ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第16話:1977年別府 広島から古典気動車を求めて!(その3)

1977年は、念願の土山線混合列車に乗ることが叶いました。

当時土山線は1日4往復しか運行されていませんでしたが、なんとか別府港~土山間を1往復しました。

 

1.バック運転の土山線の混合列車 (別府港:1977年8月)

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機関区で撮影している間に、土山線の混合列車が組成されました。この時はDB201(注1)が牽引機となり、ワム4両と末尾にハフ7が連結されていました。いつホームに入線するのか待っていましたが、なんと写真の停止位置から発車です。慌てて飛び乗りました。今では考えられませんが、当時は何でもアリの昭和でした。出発すると2軸車の独特のジョイント音とピッチングがなんとも愉快です。途中、中間駅の中野は止まったのか、通過したのか分からぬまま、あっという間に終点の土山に到着。全線4km、わずか15分足らずの旅でした。

ところでDB201は中古DLではなく別府鉄道の自社発注車でした。文献によると注文流れを購入したようですが、トルコン付きで操作性は良かったようです。

(注1)DB201の車歴:1965年三菱三原製作所製

 

2.別府鉄道土山駅のホームにて(土山:1977年8月)

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この写真はどういう意図で撮ったものか記憶にありませんが、土山駅には別府鉄道専用のホームがあり、小さな待合所もあったことが分かります。そしてホームを歩く車掌さんは複数の小包みを持っており、当時は小手荷物輸送もやっていたことも分かります。土山では国鉄の153形新快速が猛スピードで通過するのを横目に、DB201は黙々と貨車の入換を行っていました。その間、ハフ7は小休止です。写真に写っているタンク車がこれから連結されます。

 

3.帰りの混合列車(土山:1977年8月)

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貨車の入換が終わると、DB201は折返し列車の先頭となり、早々に別府港に向けて出発です。帰りの貨車はタンク車1両でとても模型チックな編成でした。帰りはデッキに陣取って風景をながめていたら、突然ものすごい衝撃で停止しました。何が起こったのかと思っていたら、今度はいきなりバック。そのまま側線に進入しタンク車を切り離して再発進。貨車なしのハフ7だけの編成となって別府港に到着しました。後から分かったことですが、途中バックした側線は川崎車輌の工場ヤードで、一応貨物駅でした。そこで貨車の受け渡しを行っていました。旅客営業中に貨車の入換もやってしまうとは、これも何でもアリの昭和だったからできた技かも知れません。

 

4.ここがハフ7の乗り場別府港:1977年8月)

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ハフ7は別府港のヤードにいつも留置されていましたが、今思えばその留置場所が土山線の乗り場だったわけです。ホームもないので知らない人なら戸惑ってしまいますが、鉄道マニア以外の一見さんは皆無だった様なので問題はなかったのでしょう。でも早めに乗車を申告しておけば、ちゃんと乗り込み用のステップを用意してくれました。

 

5.大正時代?の車内 ハフ7別府港:1977年8月)

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ダブルルーフだった ハフ7の車内はまさに大正時代の雰囲気でした。木造の車内はニスと床に染み込んだ油の匂いが漂っていました。車端のブレーキハンドルが「ハフ」であることを物語っています。

 

6.ハフ7のサイド標記別府港:1977年8月)

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 ハフ7は、社章、車両形式、車号を重厚な銅板切り抜きで標記していました。移籍車とは言え、別府鉄道が在籍車両に対して相当な思い入れがあったものと伺い知れます。標記の上にぶら下がるサボの字体も独特でした。

私は別府鉄道の社章のデザインが気に入ってます。この社章は親会社である多木化学の社章でもあります。多木化学と言えば、つい最近「バカマツタケ」の人口栽培に成功したと報道が流れていましたが、別府鉄道なき現在もこの社章は健在です。

 

当時中学2年生だった私は、カメラがインスタントで、まだ走行写真を撮るほど余裕もなく、とにかく在籍する古い車両を全て見ることと乗ることで精いっぱいでした。また小遣いからDPE費用を捻出するため、当時から貧乏旅行が身に付いてしまい、この時も昼過ぎには切り上げて、山陽本線の鈍行を乗り継いで広島へ戻りました。

この後も山陽地区を中心に、広島から古い車両を求める旅が続きます。