ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第2話:1987年新潟交通 晩秋の越後平野(その2)

今回も前回に続いて晩秋の新潟交通です。

ところでスキャン画像を改めてみると、やはりネガの劣化が深刻です。

スキャンしても黄色い変色や黒い斑点など、スキャナーの補正機能だけでは修復困難なものが結構あり、せっかくのベストショットも投稿をためらってしまうほどです。概ね20年が劣化の始まる限界のようです。撮影当時は旅費を捻出するため、安い逆輸入フィルムを購入していましたが、これがあだとなったのか?それともネガの保管が悪かったのか?いずれにせよあとの祭りです。これから画像修正を行う気力もなく、今後投稿する写真も傷入りや変色が多々あると思いますが、ご勘弁願います。

さて、本題に入りますが、新潟交通の魅力はやはり弥彦山を背景とする朝の3連です。3連は土曜日も運転されましたが土曜出勤が多かった私にとって、土曜に休みが取れるかが最大の悩みでした。しかし、休みが取れても、この3連の撮影は試練でした。私の住んでいた越後線の小針から始発で燕まで向かい、3連が発車するまでの10分程度の間に、燕から約2km先の撮影ポイントまでダッシュ!!それでも天気が良くなければ、いい写真になりません。秋から春にかけて新潟は天気が不安定で、まともに晴れる日は数える程しかなく、撮影には難儀しました。

1.朝の3連(燕~灰方:1987年11月)

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朝の3連を縦位置で狙ってみました。当時3連は燕から白山前行きが早朝に2本続けて走っていましたが、11月の日の出は遅く、1本目は撮影困難。この写真は2本目ですが、かろうじて朝日が射してきたもののまだ露出不足であり、手ブレしない様に息を止めて仁王立ちして撮りました。この場所は灰方駅のすぐ近くで、当時画面の左には燕高校がありました。列車はこの地点で大きく東にカーブします。午前中は順光で弥彦山をバックに障害物もなく、私の好みの撮影地でした。

2.朝の2連(燕~灰方:1987年11月)

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朝は3連に続いて2連も走ります。乗客は殆ど乗っていませんが、おそらく新潟方面に近づくと混雑するのでしょう。このようにラッシュ時は連結運転が結構多く、’87年時点で連結用のクハが8両も在籍しました。クハの運転台は燕側のみなので連結運転時は燕側にクハが付き、モハ同士の連結は原則ありませんでした。よって、この場所でクハを先頭にした撮影は困難でした。

3.モハ16単行(燕~灰方:1987年11月)

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陽が昇り、いつものカーブから燕高校の西側に少し移動した地点では、弥彦山をバックに列車のサイドビューが狙えました。あえて風景優先で引いた写真を撮りましたが、クラッシクなモハ16と遠くの煙突が良い雰囲気です。

4.戻りの3連(燕~灰方:1987年11月)

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陽が十分に昇った頃、燕行きの3連が戻ってきます。戻りの3連はこの1本だけです。この時間帯は燕高校西側の直線部でクハが順光で撮影できました。なお、この写真はカラープリントからのスキャン画像です。ネガのスキャン画像は劣化による変色が激しく投稿するには気が引けたわけですが、プリントのスキャンは解像度が甘く、ちょっと難ありです。

今回はこれで終了です。新潟交通は春夏秋冬それぞれの魅力がありました。この続きは追って報告する予定です。