200形は1978年から冷房改造を行った日本初の路面電車だそうです。熊本市交通局は結構先進的な路面電車です。

 なお、1206と1208は1985年、1202と1209は1986年に台車と機器類を8500形に譲るため廃車になり、1993年時点で1200形は6両在籍していました。

 

4.1352 (電報局前~水道町:1993年9月)

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そして、1350形(注2)はこのタイプの車両では一番新しい1960年製で、東洋工機で6両製造されました。ちなみにこの1350形の次の新車が1982年製のVVVF車8200形まで飛びます。その間新製車がなかった理由は、路線短縮や他社からの中古車譲受などによるものです。

 

5.1353 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 (注1)1350形の車歴

熊本市交1351~1356←熊本市交351~356:1960年東洋工機製

1350形は、ほとんど1200形と同じ仕様です。元は350形と称していました。350形となった理由は、昭和35年の熊本国体に合わせて製造されたことから350形になったそうですが、これもワンマン化に合わせて改番されて1350形となりました。この車両の見分け方ですが、前面右窓のワイパー設置は、右上と左上の2種類があり、1090形、1200形との見分けが難しいです。細かな違いですが、前面左窓が2段式のサッシ窓になっていることと、中扉の車掌台部の窓が上下とも固定になっていることくらいでしょうか。

 

6.1351 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 この当時、熊本市電には広告電車がないと聞いていましたが、この1350形には、写真5,6の様な広告電車?が見られました。しかし、これらは収益目的の広告電車ではなかったようです。

熊本市電の広告車は、市制100年を記念して街の景観改善の目的で、1989年に廃止されました。しかし、財政難に広告収入は不可欠となり、1999年には再び広告電車が復活しました。

 

第782話 1993年熊本市交:新しいもの大好き

1993年9月は三井三池炭鉱の2度目の訪問を行い、ついでに熊本まで足を伸ばしました。熊本へ向かった目的は熊本電鉄の車庫内入換車として残っていた旧モハ71を見るためでしたが、熊本市内には熊本市交通局路面電車も走っており、正直興味はありませんでしたが、結構写真を撮っていたので、その時の様子をお伝えします。

 

1.1094 (熊本駅前:1993年9月)

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 この日は、熊本駅前のホテルを朝早く出発し、熊本電鉄藤崎宮前へ向かう途中に路面電車の撮影をしました。あまり興味がなかったので、ほとんど撮影の記憶がありませんが、早朝だったのでまだ自動車の交通量も少なく、意外と電車がしっかり撮れていました。

 

2.1092 (電報局前~水道町:1993年9月)

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もともと市電の撮影は予定になかったので、どんな車両が在籍しているのか調べもしていませんでした。あとから分かったことは、この写真の1092は市電の旧塗装車であることでした。すでにほとんどの車両が新塗装の白に緑のラインに変わっており、旧塗装車は貴重な存在だった様です。

 

3.1091 (交通局前~電報局前:1993年9月)

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 写真1の1092は旧塗装でしたが、1091は新塗装です。この頃の熊本市交の電車は、新車以外は皆同じ車両に見えました。一番古い1060形から1350形まで見た目はほとんど変わりません。そして、一番古い1060形が1951年製なので古くありません。

 

4.1094 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 1090形(注1)は、1955年~1957年に東洋工機で7両製造された12m級の路面電車です。1080形までは、側窓が木枠の2段窓でウインドシル・ヘッダー付きの旧態然としたスタイルでしたが、1090形は側窓上段がHゴム支持となり、以降、1350形までこのスタイルが続きます。

 

5.1096 (電報局前~水道町:1993年9月)

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(注1)1090形の車歴

熊本市交1091~1095←熊本市交191~195:1957年東洋工機製 

熊本市交1096,1097←熊本市交188,189:1950年東洋工機製 

1090形は元190形と188形でした。いずれも、1968年のワンマン化により1090形に改番されて形式統合されました。188形は180形(後の1080形)の増備車ですが、実質モデルチェンジ車であり、その後製造された190形は188形とほぼ同じスタイルだったことから1090形に包括され、追番の1096,1097になりました。

 

6.1094,8502 (電報局前~水道町:1993年9月)

