ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第948話 1993年鹿島:空気を運ぶ大増発

鹿島鉄道は1992年にNDCが増備されて4両となり、その代わりに道産子の湘南型気動車が一挙に淘汰されましたが、なぜか元夕張鉄道の湘南気動車であるキハ714だけが残りました。キハ714はラッシュ時などの2連運転時に使用されるとのことで、それを見に行きました。

 

1.キハ714+キハ602 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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この日は午前中曇っていましたが、2連が走るのは午前中なので仕方ありません。やって来たのはキハ714とキハ602の2連でした。キハ714は旧塗装のままで、相変わらず車体広告付きでしたが、それにもましてキハ602の浮世離れした塗装が目にしみました。

 

2.キハ602+キハ714 (常陸小川~四箇村:1993年5月)

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こんな凸凹で色違いの2連をまだ見ることができたので感謝感激です。しかし、キハ602がオリジナルの卵型流線形だったら・・・。

 

3.DD13171+タキ4連 (常陸小川~四箇村:1993年5月)

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この日は土曜日だったので、貨物も走っていました。この日の貨物はタンク車4両なので機関車は1両でしたが、この程度の貨物列車が鹿島鉄道には一番似合うと思います。

 

4.DD13171+タキ6連 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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この貨物列車は戻りの空タンクなので、機関車1両でも余裕です。この頃の鹿島鉄道は被写体に事欠くことはありませんでした。

 

5.KR502 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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昼頃になると、急に晴れてきました。やって来たのはNDCです。この車両が4両もいるので、運が悪いと日中はこの車両しか来ません。

 

6.KR502 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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今回の撮影は、いつもの浜周辺ではありません。理由は、ダイヤ改正常陸小川までの列車が大増発されたので、撮影の効率を上げるため四箇村~常陸小川間に出向きました。

 

7.KR502 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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鹿島鉄道では、新規分譲された石岡南台の利便を図るため、列車の大増発を行いました。石岡南台は、石岡駅の隣駅ですが、増発された列車は交換設備のある玉里で折返しますが、なぜか常陸小川行の列車も勢い?で増発されました。

第947話 1994年福井:本当の噂話し?(その3)

この日は穏やかな撮影日和となり、午前中は三十八社付近で調子よく撮影を続けました。

 

1.モハ200形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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一応、旧型車はモハ141編成とモハ143編が撮影できました。モハ142編成はこの日は運休の様でしたが、この車両はモハ141編成とそっくりなので、撮影できなくてもとりあえずはノルマ達成です。

 

2.モハ300形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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しかしながら、モハ122編成やモハ161編成は走行撮影の機会が全くありません。訪問時は毎回のように、形式写真を撮って終わりです。今回もそうなりそうです。

 

3.モハ82+クハ82 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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陽の向きが正面に回ってきました。こんどは、少し画角を変えて線路際からの撮影です。

 

4.モハ300形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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その後も惰性で撮影を続けました。そろそろこの場所は飽きて来たので、次の撮影場所をどうするか決めなければなりません。家久方面に行くか、さもなければ福井市内に戻るか。

 

5.モハ200形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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モハ200形を後追い撮影し、三十八社駅に戻りながら次の撮影場所を思案していたら、予定外の警報機音が・・・。手持ちの時刻表には記載のない列車です。回送なのか?

 

6.モハ161-2+モハ161-1 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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不思議に思いカメラを構えると、武生方向からモハ161編成がやって来ました。これには驚きましたが、やはり乗務員教習の試運転列車です。噂話しは本当でした。しかし、こんなタイミングでモハ161編成を撮影できるとは、かなりラッキーです。

 

7.モハ143-1+モハ143-2 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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さて、モハ161編成は福井方面に走って行きました。これは予期せぬチャンスです。とりあえず武生新行きのモハ143編成を撮って、次の田原町行きの列車でモハ161編成を追い掛けることにしました。この続きは面白いことになりますが、今回はここまでです。

第946話 1994年福井:本当の噂話し?(その2)

この日、福井鉄道を訪れたのは旧型車の撮影を期待していたからですが、実はモハ161編成が乗務員の教習で時々走っているとの噂話もあったからです。たしか2年前の訪問時には、西武生の車庫でモハ161編成が乗務員教習のためパンタを上げている写真を撮りました。その時は走行写真は撮れませんでしたが、はたして今回は走行撮影のチャンスはあるのか?

