ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第105話 1987年新潟交通 越後の寸景(その2)

1987年の5月は、就職して長岡の工場で実習をしていた頃です。ちょうど、このブログの第76~78話でご紹介した越後交通長岡線の撮影に専念していた頃でもありますが、休日は走らない越後交通だけでは物足りず、長岡から新潟交通にも出向きました。

当時いろいろと調べたところ、実は長岡から燕は結構近く、高速バスという最強の交通手段があるこがわかりました。貨物専業だった越後交通は午前9時台の運用が終わると、午後は15時台まで走らないので、その間合に新潟交通を撮影しに行くという技を身に着けました。その技を実現可能にしたのが長岡~新潟間の高速バスです。

詳細を記しますと、越後交通の西長岡駅の近くに大島3丁目というバス停があり、そのバス停から新潟行きの高速バスに乗車できました。バスは30分~1時間毎に走っており、このバスに乗り北陸道を通って約30分で三条燕に着きます。三条燕のバス停はJR燕三条駅のすぐ近くなので、駅前からタクシーで新潟交通の灰方近辺まで10分程です。予めバスの時間を調べておけば、西長岡から50分程度で新潟交通の沿線に辿り着けました。

 

1.モハ12 (小中川~新飯田:1987年5月)

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 この写真は、越後交通の貨物列車を撮影した後に高速バスで移動した時のものです。

1日で越後交通新潟交通を二股撮影が可能でした。少々お金がかかりますが、貴重な時間には代えがたいです。それにしても両僻地をこれほど効率的に移動できるとは思いませんでした。

 

2.モハ14 (灰方~小中川:1987年5月)

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5月頃の新潟は天気も安定して非常に快適です。灰方のまわりは一面の田圃で大変のどかです。しかし、この辺は冬になると地吹雪が吹き荒れるとんでもないところでした。この翌年の冬に遭難しそうになりました。まわりに人家はなく、こんなところで遭難したら田植えの時期まで助けは来ません。

 

3.モハ16 (灰方~小中川:1987年5月)

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この日は天気が良く、移動時間がもったいないので、午後の越後交通は諦めて夕方まで新潟交通を撮影しました。唯一古風な モハ16がやって来ました。時間は午後3時頃ですが、この時間になると西陽は列車の正面に当たり、露出調整が難しいです。

 

4.モハ18 (小中川~灰方:1987年9月)

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突然季節が変わって、 この写真は稲刈りが済んだ9月です。ちょうど東京から土、日曜日を挟んだ出張だったので、カメラを持って灰方に出向きました。稲刈りが済んだ田圃に稲架(はざ)がないか期待したのですが、どこにも稲架は見当たりません。

 

5.モハ18 (小中川~新飯田:1987年9月)

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 かつての上田交通の様に稲架を入れて列車を撮影したかったのですが、この辺りでは刈り取った稲をすぐに脱穀してしまうのか、残念ながら空振りに終わりました。

 

6.モハ24 (灰方:1987年9月)

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 撮影の時にいつもお世話になった灰方駅です。当時は灰方も有人駅でした。灰方もかつては米の出荷で賑わったのか、貨物側線や倉庫が残る比較的大きな駅でした。

この駅には待合室があり、撮影のあいまに暫しの休憩や、冬は暖を取らせてもらいました。

こんな感じで、新潟交通の写真はどんどん増えていきました。