ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第10話 1990年高松琴平 古い車両を求めて!(その3)

時代はすでに平成でしたが、琴電長尾線志度線は昭和30年代のままでした。古い車両ですが琴電では結構スピードが速く、最高で70km/hくらいは出ていたと思います。ブリルやボールドウィン台車の吊り掛け音が心地よく讃岐平野に響いていました。琴電の面白さは、生い立ちの異なる多種多様な車両がコンビを組んで走る様子です。その組み合わせは毎回のお楽しみで、3連になると更に楽しさ倍増です。

1.玉野市営と山形交通のコンビ 750+870(西前田~高田:1990年12月)

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写真の750(注1)は本州対岸の元玉野市営から、同型の760、770と共にやってきた車両です。これらの車両、実は山形の蔵王高速電鉄向けに製造された車両の注文流れと言われています。蔵王高速電鉄は結局、未成線のまま計画倒れに終わってしまいましたが、なんと車両だけは完成してしまい、どういう経緯か玉野市営の前身である備南電鉄が開業に備えて購入しました。なお、同僚の770はダンプカーとの衝突事故で1978年に廃車。750は1999年、760は2004年に廃車となりました。ところで写真の連結相手である870(注2)は元山形交通の車両です。この車両は元々西武のモハでしたが、クハになったりモハになったり変遷の激しかった車両です。写真の反対側の前面は非貫通の2枚窓ですが、連結側は貫通化されていました。本来であれば760も870も山形県出身となるはずだったわけですが、奇遇にも高松でコンビを組むことになりました。

(注1)750の車歴:琴電750(モハ)←玉野市営モハ102←備南モハ102:1951年日立製作所

(注2)870の車歴:琴電870(クハ)←琴電780(モハ)←山形交通モハ112←西武クハ1224←西武モハ  224←西武モハ254←西武モハ204:1941年梅鉢鉄工所製

2.京急更新車と南武の買収国電のコンビ 65+850(西前田~高田:1990年12月)

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現在琴電は元京急の車両が多く、まるで京急琴電線の様ですが、琴電京急の関係は結構歴史があります。古くは戦後大手私鉄からの供出車として琴電に譲渡された電車が京浜電鉄29~40でした。この供出グループのなかで62と65が鋼体化されて生き延びました。写真の65(注3)は1960年に自社今橋工場で鋼体化され、当時の流行を物語る”バス窓”でした。65は鋼体化が遅かったので比較的長生きし、2007年に廃車されました。

(注3)65の車歴:琴電65(モハ)←琴電(初代)72(モハ)←東急サハ5102←京浜デ34:1913年天野工場製

3.瓦町の留置線に憩う車両群 300,860他(瓦町:1990年11月)

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お目当ての珍しい車両は、ラッシュ時しか走りません。昼間はこのように留置線で昼寝です。写真はまだ戻っていない車両があり留置線に余裕があるように見えますが、全部戻ってくると写真も撮れないくらいぎゅうぎゅう詰めになりました。

4.朝の3連 72+81+?(瓦町:1990年11月)

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琴電訪問の初めの頃は休日だったので、2連しか撮影できませんでしたが、3回目訪問の平日の朝、瓦町で撮ったのが72(注4)を先頭にした長尾線の3連です。このころ72と81がコンビを組んで長尾線の朝夕の限定運用に数往復充当されており、時々3連となることを知りました。私はその後、毎回朝の72+81を追いかけ続けました。

(注4)72の車歴:琴電(2代目)72(モハ)←東濃モハ102:1950年東芝

5.休車中の71(平木:1990年11月)

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東濃から72,73と一緒に琴電に来たのが71(注5)です。71は悲運な車両で東濃時代に社線内で電気機関車と正面衝突を起こし、大破した正面は写真のような平凡な切妻形状で復帰しました。この71~73は同じく東濃から来た81,82とMT編成を組みましたが、73と82が先に廃車となり、72と81がコンビを組むと仲間外れの71はいつしか休車となってしまい、1990年当時は平木構内で朽ちていました。ところが71は1996年に一転して蘇ります。結局72,81よりも長生きし2000年に廃車されました。

(注5)71の車歴:琴電71(モハ)←東濃モハ101:1950年東芝

6.元近鉄のモダン電車だった20形 21+22(春日川~潟元:1990年12月)

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琴電には20形(注6)という元近鉄の中古車もいました。1961年に近鉄から4両が購入され、平凡で地味な存在でしたが、なんとなく愛嬌のある表情をしており、精悍な表情の生え抜き車両よりも好感が持てます。しかしこの車両は元々前面5枚窓の流線形(玉子型)で、側面には明かり窓が付いた大正時代のモダンな電車だったとは想像がつきません。少なくとも近鉄時代は玉子型だったようで、琴電入線後に箱になってしまったそうです。20形は全4両が分断後の志度線に集結し、MM2連やラッシュ時の増結車として活躍しましたが、志度線に増結用の新車?600形800番代が導入されると、2006年には動態保存車となった23を除き廃車となりました。

(注6)20形の車歴

 ・琴電21(モハ)←近鉄モ5621←関西急行モ5621←大鉄デロ21:1924年川崎造船

 ・琴電22(モハ)←近鉄モ5622←関西急行モ5622←大鉄デロ22:1924年川崎造船

 ・琴電23(モハ)←近鉄モ5623←関西急行モ5623←大鉄デロ23:1924年川崎造船

 ・琴電24(モハ)←近鉄モ5624←関西急行モ5624←大鉄デロ24:1924年川崎造船製