 

1.モハ143-1+モハ143-2 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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こんどは旧型のモハ143編成が来ました。どうやら吊掛車は2本出ている様です。まあ、モハ161編成などあてにせず、モハ140形の走行が撮れるだけでも十分です。

 

2.モハ200形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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この日の各停運用には、モハ201編成、モハ141編成、モハ143編成、モハ82+クハ82が充当されていました。運用列車の半分が吊掛車なのでまずまずです。

 

3.モハ141-1+モハ141-2 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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モハ141編成が戻って来ました。線路脇の雑草をなんとかして欲しいところですが、これもまた季節感があって良いのかも知れません。

 

4.モハ141-1+モハ141-2 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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さて、これらの旧型車ですが、この先いつまで使用されるのか気になりました。これの代わりになる中古車がタイミング良く見つかるか問題ですが、この頃の大手私鉄の中古車は、東急7000系、京王5000系などが各地に出没していました。

 

5.モハ300形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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福井鉄道はDC600Vき電ですが、18m車までなら入線可能なので、東急7000系、京王5000系も受け入れ可能なサイズです。もう少し小さいサイズだと、かなり改造を伴いますが、日立電鉄が導入した営団銀座線の2000系なども可能性がありました。

 

6.モハ82+クハ82 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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しかし、福井鉄道としては、名鉄揖斐線や広電のような鉄道線も走れる低床タイプの車両が欲しいところです。

 

7.モハ143-1+モハ143-2 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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ところが、福井鉄道の選択は大穴の名古屋市名城線1100系・1200系でした。導入はまだ先の1997年からですが、中間車に運転台付きの前頭構体を接合する大手術を行って導入されました。そこまでして名古屋市交の中古車を購入しなければならない理由がわかりませんが、両運車のモハ600形が2両導入されました。しかし、両運車の導入は輸送需要の過少評価だったようで、その後は片運2連のモハ610形+クハ610形が1本導入されて、モハ142編成とモハ143編成が廃車されました。

第945話 1994年福井:本当の噂話し?

1994年秋の北陸地方ローカル私鉄早回りの終盤は、毎度のごとく福井へ流れ着きました。この年は春にも北陸地方に出向いており、その後の福井鉄道はほとんど変化なしでしたが、とにかく旧型の吊掛車を撮影するためでした。

 

1.モハ201-1+モハ201-2 (福井駅前:1994年10月)

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まずは福井駅前です。武生新行きの普通電車はモハ200形でした。はたして、この日の旧型車の運用はいかに?

 

2.モハ201-1+モハ201-2 (福井駅前:1994年10月)

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この頃の福井駅前は酷い電停でした。駅前とは言うものの裏通りの目立たない場所で、路面電車並みのホームはあるものの、なにも防護はなく、電車の乗降はご覧の様な強烈な折畳みステップが必要です。

 

3.モハ200形2連 (福井駅前:1994年10月)

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続いて、武生新行きの急行が来ましたが、各停運用に格下げされたはずのモハ200形でした。モハ300形が検査の時はモハ200形が急行の運用に入る様です。しかし、かつての様な華やかさはありません。やはりこの塗装がネックです。

 

4.モハ300形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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この日は、快晴となり撮影に気合が入ります。福井駅前から向かったのは田園地帯の三十八社です。早速どうでもよいモハ300形の登場です。時期的に武生の菊人形祭りのマークを付けていました。

 

5.モハ82+クハ82 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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80系がやって来ましたが、この電車はカルダン車になったので、もう興味はありません。しかし、吊掛車が来ません。

 

6.モハ300形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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また、モハ300形です。1本くらいは吊掛車が運用されているはずなのですが・・・。この日はハズレなのかも。

 

7.モハ141-1+モハ141-2 (鳥羽中~三十八社:1994年10月)

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ところが、ようやく吊掛車が来ました。モハ141編成です。吊掛車のうち、確実に稼働状態にあるのはモハ140形の3本ですが、この日は、このモハ141編成1本だけなのか?

