ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第106話 1987年新潟交通 越後の寸景(その3)

今回は軌道線の寸景です。

新潟交通の軌道線は白山前~東関屋間の2.6kmです。かつては途中に電停があったそうですが、軌道線がDC1500V昇圧のとなる前年の1944年に電停は全て廃止されました。ところで、終点の白山前駅は中途半端なところでした。新潟の繁華街は古町というところにあり、新潟駅から信濃川を渡って少し離れていました。新潟交通の白山前駅は、信濃川を渡らなくてもそのまま道路を進めば、あと1km程の場所に古町がありましたが、なぜか古町まで到達せず、白山前止まりでした。白山前にはかつて新潟県庁があったのでとりあえずは終点の名目にはなりましたが、それにしても中途半端でした。

なお、白山前駅新潟県庁が移転する1985年までは県庁前駅と称していました。県庁移転後は新潟市役所が移転して来ましたが、路線廃止となるまで白山前駅でした。

 

1.白山前に停車中の古豪モハ16 (白山前:1987年5月)

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 新潟交通の白山前駅は道路のど真ん中にあり、ちょうど交差点のロータリーを成す中央部に建てられていました。レンガ造りのモダンな駅舎で古風なモハ16とお似合いです。

 

2.モハ16 (白山前:1987年9月)

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 白根行きのモハ16がやって来ました。この通りは関屋大橋を通って新潟市の西部につながりますが意外にも交通量が少なく、落ち着いて撮影が出来ました。

 

3.モハ19 (東関屋~白山前:1987年9月)

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 この写真は、上のモハ16の写真と同じ場所(新潟第一高校の前)です。この交差点の手前は、併用軌道から専用軌道に入る分界点です。専用軌道に入ると東関屋はもうすぐでした。

 

4.モハ11 (東関屋~白山前:1987年11月)

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 この写真は白山浦付近です。この辺りは道路が狭く電車の騒音と振動で沿線住民から軌道線廃止の槍玉に上がっていた区間ですが、当時はまだ沿道にマンションもなく、ローカル鉄道らしい雰囲気が残っていました。

 

5.モハ2230+モハ2229 (東関屋~白山前:1987年9月)

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小田急電車が路面を走ってきました。異様な雰囲気です。この区間軌道法適用区間なので、走る電車は軌道法の認可を受け、路面電車の仕様に準じています。 この小田急電車も申し訳程度ですが、排障器を付けて路面電車になりすましていました。

 

6.白山浦付近を行くクハ45の2連 (東関屋~白山前:1987年11月)

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 狭い道路を2連がやってきました。

一般の路面電車と違い高床で車体がデカイので、こんなのが併走するとちょっと引いてしまいます。本来軌道区間軌道法に基づき、架線電圧はDC600Vなのですが、新潟交通は戦時中のどさくさに紛れてDC1500Vへ昇圧の特認を受けました。それまでは鉄道線がDC1500Vで軌道線に乗り入れの際は、鉄軌分界点を惰行走行して車両の電源回路を手動で切り替えていたそうです。