1990年は3回も琴電参りをしてしまいました。本四連絡橋は開通していましたが、東京から高松は遠く、結構旅費が掛かります。当時大変助かったのは、夜行高速バスです。高速道路が地方都市まで延伸され、夜行高速バスが夜行列車に代わる交通手段として定着し始めた頃でした。私は既に社会人でしたが、休みさえあれば古い車両を追いかけて、学生時代並の貧乏旅行を繰り返しており、時間の制約もあったことから、琴電へは東京~高松間の夜行高速バスを何回か利用しました。当時高松へは夜行バスで約10時間、運賃は1万円程だったと記憶します。まだ山陽道が完備されていなかったので中国道の津山から一般道を走るため目が覚めましたが、夏は瀬戸大橋で日の出が拝め最高です。高松には早朝に到着するので、琴電の朝ラッシュには十分間に合い、撮影には非常に効率が良かったです。
1.当時の主力、元京急230形の3代目30形 37+38(沖松島~春日川:1990年11月)
古い車両を求めて琴電参りを続けていましたが、その頃の長尾線志度線の主力は、元京急230形の3代目30形でした。京急230形と言えば、言わずと知れた名車です。大きな窓と前面の微妙なカーブが何とも優雅で、私の好きな車両の一形式です。しかし、京急引退後1977年~1980年までに14両も琴電に転入したので、琴電にいた雑多な車両が一挙に整理されてしまいました。そして日によっては、30形ばかり運用に入っていることもあり、必然的に30形の写真ばかりどんどん増えてしまい、いつしか30形が来ると撮影をパスするようになってしまいました。今回はそんな30形の話題です。
2.オリジナル非貫通タイプの30形 35+36(沖松島~春日川:1990年11月)
3.貫通タイプの30形 37+38(沖松島~春日川:1990年11月)
当時はさほど興味がなかった30形ですが、いま改めて見ると結構均整のとれた、良いデザインです。琴電の塗装も似合います。30形には貫通タイプと非貫通タイプがありました。オリジナルは非貫通ですが、琴電入線時に4編成8両が貫通化されました。その内訳は以下の通りです。
←長尾・瓦町:30形奇数車(Mc)+30形偶数車(Tc):築港・志度→
・25 + 26 貫 通 デハ271(1936年汽車製)+デハ276(1936年汽車製)
・27 + 28 貫 通 デハ257(1932年汽車製)+デハ264(1932年汽車製)
・29 + 30 貫 通 デハ275(1936年汽車製)+デハ266(1932年汽車製)
・31 + 32 非貫通 デハ245(1930年川車製)+デハ258(1932年汽車製)
・33 + 34 非貫通 デハ265(1932年汽車製)+デハ270(1936年汽車製)
・35 + 36 非貫通 デハ277(1936年汽車製)+デハ272(1936年汽車製)
・37 + 38 貫 通 デハ235(1930年川車製)+デハ256(1932年汽車製)
4.クハ化された非貫通の34 (今橋:1990年11月)
やはりこの車両は非貫通が一番似合うと思います。琴電では最初に導入した31~36が京急オリジナルの非貫通でした。37以降は行き先表示板の交換作業容易化のため貫通化されたそうですが、37+38の次に入線したのは29+30で、以降は番号が逆順しました。これは琴電が40番代を忌番号として避けた結果のようです。琴電には20形21~24という番号の車両が既にいたため、それと番号が重複しそうでしたが、30形は14両なので、なんとか番号重複することなく25~38まで連番で収まりました。また、最初に入線した31+32は入線当初の番号が75形75+76でした。これは入線当時に2代目30形がまだ在籍していたので、暫定番号だったそうです。琴電では移籍車の出入りが多かったため、車両番号の付け方には苦労があったようです。
琴電は地方鉄道ではめずらしい標準軌です。なので京急の車両は台車を変えることなく入線できたのですが、30形は全車入線後に、古い台車に交換されました。なにやら台車以外にも主電動機なども交換されたそうです。写真の橋梁もそうですが、当時琴電の軌道は重量制限があったため、ちょっと大型で重かった30形は、涙ぐましい軽量化がなされました。
6.長尾線の34+33(水田~西前田:1990年12月)
さて、30形も昭和一桁生まれだったので結構古い車両でした。整備も良く元気に走っていましたが、1998年以降名古屋市交から購入された2連の中古冷房車600形、700形が導入されると、2連であったため振り替えで廃車が始まりました。
7.長尾線の27+28(西前田~高田:1990年12月)
30形で最後まで残ったのは27+28でした。1994年の志度線分断後は志度線専属となり、2007年まで活躍し廃車されました。琴電では30年間ほど活躍した30形でしたが、移籍車だったためか1両も保存されずに解体されてしまったのが残念です。しかし、本家の京急ではつい最近、埼玉で保存されていたデハ236を引き取り、自社で保存展示を目的に再整備されました。やはりデハ230形は本家が認めた名車と言うことですね。