第944話 1993年三井三池:国内炭鉱の終焉を実感(その3)

冒頭にも記しましたが、三池炭鉱の縮小と共に、三池鉄道の縮小もかなり進んでいました。三池炭鉱は結局、1997年3月末で閉山となり、三池鉄道も廃止されましたが、沿線の化学工場は盛業中であり、この化学工場の専用線として一部の路線と機関車が残りました。しかし、三池港一帯は大半は更地となってしまいました。

 

1.凸型45t 17号機、凸型22t 1号機 (三池港:1993年9月)

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三池港では、凸型45t 機が運炭列車の牽引に稼働していましたが、ここでは凸型22t 機の稼働をみることができませんでした。・・・と、言うより、凸型22t 機はほとんど使用されていないのか、姿もほとんど見えません。

 

2.凸型45t 17号機運炭列車 (三池港:1993年9月)

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しかし、この訪問時は辛うじて残っていた運炭列車の様子が撮影できたので、ある意味三池鉄道最後の活躍を記録に納めることができました。

 

3.凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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三池鉄道の魅力は明治時代の記念物級舶来機関車の存在であることは言うまでもありませんが、東芝製45t機が集結していたことも忘れてはいけません。特に戦前製の17号機~19号機は東芝標準機の原形になった機関車です。

 

4.凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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この17号機は保存機となり、現在も三池鉱跡地に、L型15t 5号機と凸型22t 1号機、5号機と共に手厚く保存展示されていますが、18号機、19号機は三池鉄道廃止後も三井化学専用線で主力として残り、2020年5月の専用線廃止まで活躍しました。

 

5.凸型45t 22号機 (三池港:1993年9月)

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そして、戦時設計の東芝標準機ですが、これも三池鉄道に20号機~22号機が在籍しました。こちらは戦時設計であるがゆえに武骨で飾り気は一切なく、人気もありませんでしたが、3両共生い立ちはバラバラです。ちなみに20号機は元南海、21号機は自社発注、22号機は元西鉄宮地岳線の出身でした。この3両は共に三池鉄道の廃止まで活躍しましたが、専用線には移籍せず、20号機のみが部品確保で残りました。しかし、保存対象にならず、3両共解体されました。

 

6.凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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三池鉄道には東芝製凸型45t機が6両もいましたが、これらは運炭列車用でした。しかしこの頃には、本線を走る運炭列車はなく、三池港から四山の火力発電所間まで三池港構内を往復する程度と、JR経由で乗り入れる三井東圧化学への貨物列車だけになっていました。

 

7.凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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この日は、三池港の現役運炭列車を確認できましたが、運用を離脱した機関車が三池港の奥の方に保管されているはずです。それを見ないと、ここに来た意味がありません。ご案内頂いた課長さんに、保管されている車両を見せて欲しいとお願いしたところ快諾を頂き、このあと構内の外れに向かいました。そこには運用を離脱した多くの車両が解体されずにいました。保管車両の状況は別途お伝えします。

第943話 1993年三井三池:国内炭鉱の終焉を実感(その2)

三池港には、凸型22t 1号機とL型15t 5号機が展示されていました。しかし、前回訪問時の1988年当時に比べて、三池港に駐留する電気機関車の数がずいぶん減った感じがしました。

 

1.凸型22t 1号機、L型5t 1号機 (三池港:1993年9月)

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特に、凸型22t機は展示されている1号機以外に見当たりません。かつて凸型22t機は、三池港の貯炭線でセラの操車を行っていましたが、すでに貯炭線は使用されておらず、三池港での運用はなく、本線沿線の引き込み線などでの貨物の入換を行う程度でした。

 

2.凸型45t 22号機、凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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凸型45t機は、辛うじて運炭列車が残っていたので、この時点ではまだ失業していませんでしたが、凸型22t機はかなり廃車になったものと思われました。

 

3.貯炭線全景 (三池港:1993年9月)

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写真の高架は三池港の貯炭桟橋です。この高架上に石炭を積載したセナを引き込み、石炭を投下していました。かつては沿線から産出される石炭が三池港に集積されましたが、もうこの貯炭線は使用されていませんでした。

 

