ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第14話 1976年別府 広島から古典気動車を求めて!

時代は遡り、今回は1976年の別府(べふ)鉄道です。

私にとって1976年はついこの前の様に思えますが、もう42年も前のことです。当時私は父親の転勤で広島に住んでいました。中学生になり入学祝いで買ってもらったインスタントカメラを持って、鉄道車両を撮り始めたのがちょうどこの頃でした。

その頃すでに、私はローカル線車両に興味を持っていましたが、そのきっかけとなったのは、更に遡って幼少の頃に乗った江若鉄道でした。私はまだ5歳くらいだったのですが、江若鉄道インパクトは強烈でいまだに記憶が鮮明です。それは初めて乗った江若の気動車がとんでもなくボロボロで、ものすごい轟音と振動、そして黒煙。当時私は兵庫県の西宮に住んでいましたが、普段乗っていた阪急電車とは全く別の乗り物でした。思えば江若こそが私の鉄道趣味の原点です。

話は広島に戻りますが、私が中学に入学した頃、鉄道趣味的に広島は実につまらない状況でした。なぜなら、山陽新幹線が博多まで開業した1975年以来、山陽本線優等列車が激減!!可部線の17m車も引退。近所を広電が走っていましたが路面電車はあまり興味がなかった。・・・・しかし、そんな時に巡り合えたのが一冊の本でした。それは1976年8月発行の「鉄道ファン184号」です。この本は“最新全国非電化私鉄ガイド”という特集を掲載しており、古い気動車好きの私にとっては、この上ない一冊となり、現在も私のバイブルとして存在しています。ところで、この本で初めて知ったのが古典気動車が走る別府鉄道でした。その他にも、すでに江若鉄道はありませんでしたが、江若で活躍していた車両がすぐ近くの岡山に存在していることを知り、燻っていた気動車趣味が一挙に炎上しました。

広島から古典気動車を求めて!。まずは別府です。

 

1.衝撃の別府機関区 キハ3,DC302他別府港:1976年8月)

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インスタントカメラなので画像が非常に荒く申し訳ございません。この写真は私が別府の車両と初めて対面した時の記念すべき1枚です。初めて見る機械式気動車バケットカーのキハ3でした。それまでは白黒写真でしか知る事の出来なかった車両が、想定外の派手なピンク色であった事を初めて知り、衝撃を受けました。そしてこの機関区の雰囲気が何とも言えません。もう10年早ければここにキュートなSLがいましたが、黎明期の気動車に会えただけでも十分に満足でした。

 

2.流転人生?のキハ3別府港:1976年8月)

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キハ3(注1)は昭和一桁生まれの古典気動車です。当時でも珍しい存在でした。元々は長野県の佐久鉄道(現JR小海線)が導入した初期の日車タイプのガソリン動車です。国鉄買収気動車の一員ですが、国鉄を廃車後に三岐鉄道に譲渡され、3度目の職場となる別府には1959年にやって来ました。そして別府鉄道が廃線となる1984年まで活躍しその後は生まれ故郷の佐久に戻って、佐久時代の姿で現在も保存されています。

それにしても、この車両のド派手なピンク色には驚きました。この色は現在まで他で見たことがなく、意外と難しい色です。地味な色の客車とは対照的で結構似合います。以来、私はこの色を「ベフピンク」と呼んでいます。

(注1)キハ3の車歴:別府キハ3←三岐キハ6←三岐キハニ6←国鉄キハニ40706←国鉄キハニ40605←佐久キホハニ56:1930年日本車輌

 

3.車庫に佇む2代目キハ2別府港:1976年8月)

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別府にはもう1両バケットカーがいました。それが2代目キハ2(注2)です。この車両は三岐鉄道が開業時に自社発注したもので、同形車が5両いました。三岐は電化後しばらくは国鉄四日市への乗り入れ用として気動車保有していましたが、乗り入れ廃止後気動車は廃車となり、別府は初代キハ2の後継車として、1965年に三岐からキハ5を購入し、2代目キハ2としました。しかし、1976年当時でもこんな車両が現役だったことは奇跡的です。この車両も別府の廃止まで活躍し、廃止後は地元に保存され、一時は朽ちかけていましたが、現在、幸いにもボランティアの手で修復が進められています。

(注2)キハ2の車歴:別府キハ2(2代目)←三岐キハ5:1931年日本車輌

 

4.大正遺産のハフ7別府港:1976年8月)

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別府の車両は全てが「お宝」で甲乙が付けられません。このハフ7(注3)もかなりの強者です。まさかこんな車両に対面できるとは、感激で“涙もの”でした。ハフ7も三岐から来た車両ですが、元は神奈川県の神中軌道(現相模鉄道)開業時に製造された客車です。別府鉄道は2路線あり、旅客専用の野口線は気動車、客貨混合の土山線は貨物列車の最後尾にこの客車が連結されて運行されていました。大阪からわずか1時間ほどの加古川に、こんな鉄道が走っていたのです!!。ところで、このハフ7は廃止後、生まれ故郷の相模鉄道に戻って大切に保存されています。

(注3)ハフ7の車歴:別府ハフ7←三岐ハフ16←相模ハ24←神中ハ24:1926年汽車会社製

 

5.なんと元気動車のハフ5別府港:1976年8月)

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別府にはもう1両、ハフ7とは対照的に目立たない客車がいました。それがハフ5(注4)です。この車両も神中出身で三岐からやって来ましたが、当初は同形の相棒ハフ6もいました。残念ながらハフ6は1968年に廃車となってしまい、以降廃止まで、土山線の客車はハフ5とハフ7の2両体制となりました。しかしながらこのハフ5、神中時代は気動車だったとは驚きです。しかも、あの日本車輌が1930年に製造したもので、奇しくもキハ3とは同期の兄弟車です。なのにここまで似ていない兄弟も珍しいと言うか、どうしてこうなってしまったのか?。ハフ5は廃止後、相模鉄道が引き取ってくれませんでしたが、地元の播磨町郷土資料館にDC302と共に綺麗に整備されて保存されました。

(注4)ハフ5の車歴:別府ハフ5←三岐ハフ14←相模ハ10←神中ハ10←神中キハ10:1930年日本車輌

 

1976年の別府訪問は、実態を確認するためほんの少し立ち寄っただけで、乗車もせずに終わってしまいましたが、私にとって初めての本格的な一人旅でした。そしてこの経験が私の趣味の方向性を決定付けたことは間違いありませんでした。