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 1090形以降、1200形、1350形はほとんど同じスタイルですが、1090形の見分け方は前面右窓のワイパーが、窓の右上に設置されているので、少々困った表情をしています。

第781話 1993年豊橋:思い切って途中下車(その3)

突然の夕立で30分ほど撮影を中断しましたが、再び晴れてきたので撮影再開です。

ところで、この頃の豊橋鉄道はすでに都市型ダイヤを導入しており、単線にもかかわらずかなりの高頻度運転でした。果たしてこれをローカル線と言ってよいものか躊躇するほどです。特に元名鉄5200系を導入してからは雑多な旧型車も整理されてしまい、この先どうなるのか、経済性を考えれば恐らく1500V昇圧の可能性もあり得ますが、それは4年後に現実となります。

 

1.モ1902+モ1952 (植田~芦原:1993年10月)

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 この車両を見ていると、名鉄もそろそろ初期のカルダン車を手放す時期になったことがわかります。この次は名鉄5500系あたりがここにやって来るのか?そうなると、一挙に残った吊掛車が淘汰されると思われました。

 

2.モ1900形+モ1950形 (植田~芦原:1993年10月)

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 そう考えると、今のうちに旧型車を撮影しなければなりません。しかしながら、先程から旧型車は全く現れず、この電車ばかりです。

 

3.モ1900形+モ1950形 (植田~芦原:1993年10月)

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 せっかく天気が回復し、光線の状態も良くなってきましたが、やはり1900系は6編成も在籍しているので、旧型車は出る幕がないようでした。

 

4.モ1900形+モ1950形 (植田~芦原:1993年10月)

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 まあ、この日は思い付きで様子を見に来たわけなので、文句も言えません。もう夕方なので、陽が暮れるまでしっかり1900系と向き合うことにしました。

 

5.モ1900形+モ1950形 (植田~芦原:1993年10月)

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 しかし、改めてここは撮影に最適な場所です。いずれ旧型車の撮影のため出直すことになりますが、ここなら4連でも十分に狙えます。狙うは朝のラッシュ時でしょうか。

 

6.モ1905+モ1955 (植田~芦原:1993年10月)

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 いよいよ夕景となりました。夕陽を浴びた1900系は、なかなか精悍な表情です。

 

7.モ1905+モ1955 (植田~芦原:1993年10月)

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 最後はススキを入れてアップでこの日の締めです。

その後、旧型車の動向が気になっていましたが、なかなか豊橋で途中下車ができず、この次の訪問は2年後となりました。

第780話 1993年豊橋:思い切って途中下車(その2)

高師車庫を訪問した後、少し天気が気になりましたが、沿線撮影に向かいました。どこで撮影するのが良いのか、あてもなく隣駅の芦原方向に歩きました。

 丘を越えると芦原です。芦原あたりまでは住宅街でしたが、芦原から先は広大な田園地帯となり、良い撮影ポイントです。

 

1.モ1751+ク2751 (植田~芦原:1993年10月)

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この日、最初の走行撮影は、モ1751+ク2751(注1)でした。

この車両は元名鉄3730系です。古い半鋼製車の鋼体化名義で1965年に製造された比較的新しい車両で、豊橋鉄道には1981年に譲渡されました。当初は高運転台化された細目の前面窓でしたが、その後前面窓が大型化されてスッキリした顔立ちとなりました。

 

2.モ1751+ク2751 (植田~芦原:1993年10月)

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 (注1)モ1750形、ク2750形の車歴

豊橋モ1751←名鉄モ3755:1965年日本車輌

豊橋ク2751←名鉄ク2755:1965年日本車輌

 

3.モ1851+モ1801+モ1952+モ1902 (芦原:1993年10月)

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 白昼堂々と4連が来ました。この4連はカルダン車と吊掛車の元名鉄コンビです。4連はラッシュ時のみと思っていましたが、そうでもないようです。そして、モ1800形の様な旧型車も日中走っていることを確認できました。

 

4.モ1905+モ1955 (植田~芦原:1993年10月)

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 この当時、豊橋鉄道の主力車はモ1900形+モ1950形(注1)でした。元名鉄5200系ですが、足回りは国鉄101系、111系のものを組み合わせたカルダン車でしたが、既存の吊掛車と併結のためMMC系の制御でした。