4.凸型22t 5号機+ハト (三池港:1993年9月)

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ここは三池港にある車両の検修庫です。ここには現役車両の凸型22t 5号機が留置されていました。5号機と称する機関車が凸型22t機 とL型15t機にそれぞれ存在していたので紛らわしいです。 

 

5.デ4+凸型22t 11号機 (三池港:1993年9月)

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隣の建屋には、電源車デ4を連結した凸型22t 11号機がいました。本線沿線の引き込み線には火気厳禁の場所があり、防爆のためパンタ集電の機関車が入れないので、この様な電源車からの給電で走行する列車が存在しました。

 

6.保線車両群 (三池港:1993年9月)

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検修庫の裏には、怪しい保線車両がいました。高田工機製と思われる年季の入ったモーターカーが2両いました。

 

7.凸型22t 1号機、凸型45t 17号機他 (三池港:1993年9月)

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この頃の三池炭鉱は三池港にある三川鉱だけが稼働していました。もう本線を走る運炭列車もなく、炭鉱と同様に鉄道も規模縮小を余儀なくされていました。

第942話 1993年三井三池:国内炭鉱の終焉を実感

今回は2度目の訪問である、1993年の三井三池炭鉱の様子です。前回訪問からすでに4年が経過していました。前回訪問時の様子は、第259話~第261話をご覧下さい。ところで、その4年間の三池炭鉱の規模縮小は目まぐるしく、もう閉山に向かって店じまいモードでした。

 

1.L型15t 5号機 (三池港:1993年9月)

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今回はまず、撮影許可をもらうため三池港の鉄道事務所に伺いました。対応して頂いたのは鉄道課の課長さんでしたが、前回の訪問時の話などしていたら、話しが弾んでしまい、課長さん直々に構内を案内して頂くことになりました。

 

2.L型15t 5号機 (三池港:1993年9月)

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最初の撮影は超ゲテモノであり、最古級で記念物級のL型15t(注1)の5号機です。この機関車は前回訪問時に見ることも撮影することも出来なかった車両です。今回は事務所の目の前に出ており、しかも塗装も綺麗な状態でした。課長さんのお話では、どうやら5号機の希少価値が認められたそうで、大牟田市のバックアップもあり、わざわざ整備してこの場所で展示しているとのことでした。

 

3.L型15t 5号機 (三池港:1993年9月)

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この機関車は、どこから乗るのか?ドアがありませんが、妻窓から乗り降りするそうです。まあ、この頃にこんなのが現役であるわけがありません。しかし、この機関車は明治時代の舶来品で貴重な車両です。

(注1)L型15t機の車歴

・三池5,6:1908年アメリカ・GE製

L型15t機は、かつて8両在籍していたそうですが、この時点では保管状態で5号機と6号機が残っていました。6号機は未整備とのことでした。

 

4.石炭ホッパー全景 凸型45t 22号機、17号機 (三池港:1993年9月)

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この時点の運炭列車は、三池港から四山にある火力発電所までの短距離輸送しかなく、三池港から宮浦方面への列車は、沿線の三井東圧化学へ発着する貨物輸送や車両入換に使用する機関車の回送程度になっていました。

 

5.凸型45t 17号機 運炭列車 (三池港:1993年9月)

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自社発注の東芝製45t機である18号が石炭満載のセラを牽いてやって来ました。この列車は、四山にある火力発電所行の運炭列車です。運行距離は短いですが、この運炭輸送や、三井東圧化学へのJRからの直通貨物があるため、45t機が残されていました。

 

6.凸型45t 22号機ほか (三池港:1993年9月)

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22号機は西鉄宮地岳線から転籍した、これも東芝製45t機です。1949年製の戦時設計であり、武骨なスタイルの東芝標準機です。

 

7.凸型45t 20号機、凸型22t 1号機ほか (三池港:1993年9月)

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三池港には、凸型22tの1号機もいました。この1号機は国産のモドキではなく、かなり改造を受けていますが、正真正銘1911年シーメンス製の舶来機です。これも記念物扱いの展示車両でした。左の凸型45t 20号機は南海電鉄から移籍した機関車ですが、22号機とは同年製の東芝標準機であり、形態的にも似ています。