(注1)モ1900形、モ1950形の車歴

①モ1900形

豊橋モ1901~1906←名鉄モ5205,5211,5201,5209,5207,5203:1957年日本車輌

②モ1950形

豊橋モ1951~1956←名鉄モ5206,5212,5202,5210,5208,5204:1957年日本車輌

 

5.モ1904+モ1954 (植田~芦原:1993年10月)

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 名鉄5200系は元々2連6編成が製造され、その後中間車を増備して4連化された時期もありましたが、再び中間車を抜いて2連に戻り、廃車後は6編成すべてが豊橋にやって来ました。その際に冷房化されて、豊橋鉄道初の冷房車となり、内装は名鉄時代のままの転換クロスシート装備で、従来の旧型車に比べて格段のサービスアップが図られました。

 

6.モ1900形+モ1950形 (植田~芦原:1993年10月)

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 この日は晴れて来たので安心していたら、天気が急変しました。突然暗雲が立ち込めて奇妙な写真になりましたが、この撮影の直後に夕立です。慌てて築堤をくぐる道路に避難しました。

号外:これでいいのか10連休!!

気が付けば10連休に突入してしまいました。 (今日お仕事の方はごめんなさい。)

今年のGWは直前までバタバタしており、何の準備もなく、仕事のやり残しがただただ気掛かりです。そして、せっかくの10連休ですが、うかれている場合ではありません。世界ではコロナはまだ終息しておらず、この時代に戦争が勃発しているところも・・・。

なんだか気の重いGWですが、これでいいのか10連休!!と、いうわけで、連休中は「家庭のお荷物」にならないように、トイレ、風呂の掃除、庭木の剪定、雑草取りを行い、手堅く「やる事をやって」から本駒込へ・・・。

 

1.神明車庫跡公園の現状

正月以来の号外ですが、気になる「乙2」のその後です。

しかし、いつもの場所に乙2がいない!?。そして左の沿道側には、黒いポールが建っています。

 

2.神明車庫跡公園の現状

オッと、真正面に2両共いました。地味に見落としそうです。

沿道側の黒いポールは、乙2と6063号の展示場となる新しい檻の一部の様です。乙2と6063号は、置き場所が若干移動しましたが、べつに隠しているのではなく、足場が組まれて、ここで修復される様です。

 

3.神明車庫跡公園の現状

沿道から背伸びして、スマホでズームしましたが、微妙な目隠しに阻まれてよく見えません。しかし、屋根もない露天での作業になるのか、ちゃんと修復できるのか非常に心配です。

 

4.神明車庫跡公園の現状

詳しい状況は不明ですが、作業は始まっているのか?。6063号は鋼製外板なので、錆を落としてパテで補修すれば、それなりにはなりそうですが、外れた部品は復活するのか?少なくとも飛鳥山の6080号よりは、センスの良い修復を期待します。

 

5.神明車庫跡公園の現状

乙2はよく見るとブリル台車がありません。そういえば、以前見た時、台車はかなり朽ちて苔まで生えていましたが、果たして修復できるのか?車体は作り直した方が手っ取り早い感じですが、レプリカはよろしくありません。しかし、この車両は木造なので、破損状況から恐らくキャブは造り替えになりそうです。そして、この車両のチャームポイントであった崩壊したビューゲルの台座は復活するのか?この先が楽しみです。

 

6.荒川遊園の6152号

ついでに、荒川遊園の6152号(一休さん号)です。つい先日、荒川遊園がリニューアルオープンし、この車両はカフェに生まれ変わりましたが、やはりフェンスでかこまれて撮影は難儀です。そして写真中央に立ちはだかる街灯ポールがとてもお邪魔です。ちなみに、このフェンスは遊園地の外周柵を兼ねたもので、写真は遊園地の外から撮ったものです。電車の反対側はホームが設置されて撮影は更に難儀です。

さて、私が若い頃は、GWともなれば限られた4,5日間にめいっぱい日本各地のローカル線を彷徨していましたが、10連休がもらえる現在はどういう訳か行動範囲が小さくなってしまい、ママチャリで地元をウロウロする今日この頃です。

これでいいのか10連休!!